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地縛霊の如きオタクは、もうすぐ成仏できるかもしれない(きむすば劇場が心底楽しみという話)

2020年頃から続く感染症は、今春からまるで解決したかのように、人々の生活や意識から薄れていっている。しかし無くなったわけではないのは承知の通り、そしてこの数年の混乱がオタク(一人称です)の心に残した苦みも、未だ新鮮さを失っていない。

いくつかの苦しみがあったが、そのうちの一つの渦中に、私は以下の記事を書いた。

今ではすっかりとうの立ったオタクである私が義務教育時代から応援していたアーティスト、小林賢太郎氏の引退に寄せた記事である。いま読んでも、ファン全盛期の“あの時期”の残り香を感じさせるなんとも香ばしさのある文章だが、これを書かないと気持ちの整理がつかないくらい大きな出来事だった。膝から崩れ落ちる、というのをここ数年内にリアルで体現した2回のうちの1回である(もう1回については後述)。
そして近年の小林氏について言及できる事項といえば、当然これだけではない。思い出すだけでもキツイので記載したくもないのだけど、あまりにも苦々しく悔しい思い出が、まさに二年前の今日にあったことは未だに鮮明で、あ、なんかもうこれ書いてても嫌な気持ちになってきたな。うん、そんな感じで、オタクは様々な未解決の気持ちを成仏できていないのです。
ラーメンズの本公演だって、もう一度観たかったんだよ。

感染症渦中のオタクの苦しみのもう一つは、あらゆるライブや公演の中止である。
私は2020年の3月に、約1年前からハマっていたヒプノシスマイク5thライブの中止の報を受けお通夜ムードだった。偶然その日に麻天狼推しの友人と会う約束をしていたので、日比谷ミッドタウンのお洒落レストランで黙々とご飯を食べた。お洒落レストランは照明が絞られていて高級感はあったし食事も美味しかったが、写真がまったく盛れず、そのあまりの盛れなさも悲しかった。
ライブは無観客配信をしてくれるという。ただでは起きないオタクの我々は、悲しみを癒すために普段は泊まらない高級ホテルを予約し、配信当日を迎えた。
誰よりも悔しいであろう演者たちのひとり、ヒプの顔ともいえる木村昴氏が「画面越しなんて小さい壁は関係ねぇ!」と言ってくれた瞬間、泣き崩れた。当時まだ生活様式もあらゆる規制も不安定な頃で、いろいろな不安や辛さが重なっていたのだと思う。だから、その言葉を皮切りにした配信ライブに心底救われたのだ。
一方で、私にとってはこの作品は素直に愛し続けることは難しいと感じることが多くあった。それはシナリオの矛盾や不足に感じる部分であったり、運営の方法やクリエイター、出演者、ファンへの対応に、疑問に感じてしまうことが多かったからだ(ちなみに近年で膝から崩れ落ちた2回目は、ヒプステのキャスト全員卒業である。悪夢。ずっと脳内にLemonの冒頭が流れている)。
こんなに救ってくれたコンテンツだからこそ、素直に応援したい、こんなに恨んでしまうならいっそ卒業したい、でもいずれもできない、という苦しみをもう何年も、現在進行形で抱えている。やはり、成仏できていないのです。

※「木村昴氏、浅沼晋太郎氏=ヒプノシスマイク」ではなく、彼らは独立したクリエイターであり、あくまで出演作の一つであることは承知のうえで、この二人が並べばどうしても思い出してしまうということをお許しください。以下はそういう文脈で書かれた文章です。

こうして、成仏できないことばかりの地縛霊の如きオタクの前に突然現れたのが、そう、「きむすば劇場」である。

本当にびっくりした。なんなら今もずっとびっくりしているし、正直昨日からきむすば劇場のことしか考えられないし何も手に付かない。だからこんな文章を書いている。なぜなら、成仏できるかできないかの瀬戸際だからである。
夢になるといけないので(落語の一節ではない)、きむすば劇場に関するツイートや各種SNSの投稿や記事をすべてスクショした(※個人で観賞する用で無断転載はしません)。
「木村昴、浅沼晋太郎、小林賢太郎」の並び、一生見ていたいし未だに信じられない。ドリームマッチ。私にとっての偏愛と執着と苦しみのコスモ。
(ちなみに前段では木村昴氏についてしか触れていなかったが、ヒプのライブの大きな見どころの2つはきむすばの圧倒的ライブパフォーマンスと、浅沼さんの圧倒的なかっこよさである。浅沼さんはイベント等でのMCも素敵だし写真集も最高だし怖い話も上手いし、本当に良い)

オタクとして生きてきて思うのは、何かを好きになることは、苦しいことも多いということ。
コンテンツのこともクリエイターのことも、当然自分の思う通りにはならないし、自分の心だってコントロールできない。好きな気持ちは抑えらえないし、好きだからこそ湧いてしまう悲しみや怒りも、うまく昇華させることが私にとっては難しかった。
好きにならなければよかったのにと思ったことは一度もないが、「好き」の記憶にはずっとどこかに悲しさがつきまとう。私のオタクとしての大事な作品や大事な思い出は、ほとんどは楽しさで出来ているのに、悲しさや嫌だなという気持ちが小さい染みになって取れない、みたいなものばかりだ。

だけど今回初めて、染みがあっても捨てずにいて良かったと思った。
ヒプに至っては執着を捨てたくて、執着する自分との縁を切るために縁切り神社に行った程だ。だけど、それでもずっと好きでい続けたから、今回の「きむすば劇場」のことを心底嬉しいと思えている。

とはいえ、きむすばのインスタライブでの最初のお知らせは観ていなかったし、メンバーが発表されてからこんなに楽しみにするなんてきむすばに申し訳ないなと思う。お前、小林さんの本を演じるのは仁さんがいいし……って思ってたやん、とかも思う。
それにやっぱり、オタクをしていて苦しいことが多かったせいで、手放しで喜んで楽しみにすることもまだちょっと怖いなと思っている。過度に救いを求め過ぎているの良くないかなとか。そもそもチケットだって取れるかわからないのに。取れなかったときのことを思うと気が狂いそうになるのでなるべく考えないようにしているし、本当は、「楽しみだな、観れたらいいな」くらいの落ち着いたテンションになりたい。

だけどこれはやっぱり、地縛霊の如きオタクが成仏できるかどうかの分岐な気がしている。長々と先述したこれまでのあらゆる感情を、期待として全BETしてしまっている。
これは小林賢太郎作演出だからといってKKPではないし(なんならKSPの方が正しい、木村昴プロデュース)、木村昴氏と浅沼晋太郎氏は一郎と左馬刻ではない。でもそれがいい。この三人が三人だからできる、新しさと馴染み深さの融合した作品を届けてくれたら。小林氏はまだまだ多様な方と新境地を開拓し、ヒプのことを忘れきむすば&浅沼さん最高と思えたら、オタクは、成仏できる気がしている。

きむすば劇場、多くの人が楽しめる素敵な公演になりますように。
あわよくばオタクも、成仏できますように。
できるかな、どうだろう。成仏したいよ……


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