見出し画像

三木卓「朝三暮四」について —世界の法則を知る猿—

   朝三暮四 三木卓

  二十年後のわれらの生活はすばらしいか
  しかり と報告は返答する
  ああ いつも未来はみずいろばらいろ
  この現在だけを辛抱すればいい 簡単!
  むかし漢文の教科書に朝三暮四というのがあり
  あさましい猿はあざわらわれた
  だがほんとうか あさましいか
  なぜに家賃は前払い 手形は割り引かれ
  日銭はつよく 貸売りお断わり?
  ごらん この世界の法則を
  未来のからくりを知るものの思想を
 

 “朝三暮四”とは、中国の故事に由来する四字熟語である。この詩は、その熟語の由来になった故事を踏まえている。それは、以下のような故事である。

  中国の春秋時代、宋の国に狙公という猿好きの老人がいた。猿が増えて家計が苦しくなったため、飼っている猿に与える餌を減らそうと考え、狙公は「これからはトチの実を朝に三つ、暮れに四つやる」と言った。すると猿は、「少ない」と怒った。そこで狙公が、「朝に四つ、暮れに三つやる」と言い直したところ、猿はとても喜んで承知した。

    この故事から、結果は同じなのに表面的な利害にとらわれることや、そのようにして他人を騙すことを「朝三暮四」と言うようになった。
(参考にしたサイト:https://gogen-yurai.jp/tyousanboshi/

 つまり、この故事は、「朝に四つ、暮れに三つやる」と狙公にごまかされて喜んだ猿を、「あさましい」と「あざわら」う内容のものなのである。この三木卓の詩は、その猿について、本当に「あさましい」存在だったのか、と問い直している。
 結論から言えば、“朝三暮四”の猿は決してあさましくはない、むしろ賢かったのだ、とこの詩は主張している。なぜ猿が賢かったのかと言えば、「この世界の法則」、あるいは「未来」というものの「からくり」をよく知っていたからだ、ということがその根拠として挙げられている。これは、一体どういうことだろうか。
 作中には、

  なぜに家賃は前払い 手形は割り引かれ
  日銭はつよく 貸売りお断わり?

 とある。「手形を割り引く」とは、受取手形を取引銀行や手形割引業者に前もって手数料だけ引いた形で買い取ってもらうことである。また、「日銭がつよい」とは、その日の内に受け取れる収入を皆が欲しがるという意味で、「貸売りお断わり」とは、ツケが効かないという意味である。
 つまり、ここでは、人間は皆、「未来ではなくて今、利益を得たい」という考えを抱いていることが示されている。これは、「朝に四つ、暮れに三つやる」と言われて喜んだ猿と同じである。“朝三暮四”の猿は、実は我々人間と同じ思考パターンで行動していたのだ。
 では、なぜ我々も、猿も、「未来ではなくて今、利益を得たい」と考えるのだろうか。それについては、作品前半を見ると分かる。

  二十年後のわれらの生活はすばらしいか
  しかり と報告は返答する
  ああ いつも未来はみずいろばらいろ
  この現在だけを辛抱すればいい 簡単!

 「ああ いつも未来はみずいろばらいろ/この現在だけを辛抱すればいい 簡単!」という二行は、もちろん皮肉である。このことは、次のような例を念頭に置くと、理解しやすい。未来のために現在を犠牲にして、投資している人物がいるとする。しかし、肝心のその未来はやってこなかった。その人物はある日、不慮の事故で死んでしまったからだ……、というような例である。つまり、利益は、得られるときに得ておくべきで、未来に取っておいても仕方ない、ということだ。なぜなら、未来のことは保証されていないからである。
 ここで、「しかり」と返答した「報告」は、実際に未来を見てきた人の報告ではなくて、「未来のために今を犠牲にすることは良いことだ」と信じている人によるでっち上げの報告であると言える。例えば、子供の母親は、本当に未来に何が起きるのかを知っているわけではないのに、まるで未来を見てきたかのように、「将来のために今、勉強しなさい」と子供に言う。この母親は、詩の中の「報告」をしている人物に相当する。
 以上より、この詩は、“朝三暮四”の猿は、実は我々人間と同じ考え方をしていたのだ、ということを主張している。そして、その猿と人間の考え方は、実は「未来」というものの仕組みをよく踏まえた、「世界の法則」に通ずるものであると、この詩は言っているのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?