発達障害日記0516(学びにコンプレックスがない話)

 発達障害の話をしそうであんまりしない・・・いや今日はするのか・・・?でも自分の性格の気もするしねえ・・・? 
 個人と不可分。それが発達障害。今日は大学で勉強することにコンプレックスがない話。

・放送大学に通っているんですよ。だって勉強ってルールがあるから楽じゃない?

 放送大学に通っているんですよ(この日記ですでにn回目の宣言)。福祉の国家資格が取りたいので。
 この前までは美大に通っていて、それも楽しかったんですけど・・・なんかこう、魂を絞る感じだったんですよね。本をありったけ読んで、自分の主義主張を固め、美術の文脈と歴史を読んで。いやあ、2年間だけでしたけど一生分を取り返すくらい本を読みました。
 それもすっごく楽しかったんですけど、今は福祉の仕事がしたいのでそちらの勉強がしたくて転籍したんですよ。
 勉強、楽です。
 わたしは不注意型のADHD・・・っていうか、不注意型のADHDはなにもないところから突然不注意が生まれるのではなく、脳みその中で今もものすごいストーリーが渦巻いていて、それが生活に必要な注意力まで根こそぎ持って行ってしまうということだと思ってて・・・医学的に正しいかは分からないんですが、体感としてはこんな感じ。まあ困った障害ですよ。
 なもんで、空気が読めない・・・ええ、人と話している時に脳みそが止まってくれるなら障害じゃないですからね!人と話していても上の空で、口頭のテキストはともかく身振りや手振り、口調、タメなど・・・そういった大事な情報がする~んとスルーされるので理解ができません!
 なもので、勉強って・・・教科書に全部書いてあるものを自分で鳥に行けばいいので、すっごく楽です。
 こどものころは勉強全然できなかったんです。今から考えると、これ板書や45分の決まった時間で勉強することができなかっただけで、自分のペースで勉強できればひょっとしてヨカッタ系の話では?とかって思いますが、まあこれはちょっと分かりませんねえ。
 とにかく今は勉強がとても楽しいです。


・学ぶことへのコンプレックス、というものがありそうですね?


 でも・・・
 学びへのコンプレックス、というものがありそうだな、というの、なんとなくうすうす感じています。
 勉強ができることについてのコンプレックス、と言いますか。はっきりとは言えないのですが・・・。
 わたしは発達障害という神経系障害を持っていますので、正直、学びを完全なものだと思っていません。
 よく言いますよね。「勉強したことは一生ものだ」って。
 そんなことなくないですか?もちろん、知識を積み重ねることは誰にも奪えませんけど、病気で脳が動かなくなるとか、加齢でインプットもアウトプットもできなくなるとかって普通にあるじゃないですか。
 わたしも、服薬した時としていない時でインプットもアウトプットも格段に違います。
 世間が言うほど、学びに力はないと思ってます。
 でも強い。
 絶対ではないけど強いです。
 だから、わたしは勉強ができる、と言いつつ、たぶんすごく勉強ができるわけじゃないという中途半端な立場にいます。
 それで恥ずかしいと思うことはありません。
 別に普通で良くないですか?
 どーせ60も過ぎりゃ人間物覚えなんておとろえてくるんですよ。
 今だけの力です。楽しんでやらないと損じゃないですか。


・得意な人は得意なだけ、得意じゃない人は得意じゃないだけ


 得意な人はジャンジャンやればいいと思います。
 なんか・・・そもそも勉強をすることに忌避感がある感じがしますネ、これって嫌な勉強をしているからじゃないでしょうか。
 嫌な勉強なんてする必要無くないですか。好きな勉強だけしたらいいですよ。勉強をしてめちゃくちゃ儲かりたい!とかだと別ですけど、勉強が目的なら特に気負わず楽しいだけですからねえ。それを使って仕事ができる、ということになるとさらに嬉しいですけど。
 勉強が不得意だ、という人はそんなに頑張る必要はないと思います。
 勉強ってこれ・・・したい人が一生するやつで、嫌いな人は続かないですよ。むちゃです。
 そしたら好きな人がするべきですよ。それでいいんじゃないかな、とわたしは思います。
 だって勉強じゃないことをしている人だって、いろんなことをしているじゃないですか。そこは多様性でしょう?

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