悪意

世間には意図的であるか、そうでないかを問わず人間の悪意が溢れている。
比較的昭和から平成初期にかけてまでは、お互い様や世間体と言う言葉で、それらは抑えられてきたように思う。
しかしながら個の時代になり、何よりも自分らしくと言う言葉に置き換えられた我儘は認められるべきだ、と言う風潮になりつつある。

先日電車内でこんな光景を見た。
休みの日中で、座れはしないが混んでもいない車内。
ドア際には小学生らしき3人組がはしゃいでいた。
端っこに座る女性は、きっちりとメイクをしてお洒落な方。
私が乗り込んで、前に立つが組んだ脚は絶対に戻さない。
私も、戻すならスペースを作るのだが、その素振りもないのでそのまま目の前に立っていた。
そして、小学生たちが少し座席の方に背中が出てしまうと、その服が女性の頭に触れた。
女性は顔をしかめて、それを振り払うような動作をした。
あたかも蚊を払うように。

混み合ってきた車内で脚を組む事に気遣いはないが、周辺から迷惑を被るのは絶対に許せない。
こんな雰囲気が一番多い気がする。

自分はいいだろ。

人間として、とても情けない姿に思える。イヤホンをして、スマホを見つめていれば周りの人がどんなに嫌そうにしていても、それを見る事も聞くこともない。
感じなければ自分の迷惑行為はなかったと免罪される。

果たしてそうだろうか?

日本には一つ、「徳を積む」と言う考え方がある。仏教由来だとは思うが、そして情けは人の為ならずとの諺もある。
人に気遣いをする事は、決して損ではない。

多分、自分の連絡先に登録のない他人に何か良い事をして、徳を積んでも自分には関係ない、と思っているのだろう。
だったら目の前の自分の快を求めた方が良い。
いつ戻ってくるのか分からない徳を積むなど、タイパが悪い。
そんなところか。

そして、自分の快楽の時間を邪魔される(注意をされるなど)と、キレる。
返って来ないかも知れない徳の為に、何もしない自分は悪くないのに。

みんなそんな感じに見える。

今は他人に近づく機会があると、悪意の集合体になっている。
出来れば、今すぐ人より得したい。少なくとも損なことはあり得ない。
自分より良い状況にある人は許せない。
料簡の狭い意見が増えた。
こんなにみんな難しい処理を常に「スマート」な機械と共にこなしているのに、どうにも人間は賢くはなっていってない気がする。

1年弱の鬱から世間に戻ると、ずっと接していなかった人間にどうしても意識が向いてしまう。
車も、電車も、歩いていても、どこでもいつの間にか悪意に満ちた世界に見える。
今は一番それがストレスで、電車に乗ると吐き気がする。

周りの人がどんなに迷惑そうでも、スマホ、スマホ、スマホ。
歩いてスマホ。
電車に乗り込む時もスマホ。
乗ってからは、揺れるとやりにくいから人にもたれてスマホ。
食事もスマホ。
トイレもスマホ。
その内セックスしててもスマホでアニメ見たり、ゲームするのかな?

それにイラつく私みたいな人。
イラつかれて、それをキモイと言ってイラつく人。
それを見ていてウルセェとイラつく人。

この状況に出口はあるのかな?

みんな他人が許せない。
こうであるべきなのに、とマナー講師が声高に叫ぶ。
それって、あなたの感想ですよね。論破。と、得意満面。
バカだバカだと言って、何でも反対論を述べれば賢い人。
っぽく言う元実業家。

どんどん人口が減って、縮小していくのにそれを認めない政治家。

そう。

こんな風にみんな悪意に満ちている。
自分もその一部なんだ。
鬱から治った気がしてるけど、やっぱり生きている事に疑問が残る。


自己肯定が爆上がりします! いつの日か独立できたらいいな…