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航空機事故から学ぶ:片肺の勘違い

苦手意識でスロットルを引いていたKLM433便事故
1994年4月4日、KLM City hopper 433便(Saab 340B型機)は21名の乗客を乗せて、オランダAmsterdam空港から英国Cardif空港へ向けて離陸した。晴天のなかFL200へ上昇中、37歳の機長と34歳の副操縦士は、右エンジンの油圧低下を示す表示に気づいた。機長は副操縦士にEmergency Check Listを読み上げさせ、油圧計で30psi以上あれば経過をみるとの規定に従って、そのまま飛行を続けた。ところがFL164付近でVSIの上昇速度が0fpmに近くなり、機長はFL160で上昇を止め、Pan, Pan, Panの緊急通信を発信。離陸後50分で右旋回して、Skipol空港へ引き返すことを決断した。
Skipol空港の地上風は280°/8ktであったが、同機はRWY06へアプローチした。500ft、Flap20°でIASが110ktと低速であり、突然右bankしたため、機長は機体を何とか水平に立て直した。機長は着陸は困難と判断し、Go around, Gear up, Flap clearをコールして着陸をやり直そうとしたところ、機体は右側へ横倒し状態となり、滑走路の南東500m地点に墜落した。乗員乗客24名のうち、乗客2名と機長が亡くなった。
オランダ航空機事故調査委員会(NASB)の調査官は、管制官への聞き取り、右エンジンの油圧系統、rudderを中心に調査を進めた。生存した副操縦士は事故当時の出来事を全く覚えておらず、聞き取りは進められなかった。
rudderとそのlocking装置、右エンジン本体と油圧系統に異常はなかった。計器盤の油圧ゲージは正常に作動していたが、警告ランプは電気回路に短絡があって、油圧正常でも点灯する故障が認められた。
CVRを解析すると、チェックリストで問題を適切に対処しており、VSIが上がらなくなった理由が分からなかった。FDRを分析すると、油圧は常時正常範囲にあったものの、右エンジンのthrottleが絞られていた。これは機長が無意識にidleにしていたようで、着陸復行を行う際には左エンジンのみがthrottle全開となっていた。これにより機体が右側へ傾いて墜落したものと考えられた。
機長の訓練経歴を調べてみると、simulatorでの片肺アウトの訓練で2回不合格となっていた。元来苦手な緊急操作を、計器の誤表示で自ら作り出してしまったことによる墜落事故と結論付けられた。

無分別にスロットルを引いた復興航空235便事故
2015年2月4日、Trans Asia Airways(復興航空)235便(ATR72-600型機)は、機長と副操縦士および同型機の飛行システムを習得するためのベテラン操縦士をJump席に載せて、55名の乗客と共に10:49am台北松山空港から金門空港へ60分の飛行に出発した。離陸後直ぐにMaster cautionが作動し、機長は自動操縦装置を解除して操縦を交代した。Heading modeへ変更し、針路095°を取った。副操縦士は"Watch airspeed"と警告したが、次第に減速して1,620ftで失速警報とStick shakerが作動。副操縦士はMaydayを宣言し、E/G Flame-out, both sideと宣言した。機体は高速道路の側壁に左翼を当て、そのまま基隆川へ墜落した。機体は暫く浮いており、機内へ浸水したが、救助隊が乗客15名を救助した。乗員3名を含む43名は死亡した。
たまたま墜落直前に高速道路を走行していた自動車のドライブレコーダが事故機が墜落する様子を録画していた。それがTV報道されたのを見て、台湾航空機事故調査委員会(ASC)の調査官は、同機が左右のプロペラは回転していたものの、左ロールして高速道路側壁に引っかかりながら基隆川へ墜落した様子を確認した。左右のエンジンを川から引き揚げて点検したところ、左エンジンは正常で、右エンジンはFeatherの位置になっていた。
FDRを解析したところ、右エンジンのTorqueがスパイク状になっており、センサーが誤作動した可能性が示唆された。これによってプロペラが自動的にFeatherに移行したと考えられた。実際センサーの回路板に傷が見つかり、Torqueを正しく感知できない不良品であった。
他方、左エンジンは常に正常に作動していたが、次第に推力が落とされて、最後はShut-downされていた。同機にはAuto-throttleは装備されておらず、機長がそうした結果だった。
CVRを解析してみると、事故機は離陸してTaipei approch119.7MHzへ周波数変更して直ぐにMaster cautionが作動し、機長が操縦交代してA/PをOFFにした。副操縦士はEngine failure checkedとcallしたが、左右どちらかは云わなかった。10:52:43に機長はPull back #1と言い、その後Shurt downしていた。副操縦士がCross checkと言ったものの、機長がNew heading!...Come on!と遮ったため、副操縦士は095°と答えた。高度が徐々に低下して機長はRestart engine!と命じたが、副操縦士はI can't start engine!と叫んだ。10:54:14に機長はI shut down a wrong engineと自らの非を認めて呟き、その後墜落して音声が途切れた。
機長の経歴を調べると、主要な訓練課程で不適合を受けており、"Prematurely responded situations"と評価されていた。
同型機のsimulatorで事故を再現したところ、離陸後37秒で警報が作動し、PMが#2をShurt downし、PFが#1をGuardしたところ、機体は上昇を続けられた。また乗員が全く手を出さなかった場合でも、同じ状況となった。ASCは事故調査報告で、機長の思い込みによる過ちが事故の主原因であったと結論した。

  • KLM機事故で感じるのは、VSIが0に近い状態で、何故Throttleに目がいかなかったのか?異常事態に陥ると計器と外ばかり目が行くもので、若い操縦士ペアだと手元への注意力が吹っ飛んでしまったのでしょうか?

  • 双発機のエンジンが不調となった時、Rudderを踏み込んだ側が故障していると教わるものですが、全てが自動化されたハイテク機材では、FlightコンピュータがSick engineを判断して表示してきます。細かい文字の英語で表示されても、動転している乗員には判読できなかったのかも知れません。復興航空機事故で「發動機故障=右邊」と大きく漢字で表示されれば良かったのにと思います。航空用語にいくら英語が頻用されていても、いざという時は母国語が第一。それも大きく表示されないと、頭真っ白な状態では理解できないものなのです。航空機が高度化されればされるほど、言語の重みは増すでしょう。

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