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【読書備忘録】チボの狂宴から世界の果ての庭まで

 八月上旬にはある程度できていたのですが、体調不良などで下旬まで公開が遅れてしまいました。お待ちくださっていた方々、大変申しわけありません。空模様を見ると夏の盛りはすぎたのかなと思うこの頃。それでも酷暑は続いていますので、皆さまくれぐれもお身体にはお気を付けてください。
 この夏も貴重な読書体験をしました。私生活で憂鬱になることもありますが、頭の中がもやもやしたら「とりあえず本を読む」に限ると再認識した次第です。


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チボの狂宴

*作品社(2010)
*マリオ・バルガス=リョサ(著)
*八重樫克彦(訳)
 八重樫由貴子(訳)
 ドミニカ共和国の政治家で、三一年間強権統治を続けたラファエル・レオニダス・トゥルヒーリョ・モリナ。彼がかぶる「祖国の恩人」という仮面の下には、容赦なき弾圧を繰り返し、自分自身に対する個人崇拝を徹底する中で国家経済を私物化するという冷酷な独裁者の顔が隠されていた。物語は複数の視点で構成されている。暴政に明け暮れるトゥルヒーリョ。政権転覆を企て、暗殺計画を立てるテロリストたち。失脚するカブラル上院議員。そしてカブラルの娘ウラニア。異なる時間と視点が溶け合い、独裁政権の実像は描きだされていく。こうした時間と視点を交錯させる技法はマリオ・バルガス=リョサ作品では頻繁に使われるのだが、本作品では虚構と事実も絶妙なバランスで組み合わされている。架空の上院議員を含めてトゥルヒーリョ政権を再構築し、その娘に回想させることで表現される虚実の妙。歴史に材をとりながらも事実に束縛されず、自由な小説表現を獲得することに成功した『チボの狂宴』は、ラテンアメリカ文学屈指の独裁者小説であるとともに世界文学の最高峰に名を連ねる傑作だ。

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孤児

*水声社(2013)
*フアン・ホセ・サエール(著)
*寺尾隆吉(訳)
 港育ちの孤児であり、インディアス探検船団の見習い水夫として現地調査に協力。ところが原住民の襲撃に遭い、自分以外の上陸部隊員を皆殺しにされた後、何故か自分だけは殺されずに集落で共同生活を始めることになった「私」の回想録。それが『孤児』のおおまかな体裁である。手記形式なのは老境に入った「私」自身の告白で明らかにされていて、船員との交流、原住民との生活は回顧ならではの冷静な筆致で綴られていく。また随時現在の立場から言及するので、言葉の通じない土地に取り残されていても場面には不思議な落ち着きがある。同時に淡々とした語り口故、原住民に継承される食人の習慣は読み手に鮮烈な印象を与える。けれども本作品のテーマは原住民の言動を通し、共同体の構造を考察するところにある。資料を漁るサエールが見付けたフランシスコ・デル・プエルトに関する記述。現地調査中に原住民に襲われて、一〇年以上集落で生活した見習い水夫の逸話。この見習い水夫の体験に刺激されたことで生まれた『孤児』は、未知の世界で営まれる文化を探る思索的な小説である。

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死体は誰のものか 比較文化史の視点から

*ちくま新書(2019)
*上田信(著)
 命あるものは必ず死を迎える。死を迎えたものは死体となり、遺族が明らかであれば遺体となって弔われる。しかし、死体・遺体の所有者を考え始めると何か釈然としない。死者自身が所有者なら誰の権利で弔うのか。遺族の立場はどうなるのか。遺族が所有者に替わるなら死者の意思は尊重されるのか。それに遺族が判明するとも限らない。毎年増える身元不明の死体は約一二〇体。警視庁管内の寺や役場に安置されている死体数は約三〇〇〇体を数え、今この瞬間も増えている。この状況をどう受け入れたものだろう。本書の目的は他国及び宗教の死生観に着目し、少子高齢化にともなう多死社会の中で、如何にして死体と向き合うか考察する点にある。中国における儒教の伝統に依拠した儀礼、輪廻転生を信じるチベット族の水葬と天葬(鳥葬の方がなじみはあるけれどもこの表記の相違は重要)、丁重な洗浄を旨とするユダヤ教独特の作法、偶像崇拝を禁じるキリスト教の死体観、現代日本に引き継がれている浄化の手続き。カトリックの家系であり、中国史とアジア社会論の専門家である上田信氏による教示は、大きな手がかりとなる。

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青い脂

*河出文庫(2019)
*ウラジーミル・ソローキン(著)
*望月哲男(訳)
 松下隆志(訳)
 ソ連非公式芸術集団「モスクワ・コンセプチュアリズム」で活動し、作家転身後も奇天烈な小説を書き続けているウラジーミル・ソローキン氏は現代ロシア文学のモンスターと呼ばれる。コンセプチュアリズムと決別する前に発表された『青い脂』は、ロシア文学におけるポストモダニズムの極致に達した快作で、今もソローキン作品の最高傑作にあげる声は多い。生来の文学的資質に加えて、前衛芸術の世界で培われた彼の創作意欲は二〇六八年と一九五四年のロシアで巻き起こる騒動を、複雑怪奇な設定と研ぎ澄まされた言語表現で書きあげたのである。概要の時点で前衛的なのでさわりの部分を概説するのも容易ではない。研究所「遺伝子研18」で「青脂」を製造するロシア文学の文豪のクローンたち。複数回にわたり製造過程を手紙に書いて知人に送り付ける言語促進学者の奇妙な言語。ロシア語、中国語、英語、ドイツ語、フランス語を混交した翻訳者泣かせの実験的文体は、幾つもの造語を含む特異な書簡体小説の体をなしている。また、合間合間に挿入されるクローンのテクストも見事。クローンの完成度が中途半端でテクストはしばしば破綻するのだが、基礎となる文体は再現されているので、まるで実際の文豪が書き損じたような錯覚を覚えてしまう。一作品の中に複数の文体を、それも完璧なかたちで構築するのだから、ソローキン氏の手腕には脱帽するほかない。物語は「青脂」製造の話から廃坑に潜伏するカルト教団「ロシア大地交合者教団」の暗躍を経て、一九五四年のソ連に舞台を移していく。史実では死去しているはずのヨシフ・スターリンが生きているソ連で、未来からの贈り物である「青脂」をめぐる争奪戦が勃発する。最後の最後まで大暴走を続けるモンスターであった。

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100人の作家で知る ラテンアメリカ文学ガイドブック

*勉誠出版(2020)
*寺尾隆吉(著)
 一九世紀から二一世紀までのラテンアメリカ文学者を一〇〇人に厳選し、逆編年体形式で概説する文学事典。すでに邦訳されている本に限らず、未邦訳の本も積極的に紹介している点が特徴で、今後の翻訳事業を見据えた大がかりな構成になっている。また、作家の経歴に加えてスペイン語圏の主要な新聞雑誌、出版社、文学賞なども列挙しているのでラテンアメリカ文学愛好者にとっては垂涎の一冊である。寺尾隆吉氏の忖度しないフリーダムな論評には頷けないこともあるが、頷けることばかりが良書の条件ではないし、そもそも本書は異論の噴出を想定して書かれているのだ。前書きで「安易な賞賛を避ける」「辛辣な論評も辞さない」ことを明言し、さらなる議論の展開に期待を寄せているところからもわかる通り、ラテンアメリカ文学研究の進展をテーマにしている。この点には留意しておきたい。それに愛読者としても裏表のない論評は新発見に繋がり、理解を深める契機にもなる。こちらも忖度しないで無礼な意見を申しあげるなら、寺尾隆吉氏の翻訳文は乱雑になりがちなので翻訳者としては評価しづらい。しかし、専門者・研究者・企画者としては素晴らしく、ラテンアメリカ文学推進の一翼を担う寺尾氏には感謝の言葉もない。

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イギリス怪談集

*河出文庫(2019)
*アラン・ノエル・ラティマー・マンビー(著)
 アルジャーノン・ブラックウッド(著)
 モンタギュウ・ロウズ・ジェイムズ(著)
 ハーバート・ジョージ・ウェルズ(著)
 A・J・アラン(著)
 アーサー・クィラ=クーチ(著)
 アルフレッド・エドガー・コッパード(著)
 ブラム・ストーカー(著)
 ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュ(著)
 マシュー・フィリップス・シール(著)
 ハーバート・ラッセル・ウェイクフィールド(著)
 エドワード・フレデリック・ベンソン(著)
 ローズマリー・ティンパリー(著)
 リチャード・バラム・ミドルトン(著)
 E&H・ヘロン(著)
 ヴァーノン・リー(著)
 フランシス・マリオン・クロフォード(著)
*井出弘之(訳)
 伊藤欣二(訳)
 斎藤兆史(訳)
 由良君美(訳)
 横山潤(訳)
 南條竹則(訳)
 並木慎一(訳)
 倉阪鬼一郎(訳)
 赤井敏夫(訳)
 内田正子(訳)
 渡辺喜之(訳)
 河出文庫の怪談集が続々復刊しているおかげで、世界の恐怖小説を読むことができる。怪奇幻想文学の愛好者としては喜ばしい限り。物語に浸りながら各国の怪談に見られる特徴を探り、相違点を考察することも楽しみの一つである。国が変わると恐怖の表現法も変わる。こうした現象を、優劣を決めるのではなくて見識を深める目的で比較することは、怪奇幻想文学に対する理解力を高めるためにも大切な試みだろう。それではイギリスの怪談を収録した『イギリス怪談集』は如何なものか。ブラックウッドにジェイムズにストーカー、SFの親玉たるウェルズといった世界的に有名な作家が名を連ねていて、目次を見た時点で圧倒されてしまう。イギリスの歴史を振り返ると一九世紀頃より文芸雑誌に多数の幽霊物語が掲載されるなど、怪談という分野が文芸における重要なポジションに置かれていたことがわかる。それだけに起承転結の明快な物語は然り、幽霊が引き起こす超現実の表現法には怪談の基礎が凝縮されているように映る。その中には日本の怪談に通じる要素も複数見受けられるので、このあたりを読み比べると新たな発見に繋がりそうで胸躍るものがある。

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時との戦い

*水声社(2019)
*アレホ・カルペンティエル(著)
*鼓直(訳)
 寺尾隆吉(訳)
 アレホ・カルペンティエル(本書ではカルペンティエール表記)最後の短編小説集『短編全集』の全訳版。全七編からなる『短編全集』の翻訳は複雑な過程を経てきた。最初に出版されたのは一九七七年の国書刊行会版。これはメキシコで出版されたカルペンティエルの作品集で、『短編全集』からは三編のみ収録されていた。その後一九七九年のサンリオSF文庫版『バロック協奏曲』に四編目。一九八四年集英社より刊行された『失われた足跡 時との戦い』にこれまでの四編を収録。そして、二〇一九年残りの三編を追加して、やっと『短編全集』収録作は勢揃いしたのである。全訳まで半世紀近くかかったことになる。関係者の苦労が偲ばれるけれども、おかげでカルペンティエルとしてはめずらしい短編小説に耽溺させていただきた。各作品にしかけられた時間操作は如何にもカルペンティエルらしく、時間を巧みに跳躍させた『聖ヤコブの道』の技巧的面白味などはまさにお家芸である。カルペンティエルの時間操作は難解ではあるが、その仕組みを解き明かしたときの喜びは大きい。進行してきた時間を遡るのではなく、過去に進行することで歴史を重層化させる。こうした複雑な時間構成、端的にいうなら「歴史は繰り返す」という現象をフィクショナルに表現する手法はラテンアメリカ文学に散見されるものだが、その中でもカルペンティエルは徹底している。

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けものたちは故郷をめざす

*岩波文庫(2020)
*安部公房
 新潮文庫版の絶版で入手困難だった『けものたちは故郷をめざす』が岩波文庫で復刊。意外にも岩波書店が安部公房の単著を出版するのは初めてらしい。岩波文庫入りの経緯に興味津々ではあるが、理由は何であれ安部公房作品の復刊は喜ばしい。舞台は大日本帝国とともに消滅した戦後の満州。ソ連軍と八路軍と国民軍の入り乱れていた時代である。その中、親切なロシア軍人に保護されていた久木久三は、まだ見たことのない祖国日本に憧れて出立することに。ところが乗車した列車が襲撃を受けて、寒空の下に放りだされてしまう。ここから彼は瀋陽を目指している高石塔という中国人と荒野を放浪することになる。この物語の大部分を占める放浪の場面は寒気と空腹を覚えるほど濃密に描かれていて、非常に印象的だった。雪と氷に閉ざされた荒野。押し寄せる飢餓と極寒。同行者との衝突。過酷な自然界は文明から隔絶されているばかりでなく、国家の概念すら寄せ付けない空虚さで満たされていて、現実と幻覚の境は曖昧なものに変化する。その卓越した表現法は素晴らしいの一言に尽きる。

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中国怪談集

*河出文庫(2019)
*陶宗儀(著)
 季漁(著)
 王秀楚(著)
 ジョージ・サルマナザール(著)
 紀昀(著)
 江希張(著)
 魯迅(著)
 許地山(著)
 黄海(著)
 葉蔚林(著)
*松枝茂夫(訳)
 辛島驍(訳)
 武田雅哉(訳)
 前野直彬(訳)
 中野美代子(訳)
 丸尾常喜(訳)
 林久之(訳)
 複雑な感想を抱いている。この項では辛辣な指摘をするので、ご容赦いただきたい。まず『中国怪談集』は中国の怪談集ではないと注記しておく。本書では所謂怪談らしい怪談ではなくて、ゴーストという概念を幻影・仮像まで拡大することで近現代中国文学の佳品を集めているのだ。その結果、季漁の艶笑譚『十巹楼』、魯迅の名短編小説『阿Q正伝』、集団自殺を企てる思春期の娘たちを描いた葉蔚林の『五人の娘と一本の縄』といった刮目に値する秀作が続き、六四天安門事件に関する中国共産党北京市委員会宣伝部による『人民日報』の記事で締め括られるという多彩なアンソロジーになっている。とはいえ怪談とは異なるし、そもそも編者自身怖い話をおさめる気はなかったようだ。つまり幽霊譚を期待すると確実に肩透かしを食らう。編者の主張はわからなくもない。ただ、怪談集を名乗りながら意識的に怪談を収録しないのは企画として破綻しているのではないか。中国文学のアンソロジーとしては秀逸でも、中国の怪談集としては褒められたものではないので、購入を検討している方々は要注意。一番怖いのは表紙かも知れない。

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世界の果ての庭

*惑星と口笛ブックス(2020)
*西崎憲(著)
 実は複数人の集合体ではないか。西崎憲という人は、そんな突飛な考えを起こさせる稀代のマルチクリエイターである。小説家、翻訳家、歌人、作曲家、電子書籍専門出版社の主宰者、日本翻訳大賞の創設者。文学ムックの編集長。肩書きをあげるだけで目眩を覚える。その小説家としての出発点でもある『世界の果ての庭』は、小説家リコと近世日本文学研究者スマイスの交流から始まり、イギリスの庭園、国学者の事跡、江戸の辻斬り、異世界を放浪する旧陸軍脱走兵、若返っていく病気の母親といったテーマを掲げる断章を不規則的に展開させる物語で、関連性を仄めかしながらも独立した不可思議な構成に魅せられる。熟読するとリコに各断章の起点を認めることもできるが、随所にヒントを散りばめた複雑怪奇な構造なので、本腰を入れて分析するなら紙と鉛筆を用意するなり、オフィスソフトを起動する方がよい。しかし、断章同士の繋がりを明確にする必要はないと思う。丹念に書きわけられた筆致はそれ自体に情趣があり、終焉を迎えていく物語の欠片を素直に見送ることも、本作品を堪能する重要な読み方だろう。

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〈読書備忘録〉とは?


 読書備忘録はお気に入りの本をピックアップし、短評を添えてご紹介するコラムです。翻訳書籍・小説の割合が多いのは国内外を問わず良書を読みたいという筆者の気持ち、物語が好きで自分自身も書いている筆者の趣味嗜好の表れです。読書家を自称できるほどの読書量ではありませんし、また、そうした肩書きにも興味はなく、とにかく「面白い本をたくさん読みたい」の一心で本探しの旅を続けています。その旅の中で出会った良書を少しでも広められたい、一人でも多くの人と共有したい、という願望をこめてマガジンを作成しました。

 このマガジンはひたすら好きな書籍をあげていくというテーマで書いています。小さな書評とでも申しましょうか。短評や推薦と称するのはおこがましいですが、一〇〇~五〇〇字を目安に紹介文を記述しています。これでももしも当記事で興味を覚え、紹介した書籍をご購入し、関係者の皆さまにお力添えできれば望外の喜びです。


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