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かいりさんオフ会で生まれた大切な宿題✨


夏に、かいりさんにお誘いいただき、ミニオフ会をしてきました!

自分の中で熟成させたい宿題をいただいていたので、noteを書くのが遅くなっちゃって、かいりさんゴメンなさい!><

有難いことに湖森にお会いしたいとDMをいただいたときは「お会いしたい!」と浮かれる気持ちと「初めてのガールズさんとのオフ会…!」と緊張する思いがあって大変ドキドキした心地でした💛

自問自答ファッション教室を受けられるために都内にいらっしゃるかいりさんと、なんとか都合が合いまして(湖森自身は基本暇人なのですが、こういうとき土曜日も仕事ってのは困るぜ)都内でディナーをご一緒させていただける運びとなりました。

仕事がいつも通りスムーズに終わればいいけど、何かしらイレギュラーがあると30分以上は退社が遅れたりするので、「今日は人と会う予定があるのです!」と同僚に根回し。

「デートか?デートなんだろ???」と皆に詰め寄られつつ、颯爽と退社しました。

待ち合わせ場所には先に着いたのですが、もうソワソワソワソワ…という感じで落ち着きませんでした。

何話そう?話しててつまらない奴と思われないようにしたい…!普段させていただいているやり取りやツイートのご様子から、かいりさんがとっても優しい方であることは存じてるけれども、でも、あぁ!もし万が一とっても怖い方だったらあたしはどうすればいいの…!いやでも絶対そんなはずはッ…!

みたいなことが永遠に頭の中をグルグル。

しかし、そんな不安そうな顔をして待っていたらよくないので、背筋をピンっと伸ばし、「いつでもどこからでも話しかけてくだされ!」というバッチ来いオーラを(自分なりに)放出しつつ待つ。

しかし、「今日も今日とて1日じゅう立ち仕事で脚に乳酸が溜まりましたなあ」と一瞬下を向いてかかと伸ばしストレッチをしているときにかいりさんがいらっしゃったので「ぬかった!ぬかりました!」と慌てたのだった。

事前にかいりさんからは素敵なスカートの柄など、外見の特徴をお聞きしていました。

下を向いて脚をエンエン伸ばしている私の視界のはしに、チラリとそのスカートが入ったとき、まず「なんだか視界の左上が急に眼福になったぞ…?」と思い、続けて「かいりさんだ!」と気づいた。

かいりさんはメッセージでやり取りしているときの通り、穏やかで柔らかい方だった。

顔を合わせた瞬間に「あ、絶対楽しくお喋りできるっ」と確信した。

簡単な挨拶を済ませて目的のご飯屋さんへ向かっているときに、そのことをお伝えしました🥰

私は人見知りというか、人見知りなことを隠したくて明るく親しげなキャラクターを装って初対面の人と話してしまうところがあるのだけど(そして2回めからは疲れて素のテンション。)、そんなこともなくすごくニュートラルな自分でお話しできる感じがありました。

お店についていざお食事!
どれも美味しくて、素敵なお店でしたね🤤❤️

お話ししたこと、たくさん気づきや「なるほど!」ということがあって、何なら忘れないようにメモ片手にお話ししたかった。(どんなディナーだよ)

お話しはもちろんお互いの自問自答のことについて!

詳しいことはここに書くべきではないので割愛しますが、かいりさんがご自身の好きなものについて語り始めたときの目のキラキラとギュン!とギアが上がったようなご様子がとってもとっても素敵だった。

そしてかいりさん、醸し出す雰囲気もお声も話し方も優しくてとても綺麗…。
なんというか、レースのカーテン越しに透ける柔らかい光のような方なのです。

秘かに「かいりさんが絵本の読み聞かせをしてくれるなら、子ども時代に戻って聞きてェ…その図書館には足繁く通う…」と思いつつ、お話しを聞いておりました☆

湖森は、自問自答をする上で常に悩み事としてついてまわる「飽きっぽい」「目指したいテイストがコロコロ変わってしまう・しっくりこない」をポツンと何の気なしに話しました。

そのとき、かいりさんが「『不穏さ』が足らないんじゃないですか?」と仰った。

そのお言葉に湖森の脳内には稲妻が走った!!!!!!


もうアニメだったら「ガーン!!!」という低いピアノの音が鳴り響いていたと思う。

コナンだったら私の背景を「テキリン!」(by ARuFaさん)と一筋のレーザー光線が貫いていた。

テキリン!

ホラー映画でいうならいわば死体を埋めたはずの土の中から、ズバッと腕だけが生えてきてそこからゾンビが這い出てきたような、そういう心地だった。

そう、まさに「確かに埋めたはずなのに…確かに殺したはずなのに…!」という感じ。

「不穏さ」というキーワードは【スキ考】のnoteでも長尺で熱く語っているのだが、それをあきやさんはしっかり汲んでくださり、自問自答ファッション講座後にいただいたファッションレポートにも「不穏さ」をキーワードに置いた制服案を載せてくださっている。(しかも最初の制服案、つまりは「基本の制服」である!)

なのになぜそれに土をかけていたのか…。

それはひとえに「自分の暗い部分と向き合うことができなかった・別の憧れを捨てきれなかった」から。

不穏さは好きなんだけどそれはコンテンツ(ゲームや小説)の中で楽しむ要素ってことにして、ファッションに反映させるのはちょっと違うかもな…と。
つまりインプットはしたいけど、アウトプットはするもんじゃないだろうと。世間体や人からの目もございますしねぇ。

実際には「違う」のではなくて「怖い」だったのだが。

湖森の好きなファッションやインテリアのテイストというのは、なんというか「人の善なる面しかその存在を許さない」という世界観である。

である、とか言っちゃったけど別にブランド側がそんなコンセプトを据え置いているわけではなくて、受けとり手の私が勝手に感じているだけなんだけど。

素朴だけどあたたかい部屋に一輪のかわいい花を生ける。仕事に熱中しすぎることはしないけどやるからには「プロフェッショナル」としての心意気を持ち、プライベートの充実と上手く両立しながらやっていく。家族・両親との仲は良く、一家団欒で手間をかけた食事をわいわい囲む。

とかね。

え?よくわからない?
わかりやすく言いますと、雑誌『リンネル』とか『暮しの手帖』とか映画『かもめ食堂』の世界観です。

映画『かもめ食堂』

好きなのです。好きで、好きで、そして憎い。

ムーンプランナーさんと自問自答ファッションあきやさんのコラボコンテンツにて、ムーンプランナーさんが「ヒョウ柄のスカーフが自分に噛みついてくるわけでは、ないじゃないですか。」というお話しをされていた。

家族や恋人など周りの人にいろんなことを口出しされるうちに、ファッションに対してコンプレックスや恨みを持ってしまうということのお話し。

ファッションが自分を攻撃してくるわけではないのだ。

そのお話しを聞いているとき、私は「なるほど~」と普通に聞いていた。
特定のファッションとかに対して恨みとかコンプレックスが刺激される、という経験がほとんどなかったから。

「どういう感覚なんだろう?」と思ってた。

でも、わかった。

穏やかであたたかい丁寧な生活は、別に私を責めたり攻撃したりはしてこない。
なのになのに、私はそれに憧れているとき、どこか心の奥の部分をザクザクと刺されている気持ちになるんだ。

「育ちが違う」と思う。
それは、お金持ちの家庭に生まれた身ではないから『暮しの手帖』に出てくるような(けっこうお高めの)インテリアを手にすることはできないとか、文化的な教養がないから優雅でブルジョワっぽい生活には格が合わない、とか、そういうことでは全然ない。

じゃあどういうことなのか?というと、それはうまく表現できない。

あたたかい家庭というものへのコンプレックス、素直なままでは心を保てなかったことへの自己嫌悪でしかないのかもしれない。

だからこそ、大好きなはずの柔らかくてあたたかくてのんびり穏やかなファッションや生き方を標榜して生きていると、ときどきシンシンと泣きたくなるのだ。

いま自分は自分の中の「生きやすい」部分だけを切り取って拡大して、それをスクリーンの全面に映して観ているんだろう、と思う。
それはまやかしだ、とも。

そして、切り捨てられた部分はグチャグチャっと丸めて、光も当たらないジメジメしたゴミ箱に「こんなものには何の価値も興味もありません」というような顔をして捨ててるのだ。

それが切なくって、しかたがない。

しかたがないけど、どうしたらいいかわからないし、見ないことにしたほうが都合がよいので土をかけて殺した。(あえての不穏な表現)

しかし、かいりさんに指摘された「不穏さが足らない」は自分でも薄々感じ取って、うまくファッションに織り込む方法をその時期にちょうど模索してたりもしたのだ。

「実は最近自分でもそう思って、試しに『シャイニング』や『チャイルド・プレイ』が前面にプリントしてある服とかを探したり、アクセサリーはアイデンティティということだし☠ドクロ☠の指輪をネットで見てたりしたんです。」ということを言ったら、かいりさんが超ウケてくれたので嬉しかった。

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「ぜっっったい似合わないですよね!」と言ってくれたので「そうですかね〜」と、えへらえへら照れ笑いする湖森。

教科書のようなTHE・迷走である。

不穏が好きなクセに、不穏さを表現するためにわかりやすいアイコンやモチーフに直結する浅はかさ、愚かなり。

でもわからん、不穏ってナニ?

あらためて【スキ考】 を読み返す。
やはり不穏の章での鼻息の荒さは異常

私の思う不穏さとは何なのか、今日以降の宿題とさせていただくことにした。

「かいりさんのお陰で自問自答の芽が出てきた感じです!🌱」とお伝えしたら、「じゃあ『私が育てました』っていう野菜の生産者のシールみたいなの作ってください🤭」と笑ってらしたので、

かいりさん印の自問自答の種であります!🌱


作っちゃった💛


シールにはさすがにしてないけども。

自分で描いた絵にいうのもなんだが、可愛い。
モデルさんが可愛いからである!!!

かいりさんに送ったら喜んでいただけて大変嬉しい。
noteに載せてOKと言っていただけたので載せちゃう。

背景の植物は素敵なかいりさんのボタニカル柄のバッグを模写してみました。

もう話し足りないことこの上なしだったのですが、こんなとき都内住みでない自分がもどかしい。

帰宅の時間となってしまい、名残り惜しさを感じながらもかいりさんとバイバイしました。

かいりさんより、織春さんからの素敵なプレゼントも頂いてしまい、ホクホクるんるんしながら帰宅。
織春さん、ありがとうございました!いつかお会いしたい✨

そして今度は私がかいりさんのお住まいのほうに旅行に行くときがありましたら、ミニオフ会の打診をさせてください!

さて、それからの私は行き帰りの通勤電車の中だったり、カフェでぼんやり過ごしているあいだにも自分にとっての「不穏」とは何者なのかを自問自答しつづける日々。

ハッ!と気づいたことはとりあえずスマホのメモに書き留めておくことにしました。

まず最初に洗い出したのは、好きなタイプの「不穏」が描かれている作品(小説・ドラマ・映画・ゲーム・音楽・アーティスト)にはどんなものがあったか。

【スキ考】noteとかぶってしまうものも多いけど、あらためてここで書き出してみます。

順番は思いついた順なので、とくに想いの強さ順とかではございません。

※ここから先は暗くて倫理的に問題のある作品も出てくるのでご注意を。





①エドワード・ゴーリーの作品(絵本)
不穏」というよりは「陰鬱」という言葉のほうが似合っているエドワード・ゴーリーの作品。
知ったきっかけはなんだったんだろう?もう覚えてないな。

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絵本というものは子どものために描かれたものなのだから、と思ってたけどこんな暗くて寂しくて虚しい絵本があることに驚きますよね~。

私は『おぞましい二人』がとくに好きです。
実際にあった事件に着想を得て(というか作者が描かずにはいられなかったという)いる作品なので、軽率に「好き!」と言うのもなんか違うのかもなーとも思うのですが。

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二人の男女がやっていることはとにかく「おぞましい」の一言なのですが、でも「二人」であるところに人間の寂しさと飢餓感を感じます。

作中にはちょっと18禁なシーンもあるのですが、そこがとにかく哀しくて初めて読んだときから忘れられないのです。

②リトルナイトメア(ゲーム)

I LOVE リトルナイトメア!
I LOVE リトルナイトメア!

この世でもっとも好きな作品かもしれない。
もうサウンドもBGMもキャラクター造形も世界観もステージデザインもストーリーも、すべてが堪らない!

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こういうゲーム内に台詞も言語もストーリー説明も目的(ゲームのクリア基準)も何も示されてなくて、ただそこに描かれるものからその世界観と裏設定を探る…系の作品がそもそも大好きなのです。

考察はかどる系ね。
あと死にゲー(残機という概念がなく、初見殺しなシーンが多々あるので何度も死んで各トラップをクリアしていくゲーム)が大好き。

『リトルナイトメア』はとにかく考察しがいのあるゲームです。

何も説明してくれない、なのに引き込まれる世界観。

無印のほうはジブリ『千と千尋の神隠し』にインスピレーションを受けたのかな?というのをそこかしこの描写に感じたりする。
飢餓感と暴力的な力と、それでどこかに小さな頃に外出先で親からはぐれて迷子になってしまったときの途方もない不安感を思い出させてくれる、そんな作品。

シリーズ2作目のほうは、同じ作風なのにちょっとホラーテイスト強めに寄せていて、何が違うかはわからないのに無印とは決定的に違っていて面白い。
精神科医の名越康文先生が2作品とも実況(というか解説)しているyoutube動画がスキなのだけど、シリーズ2作目のほうが精神科医目線からの考察がしやすいのかな?と拝見していて感じた。

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1作目は食べることへの飢餓感だったけど、2作目は愛されることへの飢餓感がテーマなのだろう。

2作目はよりテクニカルな感じで、いろんなメタファーがそこかしこに隠されていた気がする…といっても自力ではなかなか気づけなかったのだが。

エドワードゴーリーが「陰鬱」なら、『リトルナイトメア』は「残酷」だと言える。

私は2作目のほうが好きで、とくに好きなのはゲーム序盤で猟師の家に入るあたりで、主人公とは別の子どもが猟師の張りめぐらした罠にかかって檻の中で朽ち果てているところである。

ものすっごく残酷なストーリーがそこにあるのに、このゲームではそんなの背景の一部でしかなく、そもそも見落とす人も多い描写なのだ。

しかも最悪なのが、その亡くなっている子のかぶっている帽子を、主人公は収集要素としてパクることができるのである。(どのステージにもいろんなデザインの帽子が落ちていて、メニュー画面でつけかえるとゲーム内のビジュアルに反映できるようになっている)

最悪すぎる。
そして、制作陣のブラックさが最高すぎる。



③ゴーストハウスという概念

子どもの頃にマクドナルドのハッピーセットのおまけで(ホラーシリーズだったのだろうか?)ゴーストハウスのおもちゃがあった。

たしか紫色の手のひらにおさまるサイズのプラスチックでできた一軒家のおもちゃで、握り方を変えて振るとあるときは中から「カラカラカラ…」と何者かがいる音がするのに、あるときはまったくの無音のままというおもちゃである。
たしかたしか、ドアのところを指で押しながら振るかどうかで変えられたような?

このおもちゃは自分のものではなく(私は幼少のみぎりから大人サイズのセットを頼んでいた。ハッピーセットで腹は膨れぬ。)友達と遊んでいるときに見せてもらったのが、そのときの胸のトキメキは今も忘れられない。

なにかがそこにいる。

誰かがそっとこちらの気配をうかがっている。

その何かは日常の真ん中をピリリと引き裂いてそこから現れたみたいで、私はその感覚に胸が高鳴ってしまってたまらなかった。

私が「ゴーストハウス」っぽい舞台が出てくる作品(『リトルナイトメア』にも出てくる)に弱いのは多分ここが原点だろう。

同じくゴーストハウスが舞台ということで、しかけ絵本『ミッケ! ゴーストハウス』もLOVE。

ディズニーのアトラクション「ホーンテッドマンション」も好き。
自分の中の不穏を突き詰めたかったので、先日やっていた映画も観てきた。
コミカルさの強い作品だったので、怖いのは苦手だけどでも気になっちゃうというお子さんだったら観れるレベルの怖さだと思う。



④『ひょっこりひょうたん島』(NHK人形劇)

もはや何度も語りすぎてるので割愛。
作者の方の「絶望の果ての明るさ」という言葉は、私の中の座右の銘といったら変だけど希望の言葉。

人形劇というもの自体が怖い。
とくにNHKの人形劇は。

人形のデザインが凝っていて、また動かしている人たちの技術の巧みさにより本当に魂が宿っているように見えるからだろう。

ぜんぜん話は逸れるのだが、私が今までで一番怖かった体験を話そう。

幼稚園から小学校卒業までバトントワリング(棒を投げて踊るやつ)を習っていたのですが、発表会を前にして練習している曲を先生がカセットに焼いてみんなに配ってくれたのです。

で、そのカセットはまあ元々は先生の私物だったのか教室の備品だったのかは不明ですが、過去に入れたデータが残っていて。

残っていた音声データは、たぶん私と同い年くらいの小学生の男の子の声で、その子は自分が創作した物語を1人何役も喋り方を変えてカセットに吹き込んだようなのですが、その語りっぷりがとにかく狂気を感じるほどに延々と早口で喋りまくっていて。

内容は女の子3人くらいのキャラクターが鉄棒の練習をしながらキャイキャイ話している様子を描写していたのですが(ナレーションや地の文はなく、とにかくセリフ劇っていうの?)、少なくとも20分以上はノンストップで彼は喋りつづけていたと思う。

子どもの頃の私はそれがもう、べらぼーに怖くて。

今大人の立場でこのエピソードを振り返ってみると、その男の子のやっていることは微笑ましいのひとことなのですが、いやしかし実際に今ふたたびあの音声を聞いたら、やっぱり大人の私でもちょっとゾッとすると思う。

とにかく子どもながらにして私は「この世にはヤベー奴がいるんだなぁ」と世界の広さを知ったという話でした。

同じラジカセで当時母が好きだった、『メトロポリタン美術館』という「みんなの歌」トラウマソングとして名高い歌が好きでくり返し聴いていたのだが(この歌を聴いていると、ひんやりとした大理石の感触をリアルに想像することができて、自分の中に行ったことのない場所の情景があるのが子どもの私には不思議で面白かった)、その歌もトラウマソングとして名前が上がりやすいだけあってなかなか不穏で、なので私の中では…

ヤベぇ少年の朗読劇→『メトロポリタン美術館』→NHK(「みんなの歌」)→NHKの怖い人形劇『ひょっこりひょうたん島』

という連想グループがあって、各々が各々に恐怖の相乗効果を与えているので、まあとにかく自分的にプリミティブな恐怖感とはここに根っこがあるのかなと思う。



⑤ホラー映画

『シックスセンス』
『仄暗い水の底から』
『ヴィレッジ』
『ミッドサマー』
『KAKURENBO』

最後の『KAKURENBO』以外は、ホラー映画でありながら根底には人と人との愛の話だったり、それが得られないことの飢餓感が描写されてるなあと思う。

深いところでほんのり人肌にあたたかい、それは良くも悪くも、といった感じ。

『KAKURENBO』は子どもの頃にTVでやっているのを観て、頭から離れなくなってしまった作品。

親や庇護者のいない世界で子どもたちが戦ったり何かから逃げたり、そういう世界観が好きなのだろう。

古い作品なので結末をネタバレしてしまうが、連れ去れた子どもたち(主人公たちを含めてかなりの人数)はあの街の養分になるために機械に繋がれてしまい、彼らのエネルギーを奪うことであの街は妖しく光りつづけるのだ。

人間が無機質的にモノとして利用されてしまう、これは「不穏」というより「非道」とか「外道」というほうがピッタリくるかな。

私が漫画『メイドインアビス』の黎明卿とその娘プルシュカの関係が好きなのは、ここが起源なのでしょう。



⑥ジョルジョ・デ・キリコの絵

絵画全般にもジョルジョ・デ・キリコにも詳しくはないのだが、この絵が好きだ。
「通りの神秘と憂愁」。

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さきに挙げた『メトロポリタン美術館』の曲で最後に「大好きな絵の中に 閉じ込められた」という恐ろしい歌詞があるのだが、私は永遠に閉じ込められるのならこの絵の中がいいと思う。

高校から大学にかけて母の死を乗り越えられなくて少し鬱っぽくなっていたときは、その考えに大変心を救われていた。

この絵の中の輪回しの少女になって、夕方になって帰りのチャイムがなって友達がみんな公園からいなくなってしまっても私だけは永遠に、終わらない時間の中で走りまわっていたいと思う。今でも思う。

この絵の中に入りこむという妄想は、劇場版『ルパン三世 ルパンVS複製人間』の影響も大きいだろう。

私には絵画の心得も審美眼もまったくないが、自分がその絵を好きかどうかは「その絵に入りこみたいか、入ったらどこにどんな姿勢で佇んでいたいか」をリアルに思い描ける作品であるかで判断できる。



➆西條八十

宮部みゆきさんの小説で引用されていることが多い。
そこで知った詩人である。

「蝶」という詩は作品内でまさに引用されてたこともあり、西條八十の詩の中で好きなのだが、この詩について他の人が語っている文章を読みたいと思いネットサーフィンをしていたら、この詩を明るく愛に溢れたものだと解釈している人はわりといたりして、そのことについてとにかくたまげた。

暗さ100%の詩だと解釈していたのは、宮部みゆきの小説内でそういった流れで引用されていたからなのだろうか?
この詩って客観的に見ると、解釈の幅があるような詩なのか?

詩の感じ方は人それぞれだし、詩だけに向かい合っているつもりでもその人ごとにそこに付属する自分の記憶も正味なハナシ足されているわけで(例えば「蝶」に対してポジティブでハッピーなエピソードがある人とか)、だから解釈は人それぞれなのはわかってるんだけど。

蝶 西條八十

やがて地獄へ下るとき、
そこに待つ父母や
友人に私は何を持つて行かう。

たぶん私は懐から
蒼白め、破れた
蝶の死骸をとり出すだらう。
さうして渡しながら言ふだらう。

一生を
子供のやうに、さみしく
これを追つてゐました、と。

「親や友だちが地獄に落ちていること前提なのはひどい!」という意見も目にして、「た、たしかに…?」などと思ったりもした。

人生の虚しさとか、幻想をわかっていながら追いかけずにはいられない寂しさとか、人間なんてみんな業が深いんだから丸ごと地獄生きじゃい!とか、「子供のように」と自分で自分のことを表現してしまう痛いくらいの率直さとか、私的にはそういう風に感じられるところが好きです。

この詩の入っている『砂金』もこの機会についに手に入れました!


⑧マザーグース

たぶん大好きすぎて、これまでの人生手を出せていない。出さないようにしてきた。たぶん絶対好きなのに!

「マザーグース」という個人のおばあさんが創っている作品だと思っていたので、海外には怖いおばあさんがいるなあと思っていた。

暖炉にあたたかい灯のともる部屋で、お手製の絶品ジャムを塗ったパンを差し出してくれながら、優しくあたたかい目で(きっと小さな丸眼鏡をかけていてギンガムチェックのエプロンをしていてふくよな感じのおばあさんなのだ)、柔らかく甘やかな声で「リジー・ボーデン」の詩を読んでほしい。

秘密の呪文をそっと教える、シータのおばあちゃんのように読んでほしい。

Lizzie Borden took an axe,(リジー・ボーデンは斧を取り)

And gave her mother forty whacks.(お母さんを40回打った)

And when she saw what she had done,(そして自分のしたことに気づき)

She gave her father forty-one.(お父さんを41回打った)



➈恩田陸

私の「不穏」好きは確実に恩田陸の影響である。

小説『私の家では何も起こらない』は舞台がホラーハウスな時点でよいのだが、双子の姉妹のエピソードなど全体をとおして不吉で不穏で不気味なお話しの連続で最高。

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その他でいうと『六番目の小夜子』は、実写ドラマ版が個人的には原作小説を超えるレベルでいい。

「小夜子」という名前は『リング』の貞子を思い出させるのでもうその時点で怖いでしょう。

NHKでやっていた実写ドラマは、舞台が高校から中学に、主人公は潮田玲というドラマオリジナルのキャラクターと多々変更された設定が多いのだがこれはとてもよかったなと思う。

高校生の原作では今どきの若者らしい「さとってる感」と、でもどこかにある大人になることや社会に出る準備期間に入ろうとする高校時代を不安と幾分かの苛立ちをもって過ごしている感じがあるのだが、中学生設定のドラマのほうでは彼らの「何者かになりたい!」「たくさんの中から私が(僕が)選ばれたい!」というストレートな欲求を隠し切れない感じが、より可愛らしくて応援したくなるし、観ている側もノスタルジックな気持ちになれる気がする。個人的な話。

初めての制服、大きな文化祭、部活にも打ち込んで、そんなキラキラした風景をいつまでも思い返せる作品だ。

それは青春のキラキラではなくて、茜色に染まった校舎の窓ガラスを眺めているような懐かしくて寂しくてあたたかいキラキラなのだ。

さて。

こうして好きな不穏作品を挙げてみて、次に共通点というか「不穏」という言葉を別の言葉・表現に置き換える努力をしてみる。

その結果が、こうだ。


語られるべき物語
…「不穏」というのは私にとって「見過ごされそうな風景の中にある、観測者がいて初めて成り立つ概念」である。
そこに残された証拠に、言葉に、誰かの思惑と何かの気配が漂ってなくちゃいけない。
気配はそっと香りたつようなもので、それがどこから漂ってくるかわからないからこそ怖いのだ。
匂いはまとわりついて、逃げようとするほどにあたりじゅうを包囲して場を支配するのだから。

暗示的
…背景に北欧神話や七つの大罪や、シンボリックな何かが込められていて、「わかるとなお怖い」というのがお好みの様子。
中野京子さんの『怖い絵』シリーズは勉強する気がなくとも、面白くて読み進めているうちにそういったメタファーに関する入門的なことを知れるので楽しい。

美しいものと不気味なものの融合
…『リトルナイトメア』も『ミッケ!』も、とにかく美しいのだ。
恩田陸さんが「好きな世界観が似ている気がする」と名前をどこかで挙げられていたコラージュ作家の合田ノブヨさん、私はそれをきっかけに知った方なのだが、まさに美しいものと不気味なものが絶妙なバランスで融合した世界観だ。

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私の好きなシンガーソングライターの新居昭乃さんの世界観にも繋がるものを感じる。

現実と非現実の境界が曖昧
…まるっきりの異世界モノというのは好まない。ファンタジーが苦手なのはそういうことだろう。
ミュージカル系の映画やドラマを「突然歌い出す意味がわからない」という理由で好まない人はわりといる気がするが、私としてはファンタジー系作品は「最終的には魔法でなんとかなるやろ!」という安心した気持ちで観てしまうのであまりうまく主人公たちの気持ちに没入できない。嫌いというわけではない。
逆にミュージカル系作品は現実から非現実(ミュージカルモード)へのなめらかな移行にこそ見どころを感じる。

掴もうとするほどに逃げる
…自分の中の「不穏」、しっぽはかろうじて掴めるのに本体は依然として正体がわからん。。。と悩んでいたところ、それこそがこのテーマの本質では?と気づく。
つまり、やはり気配であって姿をもったモンスターやゾンビではないのだ。
漂う程度、視界のすみをサッとかすめる程度の存在感がちょうどよいみたい。
それをファッションでどう表現するかはさっぱりわからん、なんならこの気づきによって難易度はさらに上がったといえよう。

英国調
…なんか英国テイストなものが多い気がする。のは、恩田陸が英国びいきっぽいというかアガサ・クリスティーをお好きで影響を受けているのをさらに私が影響を受けているからだろうか?

上品で物腰柔らかくて知的で、優雅でのどか。
なのに、どこかひどく冷えていて不穏で落ち着かない。

私の持つ英国へのイメージがどこまで自分発でどこまで恩田陸発なのかは、もはやわからない。
というか、そもそもイギリスに行ったことはないのだから私の中のイメージなど全て私以外の人発なのだが。

火辻さんのおかげで、絵のテイストでいうと英国っぽい雰囲気のペン画・版画っぽいのが好きだとわかった。


▲紳士や貴婦人の手のイラストフェチ(ニッチ過ぎる!)なので、この缶のデザインにメロメロ~。というかこういう手元のファッションしてみたーい!

「柔らかい」の中に毒を持ちたい
…ふと思いついた言葉。思いついた時点ではうまく説明できなくて、なのでとりあえずという形でメモに残しておいた。
反骨精神全開!というのではなくて、ニッコリしつつも胸ポケットの内側に刃物を持ってるような感じ?
有事の際には「これが本当の“隠し包丁”だァー!」と言いながら刃物を振りかぶりたいよね。

※本当の隠し包丁はこちらです。





さてさて、次はDo(行動)してみます。

お試しで、今自分の中にある「不穏」像の幻影を追いかけてみる。

具体的なファッションアイテムを試着してみたり、作品を買い求めて手元に置いてみたり、いろいろ実物のなにかに触れてみよう。


「優しい人」ってちょっと違うかも?と思って「柔らかい人」というキーワードに変えてみる。

今年の初めに受けたあきやさんのファッション講座のレポートを読み返していて、当時の私は「優しい」というキーワードに好意的な気持ちでいたのだけど、なんだか「怒りを無理やり抑え込む」とか「自分の意見を言えない」という風に変化してきてしまった感があって。(別にもともと自分のことを優しいとは思っちゃいないんだけど、目指す像としての認識ね。)

それは自分の弱さへのコンプレックスかと思ってたんだけど、より深く考えてみるとむしろ真逆で、自分のキツさへのコンプレックスだよねって。

まあそういうワケで「柔らかい人」。

原色のカラーを身に着けるよりはもう少し当たりの柔らかいカラーを身に着けてみようと。

柔らかい色というと、16タイプパーソナルカラーでいうとミューテッドオータムとかウォームスプリングのイメージ。

まどろみの、輪郭の溶けるような柔らかさと優美さ。


16タイプパーソナルカラーを受けてみる

4タイプの診断は受けたことがあって、夏➡春➡春だった。

春とひとことでいってもそこから細分化された4つのタイプはけっこう印象も違うし、私自身も春カラーとはいえど「え?これ本当に似合ってる?」というカラーはあったりしたので、どうしても気になって受けに行くことにした。

自問自答的にも「なりたい」「好き」はよくわかってるけど「似合う」はわりと把握できてなくない?と以前から思っていたので。

理想はミューテッドオータムかウォームスプリング!

結論から言うと、ドレープを実際に当てる前の先生とのカウンセリングの時点でブライトスプリング説濃厚と言われてたのですけどね。

あ~…やっぱブライトスプリングでしたかぁ。
そんな気はしてた…。

でも、できればブライトスプリング以外がよかった!

だってブライトスプリングというのは圧倒的「」なご機嫌カラーで、不穏さも落ち着きもないからである。

先生は「ブライトスプリングさんは多幸感というのが一番のキーワードです」とおっしゃていて、多幸感?それ不穏の真逆では!!?…と心の中で頭を抱えていた。

必ずしもパーソナルカラーを守る必要はないし、それでこそ自問自答ファッション(守ってる自分も好き♡も自問自答ファッション)だから好きな色を優先してもいいんだけど、いやでもそこまでの反骨精神を示したいほど暗い色や濁った色が好きかというとそうでもないし…?

とにかくファッション初心者でセンスに自信がないので、極力似合うと好きは近くにいてほしいのよ…!という切実な思い。

実際にドレープを当ててみる。

ワンチャン秋も似合うウォームスプリングもあるのでは!?と思ったが、まあ同じイエベなのですごく似合わないということもないんだけど、顔色は黄色く濁る感じがあった。

そして結論としてはやっぱりブライトスプリング。
セカンドはブライトサマーなので、輝いてなんぼ、明るく澄んでなんぼの陽気カラー。

明るく親しみやすくキュートで爽やか

ぎゃん!

私の精神を攻撃してくる言葉のオンパレード!><

ベストカラーのドレープの束を作ってもらう。
ベビー服とか、離乳食のパッケージみたいな、なんて柔らかいカラーなんだ。

最初はもっとパキッと可愛い感じのメリハリカラーだと思っていたら、思いのほかふんわりしていて、そこは安心。

この色をした鈍器だったら殴られてもケガしなさそう。
ポヨン、という効果音で跳ね返りそうな、そういう色みたち。

ん?「柔らかい」?
ならば、わりと、アリ、かも…?

とちょっと思ったりもしつつ、オススメのカラーのメイク品でメイクレッスンをしていただく。

おぼつかない感じで塗っているのにすべてがなんかいい感じだ!

先生が「色素薄い系の外国の美少女みたい!」と言ってくれて、キャ~///と浮かれたりして。


アクセサリーで表現してみる

パーソナルカラー診断が終わったあとは急いで「東京蚤の市」へ。
最終日の、最後の数時間になんとか入場が間に合う。

その直前に初めてのサブウェイに入って、バジルソースを乗せたパンが美味しすぎてお店でのんびりしてたら乗る電車を逃してしまったのだ。

淡くて優しい色味のお店屋さんが多い。

歩いているだけで楽しいし、なんというか会場全体の雰囲気が「チル」ってますよね…(チルって言ってみたいだけ説。)

前回友人と来たときには人数待ちしてて体験できなかった「atelier coin(アトリエ コイン)」さんの真鍮リングのワークショップにも念願叶って参加できました!

ピンキーリングとしてお迎えしたよ。
トンカンするのが楽しかった。

鈍く光るアンティーク調の指輪は、たとえPC的にはピカっと輝く金色のほうが似合うと言われようとも、やっぱり落ち着くものだ。

あと、アクセサリーはちょっと自分の手が加わったほうがつけてて違和感ないかも、と感じたりした。
ので、今度はワイドリング作り(文字入れもしたい!)をやりたいなあと計画中。

とにかく「前から行ってみたかった所」に行ってみる

まずは神楽坂のカフェへ。
美味しくてお洒落で、最高の空間でクララ・ブランさんのご本が読めました。

クララさんがご本の中で、フランスではその人のもともと持っているもの(外見とか)ではなくその人の努力やチョイスを褒める(メイクやお洒落など)…というのがあってなんだか成熟した考え方だなあと感心してしまいました。

https://x.com/komori__komo/status/1723258719021285472?s=2

ビュリーにも行ってきました!
青山骨董通り店です。

画像引用元

廊下のような細長い空間に、右手には理科の実験室のような香水のフラスコがズラ~と並んで、左手には櫛やリップケースなどがガラスの中に入っていてカウンターの奥に販売員さんがいらっしゃいます。

入口からお洒落な画廊のような雰囲気が漂っていて、だけれども販売員さん達はとてもやさしくにこやかな方でした。

事前に気になっていたのは、「カサノヴァ」という名前の小さな櫛。
なんと持ち手がパンプスを履いている(HPではブーツと紹介されています)のですよ!
この愉快さと不穏さ!
(結局のところ「不穏」判定は湖森個人の感じ方次第なのだ!)

THE CASANOVA / カサノヴァ

ミニサイズの櫛なのは、口ひげや顎ひげ用でもあるから。
(※髪をとかすこともできます。が、毛量多めの人だと厳しいかも)

口ひげ用!なんか英国紳士っぽい!
(※ビュリー自体はフランスパリ発のブランド)

さぞやお高いのでしょうと思ったら4,000円台。
欲しい欲しい欲しい!

持ち手の模様の具合は個体差があるらしいので、好きな模様を選ばせていただく。
無料で高級感のあるケースもついてきて、こちらは赤とブラウンから好きな色を選べます。

私はブラウンのケースに。
今度綺麗に撮ってtwitterにあげますね。

気になっていたハンドクリームは想像より大きくてウケてしまったね。
いつか欲しいなあ。

香水もいろいろ嗅がせていただいた。
私の好みをお伝えして販売員さんが複数個オススメしてくださって、この日嗅いだ中で一番好きだったのは「イリス・ドゥ・マルト」でした。

「イリス・ドゥ・マルト」

地中海の微風にはためく清潔なリネンのような、甘美を極めた香り。可憐でパウダリーなアイリスと、神秘的なウッディノートで香り立つパチュリに、レモングラスやオレンジブロッサムの爽やかさをプラスした。

引用元

この夏のテーマが「プロヴァンスの風に吹かれて」だった身としては、地中海が出てくるのは嬉しい。
清潔なリネン、甘いくて柔らかくてパウダリー、でもどこか神秘的。
好きすぎる!

超素敵なデザインのムエットに香りを吹き付けていただいて、それを部屋に置いていたら仕事帰りに部屋の扉をあけたら大変心地よい風が通り過ぎたような錯覚を受けたので、本当に素敵な香りだ。

しかし、良い匂いなのだが「この匂いが自分からするところを想像すると?」と思うとちょっぴり違和感。
素敵な女性とすれ違ったような気持ちになれて最高なのだが、私の匂いではない気がするのだ。

いま気になってるのは「ミエル・ダングルテール」という別のビュリーの香水。

世界観が素敵すぎる。

ビュリー公式HPより

英国キター!
情景、出てくる小道具、すべてスキ…。

https://twitter.com/komori__komo/status/1726822974337216793?s=20

これは次に行ったときに嗅いでみよう。

そういえば、苔の香りの香水もあるそうでそれを販売員さんから聞いたときに驚いて「コ、コケェーーー!?」と早朝のニワトリの鳴き声みたいなリアクションをしてしまった。

ちなみにすごく苔だった。

そしてそして、念願のフエギアにも行ってきた!
ギンザシックスの店舗に行ってきました。

けっこう混んでて、というかフエギアのエリアだけひときわ暗く妖しくて「魔法薬学の授業中かな?」というファンタジーな世界観がみっちりと場に溢れていたのでビックリした。

匂い、ぜんぶ嗅いできました!

フエギアはファッショナブルで肉感的な香り、ビュリーはライフスタイルに寄り添った「身だしなみ」的な香りだなあと思いました。

そういえばビュリーの販売員さんが、ビュリーの香水は誰かに届かせるというよりも自分だけでそっと楽しむようなそういう香りだとおっしゃっていたな。(※実際の言い回しとは違うかもです)

今の私はビュリーで香水を買い求めたい気持ちだなあと思った。
いや、比べるものではないかもだし別にその2択だけなわけじゃないんだけどね。


ジェルネイルに初挑戦!

パーソナルカラー診断の先生は、正直PCを気にするのはメイクとトップス(というか胸元に来るもの)の色だけでOKでボトムスとかネイルとかは自分の心の向くものを選んでほしい!とおっしゃっていたのですけど、私的には初ネイルサロン、初ジェルネイルだし、安全パイな色で行きたいなあと思ってコーラルオレンジ的な柔らかい色にすることに。

手が明るく見えるし、心なし指も長く見えるし、何よりこの世の神羅万象何を持っても手が可愛い!
たのピ~。

すっかりコーラル系にハマってしまって、Francfrancで耐熱コップを買ったり。


自分の魅力を引き出す色でメイクしてみる

パーソナルカラー診断で教えていただいたメイク品を買い集めて、実際に使ってみた。

リップモンスターの「陽炎」もピンクブラウンの眉マスカラも衝撃の可愛さなのだが、とにかくハートに刺さってしまったのがルナソルのアイシャドウ「サヴェージローズ」。

左下のラメ入りのコーラルピンクをアイホール全体に塗ると、ぼんやりとあたたかく可愛いまぶたになるのだが、おんなじところに左上のゴールドを塗るともう、こりゃあ確かに多幸感というか、あたたかい陽射しのようでもうこのアイシャドウを塗っているときは至福のとき、といった感じなのである。

そして、私はなぜだか毎度このまぶたを眺めるたびに「祝祭」という言葉が頭をよぎるのだ。

アイシャドウひとつにこんな妄想を広げるのもお恥ずかしいのだけど、私はこれを使っているときにいつも陽射しのよくあたる春の花々が絢爛に咲きほこっているイングリッシュガーデンが思い浮かぶのだ。

地面はタイル張りで、小さな噴水もあって、どこかから紅茶の香りもしてくる。
そんな優雅なお庭が。

そして、なぜだろう。

同時にこう思うのだ。


「どこかに不穏の気配がする!!!!!!!」


と。

まったく不思議なことだ。


柔らかくて、祝福されたこのあたたかい場所なのに、どうして私の「不穏」レーダーがこんなにビンビンに反応するんだろう?

浮かれたように花たちは咲きほこって、うるさいくらい視界はいっぱいに明るくて、美味しくて素敵な香りのするアフタヌーンティーの準備は整っている。


なのにどうしてその紅茶には毒が入っている気がするんだろう?


違う、正しくは私はその紅茶に毒が入っていてほしいのだ。



絶望の果ての明るさ」が私にとっての信条だった。


でも、もしかして私は「絶望の果ての明るさ」を望むのと同じくらい強い気持ちで「明るさの中の不穏」を待ち望んでいるんじゃないかしら?


お茶会の中に潜む、不穏な気配に胸を躍らせているんじゃないかしら。

私はわかりやすい不幸や、ドクロのモチーフのような明確な闇が欲しいんじゃなくて、もっと甘美で美しい、穏やかならない「何か」を求めているんじゃないか。


それに気づかせるこのアイシャドウはすごい。


「サヴェージローズ」、savageとは「飼いならされていない野生の」という意味。
好き勝手にそこらじゅうで咲きほこる薔薇たち。

また、savageには獰猛(どうもう)な、残忍な、残酷な、荒涼としたという意味もあるらしい。


それは出来過ぎているほどに、素晴らしく「不穏」だった。


リングに言葉を刻印できるなら、まず「bloom」と彫りたいと思った。それは自分を励ますための言葉としてである。

失敗して落ち込むことがあっても自分はまだ〇分咲きなんだ!これから満開の花を咲かせるぜ!と思いたいから。



でもここでは書かなかったけど、bloomという言葉を詳しく調べたときに同じ語源を持つものとして「blood(血)」という言葉が出てきたのも不穏で気に入っていたっていうのも理由。


花のつぼみが育つのも、溢れ出てほとばしる血も「膨らむ」という意味の語源を親に持つのだ。


そして、同じ語源を持つ言葉に「bless(祝福する)」という言葉がある。
由来は、祭壇を生贄の血で清めるという昔の風習からきているらしい。


祝福された、美しい薔薇の咲きほこる庭であたたかい陽射しを浴びながらのんびりとティータイムを楽しもう。

でも、油断は禁物。

Every rose has its thorn.
(綺麗なバラには棘がある。)


魅力あるものは危険をはらんでいる。
明るさの中には不穏が潜んでいる。

棘にうっかりさわって血を流さないように。




あまりにも出来過ぎだ。
そう、怖いくらいに。

しっぽを追いかけてたつもりが、いつの間にか辺りを囲まれていたみたい。

不穏な気配はそっと香りたつようなもので、それがどこから漂ってくるかわからないからこそ怖いのだ。

匂いはまとわりついて、逃げようとするほどにあたりじゅうを包囲して場を支配するのだから。


でもそれこそが、私が望んだこの世で唯一の楽園なのかもしれなかった。













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