見出し画像

「私」を終わらせるために

noteを書くのが久しぶりすぎて、どんな風に文章を書くんだったか思い出せません!
 
今日の記事は、構成を考えずに書くタイプの記事です。
思いつくままに言葉足らずのままに、書いていきますのでよろしくお願いいたす。
 
構成を思いつけないときはとにかく時系列を追って書けばなんとかなると思うので、初めから書きます。
 
 
先日、ムーンプランナーさんとあきやさんのコラボインスタライブを見ました。
靴の大学や忠臣蔵などの名言が目白押しだった回です。

とっても面白くて何度も拝見したライブではあるのですが、私はどうもyoutubeに慣れすぎてインスタライブの動画は見づらいというか操作が苦手なので(いまだに一時停止のしかたがわからない。できるんけ?)、実のところ途切れ途切れにしか拝見できていなくて、通しで視聴することができたのはつい先日のことなのです。
 
お話はムンプラさんが自問自答の末にご購入されたお靴の話からバッグのお話に差しかかったところで、マルジェラの「匿名性」の哲学についてのお話をムンプラさんがされていました。
 
※お話の詳しい内容は実際のインスタライブを観てくださいまし。
ニュアンスが正しく伝わると思いますし、ムンプラさんの個人的なエピソードですので内容はここでは割愛しますです。
(※該当部分はライブの残り時間が18分30秒くらいになったところからです)

https://www.instagram.com/tv/CftkzBvAqh-/?igshid=YmMyMTA2M2Y=

 
「ほお、マルジェラってそういうテーマを持ってるのね」と驚きました。
 
いえ、思い返せばきっとあきやさんはtwitterやnoteだったりで過去にマルジェラに関するそういったお話をされてた(もしくはガールズさんのどなたかが書かれていた)気がしなくもないのですが、私的にはマルジェラって自分から一番遠い雰囲気のブランドなので、あんまりしっかり読んでなかったのです。

インスタライブのそのお話のところで、マルジェラの「匿名性」の話を聞いたとき、私の頭の中に浮かんだのは仏教の「無我」という考え方でした。

「無我」とはあらゆる事物には永遠で不変な実体など存在しないということ…という考えです。

自我を手放すということ、自分に対する執着を抜け出すこと。
これは長いこと私にとっての一番大きな課題でした。

私は神も仏も信じていないけど、スマナサーラ長老が説くスリランカ上座部仏教の考え方はとても参考にしています。(「仏教は宗教ではなくただの科学です」みたいなスタンスなところが好き)

大学が偶然にも仏教大学で必修科目で仏教の授業が合ってわりと身近だったからっていうのはあるんですけど、まあ何かとツライことの多い毎日をどうにかしたくて仏教のあの落ち着いた感じを求めたところがあります。

※ちなみにレペゼンのDJ社長と同じ大学だったということ先日知って「へえ~!」って思ってたのですが、調べたら完全に同い年だったのでDJ社長がストレート合格で入学しているなら同級生になりますね。まさか同じキャンパスに通っていたとはね!

仏教って「我執を捨てよ」みたいなところがあって、そこが自問自答とどう食い合わせていけばいいのか自分の中でずっと課題だったんですよね。

でも、マルジェラさんが示した「匿名性」の考え方を知って、あれ?もしかしたらわりと何とかなるのかもしれない…と私は思ったのでした。

そうして、そのときに私が自問自答ファッションをする上でとても大きな懸念事項だったことの1つが解決というか、雪解けしたのです。

※ちなみにいまこの記事、話したいことの5分の1にもまだ到達していないのでお覚悟を。

でも、マルジェラのブランド自体は正直苦手意識あった。
あのカレンダーみたいなタグはめちゃくちゃに可愛いし、お洒落だし素敵だけど。
 
ぶっちゃけね、マルジェラの哲学のひとつである「反モード」っていうのが、もう怖いんですよ。
 
あんまり人とぶつかりあいたくない、議論とかマジ無理、極力相手に合わせます…っていうスタンスの私からすると、もう「反○○」の時点で怖い。
 
〇〇のところにどんなに悪い言葉が入っていたとしても「反○○!」と言っている人には苦手意識が湧くというか慄いてしまうというか、アグリーできないというか。

あと、自分は丸顔なのでモードは絶対似合わない!
好きなれないとかではなく、向こうからしてお呼びではないだろう。

…とも思っていました。
 
しかも「反モード」とおっしゃるけども、ファッションやブランドに関して浅い知識しかない私からすると、マルジェラこそ「モードそのもの」がすごいというか「反モード」という哲学がもはやモードというかカッケーというか、「どゆこと???」感がすごいわけです。
 
※もちろんマルジェラというブランドやデザイナーの心意気について詳しく知りもせず、自分が知ってる浅い情報だけで判断しているだけの偏見というか短慮にすぎないのですけどもね。
 
それで、なにが驚きかというブランドのというものは、一般的にはそのブランドの世界観やメッセージという「我」を強く主張してこそ成立するというか、当たり前の大前提として「(ブランドとしての)個を確立する」「よそとの差別化をアピールする」というのはあるもんだと思ってたので、「あぁ!そういうブランドも存在するんだ…」と勉強になったのと、なんだかマルタン・マルジェラさんのその感性がなんかものすごく普通というか、普通の人というか、あ!人なんだな…と思ったのですね。
 
そんで、なんだかよくわからないけど、マルジェラさんに対して「ありがとうございます」という気持ちが素直に湧いてきたのです。

「そう言ってくれて、伝えてくれてありがとうございます」と。
 
私は個が欲しくて堪らなかったのです。
欲しくてほしくて、それでもその思いは結局形になることがなくて、そして疲れ果てた。

私の中の共感が得にくく説明しづらい悩みとして、どうも「自分が何者かがわからない」というものがあるのです。

ちょっと違うかな。
「これが自分だ」という確固たるものはあるんだけども、それがなんだか自分自身だと実感が得られない…といったほうがより詳しい言い方かもしれない。

急に暗い回想をぶっこみます。
人の死について描写している部分もありますので、読んでてテンションが下がることは必須なので、大丈夫な方だけ続きをお読みくださいまし。







家族の話になるのですが、私は中学1年生のときに病気で大好きだった母を亡くしています。
最後の1、2年は入退院をくり返しているという感じで、亡くなったのは入院先の病院ででした。

学校で授業を受けているときに教室の外から先生に呼び出されて「いますぐご家族と入院先の病院に行ったほうがいい」と急かされて授業を抜け出すこともありました。

そのとき、中学校の門の前で家族の車を待っているときに、国語の女の先生が何も言わずに横に立って一緒に待ってくれていて、先生が着ていた真っ黒で分厚い、足元まであるローブで私の肩を包んでいてくれたことを今でも覚えています。
それは木枯らしが吹くとても寒い季節のことでした。

※教師が足元まである真っ黒ローブ!?と思われるかもしれませんが、この国語の先生は普段から真っ黄色の上下スーツだったりとか真っ赤なスーツだったりとか、とにかくファッショニスタな先生だったのです。

進行するタイプの病で、そのときお見舞いに行ったときは会話もできず、ただただ苦しそうでした。

数日経って、ある日中学から自宅に帰ってくると祖母から「お母さん、帰ってきたよ」と言われました。

え?うそ!病状良くなったんだ、自宅療養的なアレかな?

と思って、ふすまを開けたら布団に亡くなった母が横になっていたので、心底ビックリしました。

「心底ビックリしました」でなんか軽く言ってる感じありますけど、本当に・心底・ビックリしたのです。

ギャグみたいな言い方になっちゃいますけど、ふすまを開けるその瞬間まではまさか死んでるとは思ってなかったので。

婉曲表現ヤメロ!、と思いました。

まあ祖母はその言い方で私が当然察するだとうと思ってそうしたんだと思いますけども。
ちなみに別に顔に白い布がかけているとかではなく、仰向けにただ本当に普通に眠っているように布団に横になっていました。

母が眠っている枕元に座って、どれくらい座っていたのかは忘れましたけども、祖母がいなくなった隙を見計らって、母の頬をさわりました。

そうしておいたほうが良いような気がしたのです。

泣くことも悲しみを家族と共有することもなく(根っからの根暗なのでそういうの苦手)、私は次の日からも通常どおり学校に行きました。

先生たちの友人たちも心配してくれていたけども、私はわりといつも通りの様子で過ごせていた気がします。
プライドが高いので、弱みなど見せたくなかったのです。

同情などまっぴらごめんだと思っていました。
だって、私の前で泣いてみせてそれで貴方はスッキリするかもしれないけれど、あなたには家に帰ったら「お母さん」がいるんでしょう。

私は泣けないのに、なぜ当事者でもない貴方が泣くんだろう。
なぜ私が貴方の話を聞いてあげて、最後には励ましてあげなきゃいけないんだろう。
泣き止むのを待つまでの居心地の悪さといったらありませんでした。
「私はいま何をさせられているの?」と思っていました。

私は共感も同情も求めてなどいなかったのですから。

すみません、湖森はこういうベクトルの性格の悪さと薄情さを所持しているのです。
※これはわりと母の死は関係なく、標準装備です。

私の心を占めていたのは悲しみはもちろんですが、驚きでした。

明らかに世界の見え方が母の死を前後して大きく変わっているのです。
なんかの精神的なショック症状だったのかもしれません。

目に映るこの世界が、生きているという実感がなんだかとてもフワフワしていて曖昧なのです。

目に入るものすべてがまるで夢の中のようにいるみたいに現実感がなく遠く淡く感じられて、だけれども夢の中にいるみたいにすべての姿が生々しいのです。

世界も人もこんなにグロテスクだったんだ、と思いました。
夢から醒めたのか、それとも今いるここが夢の中なのかはわかりません。

目に入るものは何もかも新鮮で、私はまるで5分前にこの世に生まれたロボットみたいでした。(過去の記憶は実際の経験ではなくデータとして覚えこまされてるだけ、みたいな『世にも奇妙な物語』のお話がありましたね、深田恭子主演の)

手に持っているはずのものはなんだかとても遠くに見える、遠くの景色はもっともっと遠くに見える。

この感覚はその中学年生の頃から、就職2年目くらいまで長いこと続きました。

しかし、その時期というのは人間が「個」としての自分を見つけアイデンティティを確立していくときです。

私も「自分」というものについて考える時間が当然長くなりました。
大学生なんかわりと自分のために使える時間が長いので(バイトはしてなかった)考える時間がもう無限にあって、考え過ぎて逆に鬱っぽくなってしまったりもしました。

大勢の人の中を一緒に歩くのが怖くて、電車に乗るのも怖くて、キャンパスから人気がなくなる夕方まで、外のベンチに座ってただただ日が暮れていくのを眺めて待つしかなかったあの日の惨めさを今でも覚えています。

母の死を受けて変わってしまうまでの自分が本当の自分(A)だとするならば、母の死以降の自分はぜんぜん違う自分(B)でした。

何歳も年を取った気がしましたし、表面上の性格は変わっていなくてもそれは演じているだけでした。

でもどれだけ願ってもAに戻ることはできないのです。
頑張ろうとしたけども、あの頃の無邪気で明るい自分にはもう決定的に戻れなくなってしまっていました。

ここにあるのは自信なさげで人を信用することを知らなくて「この世に楽しいコトなんてひとつもない」と思っているBの自分だけでした。

自分は楽しい思いをしてはいけない、幸せになってはいけないと思って過ごして、黒い服ばかりを着ていました。
長いこと喪に服しつづけていました。

でもそんな自分で生きるのは嫌だと思いました。
だから、私は新しい自分をこれから作っていかなくてはいけないと。

AでもBでもない自分、だけれども自分らしい自分として、再構築した自分(C)で生きていくしかないと。

そうして今いるこの私はCの私なのです。

この私は本物の自分であると思えるし、違和感はないです。

だけれども問題があって、この「私」には歴史がないのです。
ほかの人が生まれてからの人生すべてを捧げて作ってきた「私」という歴史が。

一本筋の通ったものがなく、断絶されていて、ツギハギでなんとか形を保ってきた私には「これが私だ!」と他人に主張できるようなものがないのです。

そうやって主張すべき場のときにどのアカウントを選択していいのかわからないのです。

Aの私が本当の私だけど、Bもまた自分なわけで、生きやすいように作ったCは一番過ごしやすいのだけど一番縁が薄い気がする。

これは「自問自答」をする上でとっても困ることで、だから私はこの問題を無視しました。

無視するというか、むしろファッションで補おうとしたのほうが正確かな?(真逆やんけ)

自問自答ファッションをはじめた頃、私が好きだったテイストは北欧系でした。
あたたかくて寂しくて、心が落ちついて頭の中がシンと透き通っている感じ。

そのあとに気になりだしたのは、英国調の品のいいアンティーク系のテイスト。

頭の中にいくつもの「私」がゴチャゴチャと点在していて、そのどれにも深い絆と時間を得られない私。

そんな私は、北欧に静寂を求め、英国に歴史を欲しただけなのでした。

だけ、ってことはないけど。
好きは好きだし。

ただなんだか足りないパーツを補おうとしているというか、外付け感があったのですよね。
だから、時間が経つとだんだん落ち着かなくなって「私にはあまりにも高すぎる理想像だ…」としんどくなってしまう。

じゃあ私は何者になればいいんだ?
取り戻すことも創り出すこともできない私は、一生「なんか違うんだよなぁ」という気持ちをお得意のポーカーフェイスで隠して生きていくしかないんだろうか、そういうファッションを選ぶしかないんだろうか。

そう思っていたときの、マルジェラの「匿名性」の話だったのです

「そっか、個を獲得しなくてもいいんだ。諦めていいんだ」とようやく安心したのです。

たぶんちょっとマルジェラさんの思う「匿名性」とは方向性がまったくもって違うかもしれないんだけど。そこは許してください。

ファッションに疎い私の、さらに生涯関わりあうことのないだろうと思っていたモード系のブランドの、ファッションデザイナーという自分とはぜんぜん違う感性で生きているだろう人の考えが、まさか自分に刺さるだなんて驚きだったのです。

「何者にもななくていい」と「何者にもななくていい」、似て非なる感情と背景ではありますが、それらをスッと包み込むマルジェラはすごいなと。

あきやさんの「着ない服を決めよう」というテーマについて、私は即答で思いつくのは「黒い服やアイテムは身に着けない」ということでした。

母の死を悼んで己も死んだように生きていた頃を思い出して怖いからで。
黒いものを身に着けたらなんとか回復して立て直してきたこの人生がまたトンネルの中に入ってしまうのでないかと。

そして、実は黒い服が苦手な理由はそれだけではないのです。

湖森は社会人になって2年目くらいに大恋愛をかまします。
「大恋愛だった」と断言できるくらいの大恋愛でした。

先に結末を言うと、その好きだった相手がちょいモードのオールブラックコーデを制服としている人だったのです。
「黒ばっかり着る人」として周囲からも認識されてるくらい、黒い服(の同じアイテム)を制服化している人でした。

私が「なんちゃって離人症」みたいな現実喪失感に悩まされていたのは就職2年目くらいまでだったと書きましたが、それはその人に恋をした日に終わったのです。

頭の中に常時立ち込めていた灰色の霧が、恋をした瞬間に一瞬で晴れた気がしたのでした。
それは母を亡くした次の日に感じた世界の見え方に対する衝撃を同じくらいの驚きを持って私の胸を突きました。

「この人と出会えてよかったなあ」と思いました。
それは今でも思っています。

まあしかし健全なメンタルの状況でないときに恋した相手だったので、その相手が同じく健全ではないメンタルであったことはわりと必然で、お互い熱烈に惹かれたり時にはいかに相手を傷つけられるかいうことで不幸なダンスを踊ることになりました。

その人はモラハラ気味だったのですね。

恋した相手が不運にもモラハラ気味だったのではなく、そういう性質だからこそ惹かれたのかなと思います。

恋をしてもメンタルはあまり回復することはなくて、あんなに大切に思っていた母をことを忘れかけている自分にも、幸せになろうとしている自分にも、そのわりあんまり幸せな恋愛ができていない自分にも、とても疲れてしまいました。

だから、「変わらなくてはいけない」と思いました。

この目の前の人を助けてあげたい・支えてあげたいという気持ちばかり空回りして、実際には傷つけあうばかりになってしまう。

ちなみに「支えてあげたい」という感情を持つのは共依存的なカップルの片側が持つものとして典型的なものなのですね。駄目な人を支えることで自分が必要とされているんだと自覚したい心理なのです。

そういう自分の深層心理を知った上で、以前とは違う自分でこの人と向き合いたいと思いました。

溺れている人を助けたいのに、私もまた泳ぎ方を知らないので二人して支え合っているんだか相手を蹴落として自分だけが救われようとしているのかわからない状態は間違っていると。

まずは私だけでも頑張って陸に泳いでいって、呼吸を整えて、そうして救助するだけの万全の準備をしてまた助けに行こうと。

その頃、職場の人と雑談で浅草の天丼屋さんが美味しいという話を聞いて、「いいなぁ~行ってみたいなぁ…」と言った私にその方がキョトンとした顔をして「なんで?休みの日に行けばいいじゃん」と言われる出来事がありました。

これが大変な衝撃でして。(私の人生、衝撃だらけ)

「え!!???!?!? 休日に? 自分の行きたい場所に? 行く?????」

え?いいの?
人生って自分で「楽しいこと」の予定を設定していいの?
楽しいことって空から降ってくるのをひたすら待つわけじゃないの?

本当にビックリしました。
私にとって「楽しいこと」とは母が用意して、母が与えてくれるものだったのです。

母がいろんな場所に連れていってくれて、小学校帰りに自分の机の上を見るといつも何かしらお菓子だったり雑貨だったり、小さなプレゼントを置いてくれていたのです。(ほんとに些細なものですよ)

だから、母がいなくなって私の机の上にはもう何も置かれなくなって、それが悲しかった。

でも、自分で楽しいことを企画してあまつさえそれを実行していいですと?

もうドキドキしながらひとりで浅草に行き、天丼を食べましたね。
一人でチェーンじゃない飲食店に入るってのもその頃はほぼ初めてだったんじゃないかな。
ちょっと老舗っぽい雰囲気のお店だったので緊張しましたが、タレがしみしみでとっても美味しかったです。

そこからは職場の人に近場でもちょっと遠いところでも、美味しいご飯屋さんや楽しい場所を教えてもらってちょこちょこ休日の日に出かけるようになりました。

あ~、もしかしたら私の散歩好きはここからきてるのかもしれないな。
私にとって散歩って「勇気をもって獲得した自由」って感じがするんだと思う。

話は逸れましたが、そんな感じで少しずつ人間性(大げさ)を取り戻していった私は、接客が求めらえる職種だったゆえに大学以降から発症していた対人恐怖症気味なところも改善され、少しずつ自分で自分の人生を明るい方向に進もうと舵を切れるようになりました。

そうして、しばらく経って「もう大丈夫だ!」と思えるメンタルになって、久しぶりにその人と精神的に正面から向き合いました。(その間ももちろん顔は合わせていましたけども)

そしたら何ということでしょう。
あんなに頭が良くて自信満々で頼りになってでもどこか小さな子どもの頃の寂しさを抱えたまま大人になったようなあの魅力的な彼が、彼に対するあの気持ちが、さっぱりと完全終了のお知らせを持って冷めきってしまっていたのです。

ちょっと待て!なんのために私は頑張ってきたのだ?
この人のために頑張ってきたのではないか?

と心の中の荷物をかたっぱしからひっくり返して彼への想いを取り戻そうとするんですけど、ないんですよねー…。
そこになかったら、ないですね。

つーかコイツただの虚勢張ってるモラハラ野郎では?
やたらと支配的なことを言って私に自信なくさせるようなこと言ってきてサンドバックにされたけど、誰よりも自分に自信がないのはあなた自身じゃなくって?

と私の中のお蝶夫人が言うのです。

冷めちゃってました。
だってもっと楽しくて明るい世界を知ってしまったから。

私にもできることがあって、自分には価値があると思うことができるから。

私の心境の変化は何も言わずとも相手に伝わっていたようで(不思議とそういう以心伝心はビックリするほどの精度を持ってお互いにありました。だからこそ運命の相手だ!と勘違いしてしまったのですけど)、私たちの両想いなんだけどお互いに片想いしているような、もっと言ってしまうと相手の瞳に映る自分自身に執着して恋しているような恋愛は終わりを告げました。

「終わりを告げました」の一言で済ませられないくらい、最後はたくさん嫌なことをされましたけど。
彼の最後のほうのこちらを呪うようなあの眼差しを忘れられません。

共通の知り合いから伝え聞いた(私が訊いたわけではない)彼のその後の恋愛の話を聞くと、いろいろ良くない意味でやっているようで、あぁ私たちがいたところは海ではなく深い深い沼だったのかもしれないなと思いました。

とはいえ、最低最悪ではありましたが「良い経験をした」と思える大恋愛の相手だったので、それなりに幸せになってほしいと思います。
というか、「幸せになってもいい」と自分で自分に思えるようになれるといいねと思います。
我々は自身にかけた呪いが一致しているだけの、ともに人生を必死に生きようとするサバイバーだったのかもしれません。

まあ今となってはどうでもよいことです。
もう会うこともないし。

とかいって少し前にその人が夢に出てきて、その日に町なかで彼の姿を見かけたので(向こうは気づいてなかった)こういうところ偶然性とかがまた「運命の相手かも!」と錯覚してしまう原因だったのだよなあと振り返りました。

「運命の恋」など、どこにでも転がっているのです。
そんなのは、どうでもよいことなのです。

こちらは私が大好きな2014年のルミネの広告。

このコピーを考えた方の、インタビューのお言葉も好き!

日常の中のドラマチックをどれだけもっているか。喜怒哀楽の範疇を超えて揺さぶられる瞬間があるか。そんな体験をしながらも、未練で生きるのではなく、前にずんずん進むパワーを持っている。それが女の子の楽しさであり、強さなのかも知れません。

引用記事

(※太字は私がしました)

ムンプラさんとあきやさんのインスタライブを観て、いろいろ考えたり思い出したりしたあと、久しぶりにこの広告を眺めてみて、ふと

「私が演歌バッグを買うなら、それはどこか悟っていてドラマチックな、黒色のバッグ以外にはありえない。」

と、思いました。

黒色のバッグ!
まさかの「絶対に身に着けない」と決めていた黒色のアイテム。

コンセプトも目指す世界観もひんぱんに移り変わる私が常に唯一、絶対不変のルールとして強いていた「黒は着ない」宣言がここまで反転するとはね!

これは「雫ちゃん現象」と言ってもいいものなのでしょうかね?

私が悲しかったのは、母を亡くした出来事はもちろんながら、価値観を大きく揺るがすほどのその出来事を自分が少しずつ乗り越えようとしている、忘れようとしているということにありました。

私が虚しかったのは、大好きな人を失ったことではなく、大好きな人を好きでいる気持ちを持った自分とある日突然サヨナラすることになったことにありました。

もしこの歌が鎮魂歌だとするなら、それはいなくなった人たちへ贈るものではなく、生まれてそして死んでいった私の中の「私」に捧げるものなのかもしれません。

漫画『ミステリと言う勿れ』の11巻で、主人公・整くんの恩師である天達先生のセリフにこんなものがあります。

僕は怖いのかもしれない
喜和自身のことより
喜和との思い出のほうが
大事になってしまいそうでね

田村由美『ミステリと言う勿れ』11巻 p.90

だから、もうここで終わらせるべきだと思いました。

愛した人たちのことを忘れない。
だけども私は前に進んでいく。

その覚悟のためのバッグが必要だと思いました。

そうなると気になってしまうのは「マルジェラの黒いバッグ」です。

前にサイトをちらっと見たときはモードで格好良い黒いバッグばかりだったので速攻でページを閉じたのですけど。茶色いバッグばかり探していたので。

サイトを見てみます。
あ~やっぱり仕付け糸の4本線かわいい!
これってなんかお喋りしてるフキダシみたいに見えません?

\  ワーイ!!!    /
   ☺

こんな感じ。
あとなんか面白いアイディアを思いついたときの「ピン!(💡)」みたいな効果音みたいなとこも無邪気で好きなのですよ~。

で、まあどのバッグもとても素敵なわけです。

じゃあどんな形のバッグ?ってなったら、ここで大切なのはマイコンセプト。

コンセプトについての自問自答は七転八倒すぎてここに書くと2万字を超えてしまうので、今度別の記事に書こうと思いますけども。

詳細を省いて結論だけ言いますと、今現在の湖森のコンセプトは

\  飄々とした【散歩愛好家】 /

なのです。

で、先日仲良しの友達と数年ぶりに会って町をブラブラしていて気づいたのですが、ハンドバッグって疲れる…!

握っているということへの脳のリソースが割かれるのも苦手ですし(どれだけ脳内キャパが小さいのか)、どこかに座るたびに置いていかないように気をつけるのも面倒ですし、片手が常にふさがってしまうのも私的にはダルいのです。

散歩愛好家としてはリュックかショルダーバッグで身軽にアクティブに動きたい。

飄々とした人なら重装備ではなく、どこへでもフラッと行けそうな身軽な恰好かな…。

ということで黒のショルダーバッグに絞って検索。

そして、出会ってしまいました。
わりと早い速度でスマホの画面をシャーっと下に送っていたのですが、「ん?なんか今すごくイイのがあったぞ?」と気づいて上のページに戻りました。

画像:メゾン マルジェラ公式サイト

見た瞬間に「あ、この人、真正面からこちらに向き合ってくるな。」と少し慄きました。

バッグを人呼ばわりも変な話ですし、「ただバッグの写真が正面だからでは?」と言われたらうまく返せないのですけど。

正々堂々と、とても静かにこちらを見つめているバッグだなと思いました。
バッグ相手にこんなことをいうのはさらにヘンテコなのですが、何かを悟っているようだとも思いました。

「あ、カバンって一個の生命体なんだな。」とそのときはナチュラルに納得しました。

ブラックホールみたいに怖かった黒が、上も下もわからなくなって自分がどんどん分解されてなくなってしまうようなそんな恐ろしい黒が、不思議とちっとも怖くありませんでした。

革は表面がヒヤッと冷たい感じがして苦手かも…と最近の自問自答で思いはじめていたのですが、この写真の具合によるもので実物はまた雰囲気が違うかもしれないけど、革だけどあたたかい感じがあるなとも思いました。

そして裏側のステッチ、かわい!!!

裏にすればクラッチバッグ持ちができるって感じかな?

このショルダーバッグを肩からかけて、黄色や緑色の鮮やかなワンピースを着ている自分が自然に想像することができました。

なんだかそれはとても自分らしいと思えました。

そうなると靴探しはまったく捗っていないんだけども、黒い靴がいいなとも。

よく履く靴の種類はショートブーツ(編み上げ風のチャック式)なので、今まではずっとダークブラウンとかのショートブーツを探してたのですが、なんかしっくりくる感じがなかったのですよね。

ナチュラルで優しくて自分の外見に馴染むのに、なんだか落ち着かない。
重み(重し)が足りないと感じていました。

マルジェラのサイトの製品はどれも背景がこのロマンティックな空なのでその影響もあるのですが、このマルジェラの黒ショルダーバッグはこの世をふわふわとボンヤリと生きている風船のような私の重しになってくれそうだなと思いました。

黒を引き立てるため、そしてイエローベースである私の顔色のためにも、もしバッグと靴を黒色にするならそれ以外の洋服などのアイテムは暗い色や淡い色ではなく鮮やかで明るい色であったほうがよいなと思いました。

目力の強いアクティブキュートタイプ(プロ診断)なので、イエベであってもわりと黒色は似合うタイプらしいのでそこは安心しました。

そして、今までは鮮やかな色のスカートを着たいと思いつつ「ただの浮かれた人になるのではないか…」と不安だった制服案想像図が黒色を置き色(なにそれ?)として設定することでなんだか臆せず明るい色を着れそうなイメージが自然に湧いて、それも面白かったです。

とはいえ、いっさい挑戦したことのないモード。
そしてまだサイトで公式写真を数枚見ただけの身。

実物をお店で試着してみたら、どんな意味であれ予想外のところはたくさんあるのだと思います。

とっても嬉しいことに2023年の自問自答ファッション講座に当選することができました。
諦めずに応募して良かったなあって思います。

だから、講座の帰り道にもし行けそうならマルジェラのお店に行ってみたい…!
洋服屋が怖くてGUと無印良品とnio and…以外では服を買わない私ですが、気になるマルジェラさんのバッグのためならたとえ火の中水の中…!(ガクブル)

そのマルジェラのバッグを足がかりに、もちろん他ブランドの黒いショルダーバッグもチェックしていきたい。可能性は無限大なり。

でも、マルジェラのバッグがもし似合わなくてもいいんだ。
演歌バッグとして購入することにならなくたっていい。

このバッグ(というかマルジェラの黒いバッグ)を試着だけはしてみたい。

この黒に包まれてみたい。

コートやストールならともかくバッグ相手に「包まれたい」なんて変な話です。
私のほうがむしろ物理的には包んでやれる側なのにね。

守っているつもりが、守られているかもしれない。
人生は、複雑です。

ということで、2023年の自問自答ファッション的目標は「黒と和解せよ」です。

「黒を着ていい」、そう思えただけでパッと視界が広がる感覚がした。
その世界はなぜだかカラフルだった。

私だけの黒。
私だけのあたたかい闇。

※「私だけのあたたかい闇」は漫画『メイドインアビス』の中で私が好きなセリフの筆頭。つくしあきひと氏の言語センスはすごい。

闇なくしては生きられない。
絶望の果ての明るさを知りたい。

私はいま母とまったく同じ病気を患っている。
それは遺伝性のものだった。

いろいろな臓器を犠牲にする(手術で取り除いた)ことで、一応進行のこととかは気にしなくても大丈夫な状況になっている。

そのことを悲しいと思ったことは、意外とない。

先日手相占いをしてもらって、「逆境に強い人だ」と診断された。

勤め先の私のことをよく見てくれている社長には「置かれた状況を前向きに捉えることができることがあなたの美点だ」と言われた。


わたしは、たとえそこが地獄の果てであったとしても、飄々と鼻歌をうたって歩いていきたい。

なぜならそれが、生まれてから今日まで唯一貫き通してきた「わたし」らしさであるからだ。




 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?