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昭和の男、好々爺になる

うちの父は九州男子で長男で後継息子。
プライドが高くて
私は小さな頃は父があまり好きではなかった。

その父が、57歳で早期に定年退職し
現在70を超えて孫を授かり、
かつての昭和の男は
全くキャラクターが変わってしまったので
今日はその話をする。

昭和の男

私の記憶にある父といえば
腹を立てると
・引きこもる
・全てを放棄する
・話合いはしない
・飛び出して飲みにいく
・帰ってこない
そういうところが嫌だった。

…が、その父が
孫が生まれてから
「コモモちゃん(娘の仮称)と
 果物狩りをするんだ〜〜♪」と
一生懸命、庭づくりをしている。

野菜は、きゅうり、茄子、トマト、モロヘイヤ、インカのめざめなどがあるようだ。夏に帰ったので収穫が楽しみ。

父の果樹園はこちら

桃。今年植えたのに実がなった。
なんとか大きくなるまで落ちないで欲しい
いちじく。大量に実がなるらしいので楽しみ。

他にも、柿、ブルーベリー、琵琶、シャインマスカットの苗木がある。
今年の夏は実家にいるので、コモモと収穫するのが楽しみだ。

ちゃぶ台返しをしていた昭和の男、好々爺になる

驚くほど柔和になっていて、驚きである。
30年前は、腹を立てて味噌汁をひっくり返していた父が
コモモ(孫)のために毎日せっせと庭いじりをしている。
庭にいる時間は真夏でも1日3時間以上。

5年前の庭(未婚で孫の予定もなく、まだ果実は植えられていない)

母は庭掃除などしないので
「俺が死んだ後に雑草が生えないように」と
草の生えないコンクリ風の砂を芝生エリア以外に敷き詰めたそうだ。
父親なりの終活をしているらしい。

私と妹は2人で
「どうしてお母さんはこの人と結婚したんだろうね」と
話していたくらいなのに

近所の親戚の家に行くと
「Kさん(うちの父)が、庭の手入れやら修理やら
 色々手伝ってくれて本当に感謝している」とか

飲み屋の仲間(笑)から色々頼られたり
ボランティア団体に毎週精を出していて
地元に友達や気に掛けてくれる人が
たくさんいるジジイになっていて
とても嬉しい気持ちになった。

私と父がとても仲良くなったわけではない。でも

面白いのが、「私と父がすごく仲良くなった」
わけではないのだ。

コモモという孫娘、
同じ対象を愛でるという経験が
お互いを見つめあっている時よりも
良い関係を作っているんだということ。

これが興味深かった。
まだたった2日しか一緒に暮らしていないから
この先どうなるかは分からないけれど。

私が実家に帰りたいと思ったのも
大切な人と
同じときに同じものを見て
感想を伝え合うような
そんな時間を持ちたい
と思ったのが
キッカケだったから
この状態は、どう控えめに言っても
幸せだ。

共に同じ景色を見て
一緒に感想を伝え合いたい

そう思ったキッカケは2年前。

2020年2月に娘が生まれて
ちょうどそのタイミングで
コロナ禍で夫がテレワークになって
一日中いっしょにコモモを育てた時期があった。

あの2年前の数ヶ月が、
私の人生の中でも
特に素晴らしく楽しかった思い出だった。

子供が生まれてから
「一番の幸せは、同じものを一緒に見て
 感想を伝え合うことかもしれない」

ということを刻み込んだ。

ただ、夫のテレワークも
数ヶ月したら終わってしまって
出勤するようになったら、
私は平日ほとんど育児ワンオペに。

ふだん夫は毎日、21時前後帰りで
わたしは平日の娘の「はじめてできた」を
共有する相手がいない。

それで、子供が生まれてからは
毎日実家にテレビ電話をして
実母に娘の成長を話す日々だった。
(毎日ってすごい・笑)

毎日、画面を通して娘を見せていたものの
コモモの成長を一緒に見て
リアルタイムで「かわいいね」と話したかった。

昨年の秋にもちょろっとだけ帰省したけれど
実家と義実家合わせて4、5日。

両親はものすごく喜んだけど
たったこれだけの日数しか顔を見せられないことに
「何のために働いてるんだっけ?」と
大いに疑問が残った。

定年後には実家に帰る
それが一体何になるのか?

夫も九州で隣県なので
彼が定年退職してから地元に帰って…
という予定ではあるけれど
大事な関係者がみんな死んだあとに
田舎に帰ってどーすんのよ、と。笑

それでこの先、5年か10年くらいは
毎年実家に戻って親と子育てをするために
毎年2、3ヶ月夏休みを作って子供と帰ろう!!
と決めた。
コモモの夏休みに合わせて、私の夏休みもとることにした(笑)

佐賀に戻ってきたのがが2022年6月11日
つい先日だった。

関東に帰るのは9月の予定
まだ詳細な日にちは決めてない。
保育園も休園料として
戻った時に枠を確保しておくために
安くない金額を支払ってきた。

難聴になった父


今日は父の話。
実は孫が生まれた2年前はすごくぶつかった。
2年前に出産で帰った時は
テレビの音や父の立てる物音が大きいと
毎日喧嘩をしてしまった。
(娘が目覚めてしまうから)

「気遣いのできないがさつな父」と思って
出産後のホルモンの関係でガルガルしていたのだけど
難聴だった。ごめんね。

自分で子供を2年育てて
そこまで神経質にしなくても子供は寝るようになった。笑

コモモが一番好きなのが、じいじ

今回の帰省で、娘が一番大好き!と
関心を向けているのが
なんと、うちの父=昭和の親父。

「おじいちゃん!どこ?」
「あ、おじいちゃんだ!」
「じーじ、いなくなっちゃった」
「じーじ、いる!」

娘が父を見つけるたびに、
ずっと歓声を上げているのを聞いて
「なんでそんなに好きなの?」と驚きを隠せない。

うちの父が娘が生まれてから2年、ずっと
「一緒に果物狩りをして食べる」という目標のために
毎日数時間、コツコツ庭づくりをしてきていて。

なんだか、その重みや想いを
コモモがまっすぐ受け取って
父に一番関心を向けてくれているのが嬉しい。
我が娘に、とっても有難うという気持ち。

もうこの2日で、娘は
50回か100回くらい
「じーじ!」
「おじいちゃん!」
と口にしているんだけど
難聴の父の耳には届いていない。

母と私が、「また呼ばれてるよ」と
教えてあげているけど
こんなに孫娘が父のことを
大好きなんだよ、が100%伝わらないのは
ちょっと切ない。


うちの夫も昭和の男

ふと気づくと、
「なんでこんな人と結婚したんだろう」という
昭和の親父にそっくりの夫と結婚していた。

平日は(疲れ切って)
・ソファから動かない
・食卓に座ったら動かない
(私は店員じゃないんですけど!となんどか言ったw)
・話しかけても返事をしない

そんな男なんだけど
私に「桃子〜♪」と猫撫で声になることは
きっと一生ないんだろうが(笑)
(付き合った当初は「桃子さん」と
 優しい感じだった。
 でもすぐ結婚したので、その期間は短かったw)

いつかコモモが孫を産んだり
コモモが大きくなったときに
夫と共に愛でる対象が増えてゆくことで
またこの人も変わっていくのだろうか

夫が定年退職でもして余裕ができたら
どういうジジイになるんだろう
と思うと、少し楽しみだ。

夫と一緒に暮らしている時は
ピリピリすることが多かったので
離れてみてよかったと思っている。

朝から長文になってしまったが

お互いを向き合って
私好みに愛してくれ!と叫ぶのではなく

同じ方向をみて
同じ対象を愛でる、という関係を
ゆっくり気長に育んでいこうと思えた話。


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