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母になって、生後2か月の娘が教えてくれること。

こんにちは。株式会社女子マネの代表をしている、中里桃子です。
2017年に独立して、コミュニティ運営の裏方のお仕事をナリワイにして独立して活動しています。
2000年の2月に娘を出産して、子育てをしていると、ゼロから生まれた人間のまっさらな感じに眩暈(めまい)がします。あぁ、可能性の塊だな!と。

この子を見ながら考えを巡らせているうちに
脳がスパークして、書きたいことが溢れてきたので
仕事について、また大人になるにつれ
いつから人は劣等感を持つようになるのか、について
考えたことを書いてゆきたいと思います。

娘が私に教えてくれること


子育てで、以前の仕事ができる時間は本当に短くなったのですが
無心で子供のお世話をしていると、仕事のアイデアがふと降りてきます。

たとえば、生後2か月の娘は

お腹が空いたとか
オムツが不快とか
げっぷが出ないとか
うんちが出ないとか

ほんとに何があっても「えーーん!」と泣きます。
当たり前ですが、なんの躊躇なく(笑)

でも大人は遠慮したり空気読んだり
相手を選んだり
シチュエーションを選びますよね。

自分の「やりたい」「これはイヤだ」を表明するのに
躊躇しまくりです。

自分がとくにそうだったので、
こうした無垢な態度にハッとさせられるんです。

人はいつから、そんな遠慮や劣等感を持ってしまうんだろう。
人に助けて!というのをためらってしまうんだろう。

こんな時代だからこそ、
「助けて!」と言えることはとても大事なのに。

とはいえ、わたしも今でこそ、助けて!と言えますし、
いまは沢山の仲間に囲まれて楽しくお仕事していますが
元々、人付き合いが苦手で、友達も少ないほうの人間でした。

学生時代からぼっち族でしたし、
就職しても仕事は続きませんでした。
(あまり書くと凹むのでこのくらいで)

そんな私に何がおこったのか、自分で整理するためにも書きました。
ちょっと長くなりますが、私の幼少期のお話から聞いてください。

幼少期:自分が世界の中心だと思っていた

1982年佐賀県で生まれて、
初孫で、親戚中から可愛がられて育ちました。
3歳になって幼稚園に入るまでは、
自分が世界の中心で、何かに躊躇するということは
ありませんでした。

しかし、幼稚園に入ると
各家庭で可愛がられてきた
王子様、お姫様たちがに入園してきます。

そこで私は、自分だけが特別ではないことを知り
「私の話を聞いてくれるひとはいないんだ」という
劣等感をを植え付けられます。


人はいつから劣等感や遠慮をするようになるのだろう

私は、思い返せば幼稚園の年少組に入った年でした。
つまり、3歳。

本には書いたことがありますが、
幼稚園の送迎バスで、はじめて会った気の強い女の子に
ガツン!とやられてから、
自分の気持ちを人に言えなくなってしまいました。

そこから「私の気持ちを言ってはいけない」と
自分に暗示をかけてしまい
気持ちを言わない子になりました。

相手を選ばず(真意を伝えるために言葉は選んで)
伝えられるようになったのは、30歳を過ぎてからです。

長っ…!!

なんの躊躇もない娘を見ていると、
この子が自分で自分に制限をかけるような
声掛けや態度はしたくないな、
のびのびと育って欲しいなぁ、と思いました。

とはいえ育っていく過程で
誰しもそうした自分への制限やレッテルが生まれてきますよね。

(通園バスに親は関係なかったですし)


会社で、◎◎キャラ、と言われるのも
その枠に自分を閉じ込めますし

学校で長らく、お前はこういう奴だ、
という扱いを受けると
自分はそういう人間だと自分でも思い込んでしまいます。


私は佐賀県の田舎出身だったので、
3歳でガツンとやられて、
意見を言わない子になってしまったのですが
その後、18歳で大学に進学して地元を離れるまで
メンバーが変わりませんでした。

そのため、私のことを
「気持ちを言わないおとなしい子」として扱う人に
囲まれて過ごしてきました。

本当はお化粧もしたいし
嫌な授業は抜け出したいけど、
周りからおとなしい優等生、みたいに見られていたので
ずっとそのキャラを続けてきたんです。

18歳で進学して、私を知らない人ばかりの土地に行った時の
解放感といったらありませんでした。

学生~20代:機能的な自分であらねばならない


就職して、20代のころは営業職だったので
「売上をあげてなんぼ、売上未達のわたしは価値がない」
という気持ちで、とにかく数字をあえる
社長にとって便利な存在になることに注力してきました。

そうしたら、ここに居てもいいんじゃないか
皆が話を聞いてくれるんじゃないか
そう思ってきました。


ただ、大人になって就職すると、また同じメンバーばかりになります。
転職もそう頻繁にはしないでしょうから
私の地元のような状況になっていませんでしょうか。

私も学生を卒業してから、就職してから
職場で求められる◎◎キャラや役割に押し込められて
またもや意見を言えない人・役割を演じる人になっていました。

なんとか脱しようと、
全く知らない人ばかりの環境をつくるための
「リセット転職」を5回か6回繰り返したところで
何のスキルもない30歳になりました。汗

友達も、同僚と無駄話するのも、無駄だと思ってきました。
だから、地方から単身東京に出てきた私に友達はゼロ。

お金は入ってくるけれども、
なんだか満たされない

でお、「もっとお金が沢山手に入ったら
幸せになれるだろう」
そんな風に思って、ますます数字を追いかける生活をしていました。

ところが、そんな生き方を見直さざるをえない転機がおこります。


人生の転機:東日本大震災を経験して

2011年3月11日
そう、東日本大震災です。

3月11日の午後、オフィスにいたわたしは
強い揺れを感じて震えあがりました。
同僚と悲鳴をあげて、ビルから飛び出したと思います。

みんなが家族や恋人、友達の心配をして
電話をかけまくっていました。

「つながらない!!」

同僚が半泣きになりながら、恋人か家族に電話をしていました。
その時、私には繋がりたいと思える友達も恋人もいませんでした。

その時の光景が目にやきついています。

あ、この状況はマズイ。
この生き方ではわたし、ヤバイかもしれない。

そう思った瞬間です。


転機2:コミュニティに出会う

そこから、生き方を変えようとして色んなところに行きました。
また、ついついスキルアップに走ったりして
2年ほど遠回りしていましたが
とうとう、コミュニティに出会います。

読書会を主催していた人に出会い
主宰メンバーに誘われることとなるのです。

当時30歳、会社では
「機能やスキル」でしか人と繋がれない自分を抜け出せずにいました。

また、求められる役割やキャラクターを抜け出せず
ウツウツとしていたところに
何の事前期待もなく、求められるキャラクターもない
自分らしくいられる場所を見つけたのです。

そこは、六本木ビブリオバトルという場になり
毎月100名以上の方が参加してくれて
会社では経験できなかった、広報や企画といった仕事を
経験することができました。

コミュニティに出会って、
まったく知らない人のなかで
新しい自分のキャラクター(なりたかった人物像)を
演じてみました。

最初は「演じる」だったのですが、
そこで知り合った人は、
中里はそういう人だと受け入れてくれたので
段々とそのキャラクターが私のなかに根付いてきました。

こんな風に、現状のシガラミでがんじがらめになった自分を
社外のコミュニティでは解放してくれました。


当時の集客や告知につかっていたFaceookページです。

会社や家庭など、既存の人間関係のなかで
求められる役割のない場所で、
自分の想いを発信できる人を増やしたい


そんな思いで、読書会の主催にはじまり、副業のまま
恵比寿や日本橋に、会員制のコワーキングスペースをオープンしました。

この場所の立ち上げにも沢山のかたに関わっていただき
4年間の運営のなかで、
延べ何千人かわからない人に遊びに来て頂きました。

どれだけの人の、あたらしい一歩を応援できたのか分かりませんが
既存の環境から一歩でて、チャレンジをして欲しい

守るべきものがあって、いきなり仕事を辞められない
優しく、責任感のつよい人にこそ
コミュニティはその挑戦のおおきな助けになるという思いで

コミュニティのつくりかたはもちろん、
参加のしかた、活用方法などを発信してゆきたいと活動しました。

その思いが通じて、2018年にはコミュニティの活用法の本も出しました。


娘をもってあらためて、このコミュニティまわりの仕事が使命だと思う


「自分なんて」と思ったのは、なんと幼稚園の頃。

そこから30歳になるまで、機能や役割やポジションで
人を惹きつけようとしていた頃はとても苦しかったんです。

私は娘がこんな風に、生きづらくなるようなレッテルをなるべく持たなくていいように育てたい。

そして、外で傷ついてきても、家庭は安心安全であれるように、

そして、外で傷ついた時に、親以外のコミュニティに彼女が関わっていることで、自分で価値観を選択できるような環境のなかで育ててゆきたいと思っています。

人生の豊かさや自由さというのは、持っているお金の多寡ではなく、選択肢をもち、それを自分の意志で選べるという状態だと思っています。

(そこにお金があると選択肢が増やせるので、お金がどうでもいい訳ではないけれど)

そして、娘だけではなく、この世の中の大人たちも、コミュニティをつくるスキルだったり、複数のコミュニティに属する=心地よく活用するスキルを発信して、心が自由な人を増やしたいと願っています。

それがまわりまわって、娘がよりよく生きられる社会をつくることになると思うから。

そんな感じで、娘のオムツを替えている瞬間に、こうしたことが一気に繋がる感じが、子育ての楽しみの一つです。

長文、お読みいただきありがとうございました。

コミュニティをつくりたいというかた、3ヶ月のオンライン+フォロー講座を5月限定で募集しています。


これからも

自分の大切なことを大切にしながら、
相手の大切なものを大切にしながら、
人とつながる生き方を追求してゆきます。


中里桃子

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