見出し画像

実家を離れて22年後に親と同居して、変わったこと、気づいたこと。

6月11日より関東の夫の元を離れて
九州で暮らしています。

一度実家を出てから実家に戻ると
かつて子供時代に親と暮らしていた頃とは
まったく違った風景がみえてきます。

絶対的な存在だった親の相対化。


親と同居していた当時は、
世界が狭くそれしか知らず
「我が家の親が正しい」
「学校の先生が正しい」と
その彼らの提示する枠組みに
無思考で従ってきました。

が、ひとたび親元を離れて
色々な価値観を知り
違うルールで暮らしてしまうと
「うちの親のここはオカシイな」
「理に適っていない」
などと考えるようになります。

これが一度家を出て同居した場合の
軋轢というか、葛藤を生む原因なのでしょうね。

もう70過ぎなのに午前様になるまで
飲み歩いて煙草もやめない父。
(週1ペースでそんな日があるw)

母は毎回、同じようにプリプリ腹を立てているけれど
私は、もうどれだけ飲みに行けるか分からないから
あとは好きに不摂生して死んでよしと思っている。笑

こんなふうに、昔は絶対的だった親の相対化。

私も現在、絶対的な存在として
娘の世界に存在している

まさに今、私も親として
2歳の娘を育てていますが
この娘にとって
世界のほぼ全ては私=お母さんであるという
事実に気づいて、ゾッとした。

いまこの時期は、娘に愛情を注ぎまくり
彼女の太陽となって(笑)
彼女の心に安心の礎を築くべく
昼夜問わず一緒にくっついているけれど

必ず、娘には「お母さんの言うことなんて聞かない」
という子になって欲しいと思う。
広い世界に出ていって
私という存在を相対化して、
一つの選択肢だと捉えて欲しい。

お母さんの生き方は、お母さんのもの。
私は、私の考えと生き方がある。

できれば学生のうちに
そういわせいられる親でありたい。

親と学校
わたしの場合

思春期に、親と学校を絶対視していた
中高時代は特に辛かった。
田舎だったし、インターネットもなかった。

唯一絶対視しがちなこの2つを
私もこれが世界の全てだと思っていたのに
そこにうまく馴染めない。
親の一言、先生の一言に
非常に傷つくという経験を何度もした。

大人になってみると、
先生も、親も、発展途上の未熟な人間なのに
密閉空間に自分と子供だけなので
自らを省みるような機会が少ない。

私はうっかり、この親や先生が正しいと
思い込んだまま大人になって、会社に入り
親や先生の代わりに、
会社や上司が入れ替わり
ずっとこの構造の中で弱い立場として
許可をもらう立場として
汲々とした10年あまりを過ごしてしまった。

そこからコミュニティに出会い
さまざまな人と触れ合う中で
従うしかないと思っていた世界が相対化された。

私が両親共に公務員だった親から
本当に親離れができたのは
34歳で会社を辞めて独立した時だったと思う。

独立は、雇ってくれている会社から離れること
私にとっては、つまり親離れの一環だった。

独立後は、運よく倒産せずに継続でき
自分がこれが正しい、と思ったことを
たくさんの人が受け入れてくれた。
私にとっては30年越しの親離れ、
この仕事自体が癒しとだった。

親離れできないとどうなるのか

親離れできていないと
①新たな神様探し、正解探しをするか、親の枠に縛られ続ける
②自分の小さな世界で神様になろうとする

①は、親と物理的に離れた場合は
伴侶や会社が拠り所になるだろうし

やっぱり親に不満があったけど
うまく決別できなかった時は
②自分の小さな世界で神様になろうとする

が起こる。(私の感覚値)

小さな世界の神様

小さな世界って何かというと
自分が家庭を持った時じゃないかな。

妻を泣かせる男がいるのも
子供に教育虐待をしてしまう母親になるのも
この「親離れ」ができていないゆえじゃないかと思う。

妻や子供に対して
小さな小さな家庭という世界の中で
絶対的であろうとする故だ。


そんなことを思った帰省の夜。

今、独立をして「教える側」をしているが
この親離れができないような生徒を作りたくないと思っている。

それに関しては、長くなるので次の記事で紹介したい。


私の人生を変えたコミュニティの
活用方法の講座を予定しています。
6月30日までは割引中。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?