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奈良に行くと憂鬱になる話①


 奈良に行くと、決まって暗い鬱蒼とした気分に襲われる。私はいつしかこれを「奈良鬱」と呼ぶようになった。
 この手の深い感傷を抱えることは、奈良に通い始めた最初の頃からあった。当時は長い帰路の途中、古刹古仏巡礼の新鮮な余韻に浸る初々しい余裕もあったため、感傷に襲われるのは家に着いてからであった。家に着いてひと息ついた途端、得体の知れぬ暗い気持ちが挿し込んでくる。何がもとになって起こる感情なのかもわからない。朝早くから東大寺や興福寺、高畑の道を抜けて新薬師寺あたりまでを巡り歩き、夕方は若草山で過ごし、夜は二月堂か興福寺の南大門跡の基壇に登ったり、あるいは猿沢池の畔に座って五重塔を眺めたりして、一日という時間の余すところなく旧都を過ごす。そして別れを惜しみながら近鉄に乗って帰路につき、ただしっとりとした幸福感に満ち溢れる。しかしその快楽も次第に消え失せ、深い絶望感が押し寄せてくるのが常であった。
 それがやがて奈良の地にいながら襲われるようになる。そして奈良通いを続けるうちに、それが死に向かう感情であることを知るに至った。特に盆地を意識されたときに起こる。夕暮れ時に薬師寺の西にある大池の畔に立ち、池越しに薬師寺伽藍と霞む若草山を眺めることがある。これはすっかり奈良旅の〆のルーティンになっている。


 傾く陽の光とともに、薬師寺伽藍はさまざまな表情を見せる。山焼きを終えたばかりの若草山は夕焼け空をよく映してやがて霞んで闇空に黒陰として消えていく。池の水のたゆたう音や、虫や蛙のなく声、薄の風に揺れて擦れ合う音などもしきりに聞こえる。その情景が好きというのではない。ただそのような絶えず移ろう風景のなかで、薬師寺伽藍だけははっきりとしているのである。意匠の巧みさから舞踏するように見える塔も、こうして自然の中で眺望すれば、広大な盆地にポツリと置かれた無機質な人工物だ。ただしそこには確かに有機的な温かみがある。築造と承継に関わった人為の膨大なるを感じるためだろうか。東塔最上層の屋根の急勾配を見ると、特に人の生きた痕跡を実感される。
 定まらない自然とくっきりとした東塔。それらを見たとき、自分はどちらに属するのであろうか、とふと考える。もちろん自然の側である。私自身も絶えず移ろう存在であり、最後は消え行く宿命を負っている。対して東塔はどうだろうか。悠久の時間を経てきた風格、これからも残っていく安定性がある。留まることのない自然やふらふらする人間とは異なり、東塔は嫌にはっきりと見える。それは東塔を造立し、残してきた人々の終わりある命と対比されるからであろうか。


 東塔はこれからも残るだろうか。東塔は常なるものなのだろうか。それもたぶん違う。造られては消失していった膨大な歴史が奈良にはある。残らなかった歴史だ。東塔はそのなかで生き残ったほんの一握の奇跡に過ぎず、興亡の定めの例外ではない。生まれてはほんの少しだけ生きて死んでいく人間が、同じ定めをもった木造を建て、そんないつ灰燼に帰すかも分からぬものを次の世代が維持しては死に、維持しては死にを繰り返してきたのだ。そしてその遺物を私は遠く眺めている。人間の営みのなんと虚しいことかと、東塔を見ると思われてくる。なぜ滅びゆくものの永遠なるを望むのか。それは先人に対する冷ややかな問いであると同時に、自分自身に対する問いでもあった。奈良の文化財は美しい。建築も仏像も、他の土地では味わえない何処かもの淋しく、達観した構えをたたえている。私と同じ宿命を背負っていながら、経てきた時間の隔たりがある。80年生きようが、20年生きようが、同じなのではないかとすら思えてくる。自分など微々たる時間を、微力をもって生きる存在に過ぎない。奈良の古寺古仏を目の前にすると、そんな気がしてくるのだった。

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