『洛外東西雑言記』第五巻第ニ話 はらいた観音


 むかし男ふたりありけり。名をば九兵衛と助八といふ。年ごろ観世音菩薩を拝み、月毎の十八日には精進にして、いみじう念じ奉けり。ともに慈悲深くして、人を哀み、悪き心なく暮しにけり。

 いづれの■*にやありけむ、観世音菩薩の縁日にて、西山の古寺*にて、御開帳あるをぞ聞きにける。三十三年に一度ある、いとありがたき御開帳なれば、九兵衛「これつとめて逃さば、三十三年のちになりぬべし。かまへて拝み参らむ。」となむ言ふ。助八もかならず拝み参らむと思ひ、心寄せつつぞある。つとめて絶起*し得ざれば、かたみにいとど念じ参りてはやめに寝にけり。

 翌朝になりにけり。ふたり常よりもはやく起き、九兵衛はねんごろに化粧をなす。朝飯を済ませ、木綿の色彩紋様いとはなばなしきを着こなし、居家を出んとするに、九兵衛そつに悶へ苦しみ、地に伏せぬ。さながら腹をかかえてかわやへすべり入りにけり。腹の痛みいとどしくあれば、子の刻をすぎ、厨子の御扉閉まらむとするに、九兵衛、助八、日ごろ念じ暮らしにける観音菩薩の御加護を念じに念じ、信心の限りを尽くしにけり。ふたりを拒み給ふかと疑心生じむとし、九兵衛の念ずる声消えぬとするに、たちまちに腹の痛み消え失せぬ。急ぎいでて観音寺へ向かふに、僧まさに厨子の扉閉めむとす。そのときであつた。観音菩薩像「あなはら、あなはら」*と御声発し給ひ、僧これを見るやいみじうあさましがりて、御扉閉め奉るをやめにけり。ふたり寺につきて観音堂に参るに、御厨子より御光差し出でて、まみのわたり端正に、頬づき口もと麗しくしてぞおはしましける。九兵衛、助八ともにひれ伏し、本意叶ふなりとなむ言ひて喜びにけり。

 これよりこの観音像をばはらいた観音となむ称し、人いとど信心深く念じ伝ふ。

*元禄写本、慶應本、以下諸本、いずれにおいても欠落している。

*かつて吉奈美川付近に存在していたとされる観音寺のことか。廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる中、廃寺に追い込まれたとされる中規模寺院。なお、説話に出てくる観音菩薩像も、打ち割られたのち周辺住民の薪になったと伝わる。

*寝坊することのたとえ。

*「ああお腹が痛い、ああお腹が痛い」の意か。


この物語は、お寺に出掛けようとした矢先にお腹を壊してしまって、トイレでお寺の閉門時間と闘うという、筆者がよくする経験を種に、さもありそうな出来の悪い説話っぽい文章に仕立て上げたものです。

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