見出し画像

沖縄県内約500社をヒヤリングして見えてきた、沖縄式ビジネスモデル1.0の考察


戦後の焼け野原。何もなかったであろう沖縄。そこからつい最近まで。いやもしかしら今でも
「内地にはあるけど、沖縄になかったもの」
をいち早く、沖縄にもってきたのが経営者1.0。

つまり、0→1の創造力・イノベーションよりも
今あるものをいかに沖縄用にカスタマイズするか?そして一気に広げるか?が成功の肝。

だから頭が切れる人物よりも、親分肌で頼りがいがあり、コミュニケーション能力に優れ、多少の問題があってもブルドーザー的に推し進める力がある経営者が、多い傾向にある。ように思う。

採用的に特徴的だな~と思うことは
沖縄初の〇〇が、軌道に乗りかけた時に、
兄弟やいとこ、義理の弟や甥っ子。同窓生の弟や、義兄などそれこそ3等親~5等親?の人たちをかき集め
(いや親戚のにいにいが成功したらしいから、あそこ行こう!と能動的の集まるケースもあったろう)
拡大していたりして、まさに家族経営。

会社の周年祭やお祝い事は、宴会場やホテルを貸し切ってやる!という文化は本当に、家族のお祝いごととニアリーイコ―ルな雰囲気だったろうから、そりゃ、盛り上がるわなー。と想像する。

で、人数が多くなると
弟にこの会社、おじさんにあの店。という感じで
フランチャイズや連結決算会社という発想ではなく
のれん分け。という感じで、別れていったケースが多いように思う。だって、家族だもん。FC契約書みたいな分厚い契約書をつくって印鑑押させる発想にはなりにくかったんだと思う。

そして家族だもん。
「そろそろ、にいにいのところじゃなくて、自分でもやりたいわぁ」
と言われたら、親分肌のにいにいは、むしろ喜ばしいことだと捉えただろう。

そんなこんなで、先代、先々代までは1つの会社で、なんとなく社名は似ているんだけど、今となってはライバルのような親戚のような関係の会社や業界が多いかな、と。
#本土から来た人はここら辺の地雷を踏む

つまり黎明期の沖縄企業は、採用ということ自体やってこなかった。それでも親戚や同級生中の、気の合う人、優秀な人が一旗揚げれば集まってきたんだと思う。
ある種それはそれでレンアイ型だなーと思っている。

今の沖縄の人材不足、採用活動って戦後以来初めての経験なのかもしれない。
そのくらいの理解観を前提に日々、沖縄の現場の採用をサポートしていってます。

家族って良くも悪くも、ややこしい。法律やお金だけの問題じゃないもんね。
#写真はりゅうぎんさんの資料館にあったうわさのB円

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?