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新聞部の想いとお誘い


11/8(金)にNサロン新聞部のワークショップが予定されたと聞きました。
部活という閉じた空間で完結するのではなく、こうやってオープンになるところまで来たんだ。
ちょっと嬉しくなり、かなり久々のnoteになりますが、告知のお手伝いを綴ります。


あらためて。
こんにちは、イッシーと申します。

新聞部の発起人であり、初代の部長です。。。。が、
さあ、これからもっと!と意気込んでいたタイミングで、図ったかのように転勤を告げられます。
金融の宿命…遠方にぶっ飛ばされたため、今はいったん黒子として遠くからサポートしています。
(現在は2代目「エビちゃん」が熱量を維持・加速させながら部を盛り上げてくれています。)

えっ、、、新聞て、あの?
あ、、ハイ、それです。
いやいやチョット、、、
なんていうやりとりがまだまだ多勢、、

うーーん、でも。。。。
せっかくNサロンというご縁。
部の名前は聞いたことがある。日経新聞…少しだけ気になる。
そんな方はこの機会に是非覗いてみて欲しいのです。


新聞は読まないけど読みたい
今何が動いているか知らないけど知りたい
経済はハードルが高くてなかなか飛び込めない
そんな気持ちがむしろ活きて混ざり合う場として新聞部はあります。

「赤信号みんなで渡れば怖くない」
日経新聞を目の前にすると心のブレーキがかかるのは、むしろ前提条件。
この機会に、そこをみんなで渡ってみませんか。


で、どんなことをやるのか


新聞部の活動は「本来1人で読むのが当然の新聞をみんなで読む」
言ってみれば、たったそれだけです。

まず新聞にざっと目を通して、自分が気になった記事をチョイス。
そこに自分なりの経験や意見、今後の想定などを加味して紹介していきます。
したがって、本番まで目を通していなくても、予備知識なしでも全く大丈夫。
皆の紹介が終わったら、ディスカッションしながらグラレコをして皆で共有していきます。

なーんだ、それだけかい!
、、、ですよね?笑

もちろん、大事な肝が一つありまして。
強いてこの新聞部の特徴と言えると思うのですが、

それは、記事どうしの「繋がり」を探るということ。

そんな一風変わった視点を、メンバーみんなで共有しながら新聞に取り組むという特殊性が新聞部には存在します。単なる読み合わせではなく、その背後にあるものに意識的に目を向けていく。そのことが新しい気付きを生み出し、楽しみを感じてもらえているポイントにもなっているのではないでしょうか。

つながりについて

このキーワードはこれからの時代にとても大切な要素だと思っています。
連想されるのは人と人との関係性からくるその言葉なのですが(もちろんそれは大事なのですが)ここではあえてイノベーション的な観点からです。
調子に乗ったおおごとになってきてますが、マジメにそう思うのです。

散々言われ尽くされていますが、これからの時代は
そこにある仕事はテクノロジーに取って代わられ、ルールを変えられ。
モノが陳腐化するスピードが圧倒的にはやくなって。
・・・以下略
が概観となっています。

それに対応していくためには、何かを生み出す力が必要となります。つまり、各個人が大なり小なりクリエイター的素養を備えていることを求められていきそうな気がしませんか(というかそんなことが本に書かれていました)。
まず何より自分にそれがないのが非常に恐ろしいのですが。

でもそんな新たなものを表出させるクリエイターのようなセンスの塊みたいなものになろうと思ってなれるものなのでしょうか。
自分は「にわか」なら可能ではないかと考えますし、そうであって欲しい。

それは「イノベーションはかけ算だ」という側面があるからです。
頭の中で、数字ではなくモノゴトとモノゴトのかけ算ができるようになれれば光が見えてきそうです。

例えば有名な話だとスマホ。すでにある日本製の部品で作ることはできたのに、その発想がなく、代わりにスティーブさんがかけ算を教えてくれました。あとは「速い馬車をいくら考えたところでクルマは生まれない」的なものもイノベーションの本質を突く良い表現で大好きです。


大きい話すぎますか・・笑
では「肉」に「砂糖」なんてどうでしょう。(これだけで聞くと・・・気持ち悪・・)
どちらもすぐそこにありますが、かけ算に至るまでには距離がありそうです。

でも、あれ・・・「すき焼き」?
これも立派なイノベーションのような気がします。新たなレシピはどんどん考案されるし、野菜が消費される選択肢が増えたし、何より家族が団欒になるし。

「新聞」×「読書会」×「グラレコ」
さらに言ってしまえば、新聞部自体がかけ算の結果です。
もしも、部を楽しんでくれている人が少しでもいて、中には何か転機になったなんていう人がいて、その場が必要で求められるものとなるのであれば、小さな小さなイノベーションと言えるかもしれません。


でもです。逆に言えば、各項に入れるものをそもそも知っていなければなりません。やはりどうあがいても、無い袖は振れないもの。しかも化学反応が目新しさや新鮮さを得るには、代入するものは奇抜なものだったりするかもしれません。
だってそうでないと他の人が日常的に思いつくものと相違なく、すでにありふれているものになりそうですから。

とはいうものの、横に広げた知識に触れようとしても、日々の仕事とその鬱憤を浄化するための趣味にほとんどの時間が費やされ、なかなか意識的に枠の外のことに触れられない。そこを埋める時間としての新聞部となれればとても意味深いものになります。

こんな風に参加してもらえたら

当たり前で、何を今更なのですが。グループになった皆さんはライバルではなくチーム。降って湧いたしょうもないイメージなのですが、「無人島に残された人々」を想定してください。

無人島では、生きていくために自分が所有しているもの、知識、経験。何でもいいから、使えるか使えないかはさておいて、ありとあらゆるものをとりあえず一旦表に差し出します。
そんな風に、ご自身の考えや経験をどんどん差し出して欲しいと思います。こんなのもあるよ、と。皆さんのアウトプットが重なると、そこに繋がりや発見、気付きがどんどん生まれてくる気がします。

そして今度はきっと新聞部で得たものがプライベートや日常のシーンで何かと繋がって発火するのではと期待を持っています。そんな還元ができればベストです。

お礼と締め

これまた個人ワークに続いて(こちらについては後述)
新聞部も声をあげた当初の反応がイマイチで、部を立ち上げたことを後悔したくらいだったことを思い出します。

なので、やっぱりこうやって取り上げてもらえることは、とてもありがたいことなのです。ただ、それは何より部が熱量を維持しながら進んでいるおかげ。こういったものはいくら仕組みを作ったとしても、強引に求めたとしても、自然発生に委ねるしかないもの。
だからこそ、バトンを引き継いでくれた現部長のエビちゃんを筆頭に、自分が面白いと思った新聞部の楽しさや価値をしっかり汲み取って参加してくれている一期からのメンバーには本当に感謝です。


そしてお会いはしたことないものの、2期から新聞部にタッチしてくれている方々。皆さんのnoteを陰ながら拝見させてもらい、さらに火をくべていただいている様子がイキイキと伝わってきて、とても楽しませてもらっています。(いつかお会いしたい!)

これほど良いバランス感に自分が遠くから見つめているしかないことが実に歯がゆい笑

さてさて。
11/8(金)にNサロン新聞部のワークショップ
よろしければご参加下さい!







、、、、ひとまとめしましたので、引き続きウダウダにお付き合いいただける方には以下も是非に。かなりしっかり書きました。もっともっと本質的なトコロです。

※余題:すこし振り返ってみると


実は、ワーク自体は何よりも自分の課題解決の一環として考え始めたものなのです。
新聞を読んで(本でも同じなのですが)その時はフムフムとしていても、後から引っ張り出すことができないし、いつも単調な発想しか出てこないしで、毎日読んでいて身についていってるのだろうかと懐疑的になっていました。
いろいろ試しているうちに、ひょっとすると読書会のように1人ではなく、複数で読むことで、より刺激が増えて記憶に残るのではないか。自分の記憶のために人を巻き込むという暴挙が発進元です。

雛形を考え、ちょうどサロンがスタートする直前に個人的にワークをやり始めました。当時自分が利用していた自習室はメンバーなら誰でもイベントができるとのこと。いつも参加側の自分が人生初、他人の大事な休日の2時間を頂く側に回りました。
結果2回だけ実施したのですが、それも自習室のスタッフがかなり気合いを入れて人を呼んでくれて1日2人笑。。。「新聞」とはこんなに敬遠されてしまうものなのかと初日の2人が黙々と記事を読んでいる間、晴れた空を仰ぐしかありませんでした。

ただ、終わってみると反応は割と手応えがあるもので、ニーズや発信を続けていく意味がありそうだと分かりました。それだけではなく、ディスカッション中に会話が弾み、良い意味で記事の内容から脱線して、結果さらに深い見識を得るなど、新聞はもはやコミュニケーションツールになるのではと新しい可能性を垣間見ました。
そして、これはせっかくなのでサロンのメンバーにも共有したいと始めたのが新聞部です。


個人ワークから部としてのワークを構成するにあたって、特に意識したことが2つあります。

それは、
1:新聞を「読む」だけでなく、なるだけ身体をフルに使いたい。
そうすることで記憶や意識により強固に定着させて「ちゃんと使える」ものにしたい。


そして、
2:いろんな立場、いろんな知識量の人がみな一様に楽しめるようにしたい。
ということです。
それらが、部の間口を広げて、かつ継続性を持たせるためには必要条件と考えました。

で、これをどうやって反映させたのかといいますと


1においては、
限られた時間の中で、なるだけメンバー全員が何かしらのプロセスに触れている状況を作ることをとても意識しました。傍観者は避けたかったのです。

記事を「目」で読み
→発言するために「頭」の中で咀嚼し
→実際に人前で「口」に出し
→今度は相手が話している内容を「耳」で聞き
→その場が「心」を通わせられるようなファシリテーションを行い
→「手」で図を描きながら『繋がり』を探る

新聞を全身で読むと言ってしまうと大げさでしょうか笑

その上で生まれたファシリテーション役やグラレコ役などの役回りも普段そう機会が多くあるものではなく、そこからも新鮮な視点や気づきが得られる気がします。

2については、
1のようにワークがある程度固まってきた上で、「こうしたワークを行う新聞部は参加者の皆さんにとってどういうギブができる場になるんだろうか」と考えてみました。

そうしたところ、個人的には『心理的安全性をもって経済をディスカッションし、個人の横展開を創る場』になっていると嬉しい。という結論に至りました。

心理的安全性を新聞部の中に作る。そのためには「経済を語る場なんて、専門知識を持った人たちこそ集う場」ってものを何とか消したい。さてどうしよう。。。。

、、、実際は特に何もしなくても大丈夫でした。

なぜ、サボって何もしなかったのに、新聞部は受け入れる雰囲気が生まれているのだろうか。

それは、この部が
「安全性と多様性が共存できる場所」だからです。
経済の知識の有無ではなく、1人1人の個人を尊重する空気が生まれるからだと思うのです。

これは上滑りな言葉で繕っているわけではありません。実際に有利に働くからです。
メンバーが自分の関心のある記事をチョイスするということは、
多様性が発展するほど、より広範囲で活きた知識を参加者から吸収できるというメリットが働きます。

それぞれの業界で実際に働いている人にしか分からない記事
高齢者にしか実感できない記事
年金生活者しか語れない記事
障害者だろうと、失業者だろうと、テーマが環境だろうとLGBT、外国人でも
体験や経験の提供者という点ではそこに集うメンバーは皆平等となります。
もう皆が主役なのです。

(自分の心の中では、いつかおばあちゃんとクリエイターと農家と大学生が新聞を挟んでコミュニケーションしている画を夢見ています笑)

心理的安全性が土台として成立している場だからこそ、そこでは新鮮な活きた情報や発想が飛び交います。
参加者それぞれの普段の生活圏の範疇外の内容が、自分ごとになるくらいまで近づく機会が何度も訪れます。
顔が見えるメンバーからの活きた知識だからこそ自分ごと化できる。
これが横展開と言っている部分にあたります。

ここまでくると新聞は単なる知識の源泉ではなく、もはや立派なコミュニケーションツールではないでしょうか。
新聞部と謳っているわりに、新聞はむしろ脇役になるくらいが丁度いいのかもしれません。

最後に

ところで、考えてみたらこれだけテクノロジーが発達し電子化が進むなかで新聞部のようなアナログなところに、どうしてみなさんが興味を示してくれるのでしょうか。
それはいくら数秒のあいだに何万の記事を検索して「量」を支配しても「質」に転化できているという手触り感がないからではないかと推測します。
新聞部の行く先は「アナログの復権と文化水準の底上げ」・・・なんつって
そしてグ○グルに真っ向から・・・
おっと、ここまでのようです。



さてさてさてさて。
11/8(金)にNサロン新聞部のワークショップ
よろしければご参加下さい!!


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