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英語読み? ラテン語読み? ウェストファリア はドイツ語読みではありません

ノルトライン=ヴェストファーレン州(Nordrhein-Westfalen)にある街、ミュンスター(Münster)。1648年に近隣のオスナブリュックと共にウェストファリア条約が締結された街です。

17世紀ドイツ、宗教改革の後にプロテスタントとカトリックとの対立から宗教戦争が起こります。ところが、当時の欧州諸国の情勢からハプスブルク家に対するブルボン家の抗争に発展、カトリックのフランスが反ハプスブルクとしてプロテスタントを支援、北欧プロテスタント国のスウェーデンまで介入してくるという政治的で国際的、さらに長期的な戦争へと変貌していきます。

三十年戦争(1618-48)は「最後で最大の宗教戦争」ともいわれるほど苛烈なもので、ドイツの人口の20-30%、400-800万人の死者(被害地域の捉え方含め、諸説あり)を出したと言われています。いずれにせよ、後の近代化を妨げるほどドイツ全土が荒廃。

ドイツ南部にあるロマンティック街道のルート上にも、スウェーデンの道(Schwedenweg)という当時の行軍の跡が残されています。

結果、ハプスブルク家は大きく力を失い、フランスが絶対君主を強めた大国へと歩んでいきます。

1648年に結ばれた講和条約、ウェストファリア条約はミュンスターの市庁舎にある平和の間で締結。
ミュンスターとオスナブリュックの市庁舎は2015年にヨーロッパ文化遺産ラベル(European Heritage Label)に認定されています。

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ドイツ語、ドイツ文学を勉強された方なら、ベルトルト・ブレヒトの戯曲「肝っ玉おっ母とその子どもたち」(1939年)をご存じでは…
この作品には、三十年戦争を背景に、子供たちを戦争に奪われながらも、戦場を荷車を引きながら巡り行商を続ける女性、戦争を憎みながらも戦場を糧に生きていくしかない人々の姿が描かれています。

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さて、ミュンスターの市内を散策です。

聖パウロ大聖堂

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聖ランベルティ教会

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お城もあります

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郊外にはミューレンホーフ野外博物館。
風車や鍛冶屋等、17-18世紀のミュンスター地方の昔の村生活が再現されています。
近くには菩提樹のプロムナードや湖もあるので、自然に囲まれてのんびり過ごすにはもってこいですね…

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(2001年の回想録: 写真はフィルムカメラにて撮影)

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