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カレーじゃない、ビリヤニなんだ。

ビリヤニが好きです。

2020年11月現在では、Googleで検索すると「ビリヤニ」は178万件、対して「カレー」は2億1600万件ヒットします。Amazonの書籍では「ビリヤニ」は9件しかヒットせず、タイトルには「ビリヤニ」の文字は含まれません。「カレー」の書籍は3000を超えており、「ビリヤニ」のレシピはかろうじてカレー本の中にそっと登場する時がある、くらいの存在感です。

経験的にも、知名度レベルをカレーと比較したらおおよそ1:100というのは、なんとなく「そんなもんかなぁ」という気がしています。最近は一部メディアで「ビリヤニがブーム爆発中」なんてのもたまに見かけるようになりましたが、実際のところ一般市民権を得るにはまだまだ時間がかかるでしょう。

なぜビリヤニなのか

カレーも好きなんですが、ビリヤニはとりわけ好きです。比較したら好き、というよりも、一つ次元が異なるレベルで好んでいます。

調理プロセスはカレーと同様の部分が多いのは確かなのですが、別途ライスや調理した小麦粉(ナンやチャパティ等)などと合わせて食べるおかず・ソースのような位置づけではなく、米と一緒に炊き込んだ一つの完成品としての美がそこにあると思っています。完成度の高いミールスのように、様々な要素の混沌と調和が意思を超えてバランスされている状態です。その点では、カレーとはそもそも比較の軸が違う、と感じています。

ミールスは一つの様式として認知を深めて来ていますので、「様々な要素」が自然と生まれるメリットがあります。ですがビリヤニは、ビリヤニ的な味の一品料理としての認知ですので、線引きがしにくく「何がビリヤニなのか?」という定義がどうしても曖昧になります。

この定義は、恐らく人によってまちまちになると思います。しかし私にとって重要なのは「様々な要素の混沌と調和が意思を超えてバランスされている」状態です。私はこれを「曼荼羅(まだら)」と呼んでいます。

なにがビリヤニなのか

ビリヤニの定義は、日本ビリヤニ協会のそれが現在はもっともメジャーでしょうか。

しかし胸に手を当ててみると、スパイスの数や豚肉の有無よりも、自分の中にはもっと重要視している要素があるような気がします。ですので、「何がビリヤニなのか」よりも「何がビリヤニではないのか」という観点から紐解いてみます。

うそビリヤニはビリヤニか

うそビリヤニは美味しい食べ物です。でも自分の中で、本来ビリヤニに求めたい「曼荼羅」を感じることは難しい、と感じています。

これは、うそビリヤニは、時に使う米が異なることにより、香りや食感のような大きな要素が欠けてしまうことや、油を使って炒め合わせることにより全体が一気に調和の方向に流れてしまい、まとまりすぎてしまうことに起因しています。

個性が個性としてしっかり主張して、時にはぶつかり合いながらも全体としては一つの鍋・皿・宇宙に収まっている状態に、どうしてもならないのです。もしくは工夫を凝らせばあるいは可能なのかもしれませんが、そういった場面にまだ出会えたことはありません。

プラオはビリヤニか

違いが曖昧だったり、簡易版ビリヤニとして紹介されるプラオですが、ビリヤニ太郎氏(日本ビリヤニ協会会長)の比較が一番わかりやすいように思います。

ビリヤニでも生米式がある、という点では確かに線引きは難しいように思うのですが、スパイスを筆頭にした「使う要素の数」や、生米から全体を炊き込む調理法で、やはり混沌不足や調和の方向に流れやすく「曼荼羅」が生まれにくい特徴があります。

また、意図的にプラオを調理する場合は、ビリヤニのそれに見られるような「曼荼羅」をむしろ目指さない意思もあるように思います。それは調理工数の簡易化であったり、目指す味の方向性(子供の舌に合わせるなど)であったり、いくつかの目的を伴っています。

私にとってのビリヤニは「曼荼羅」を体現した米料理、と言えます。そのためには、調和に倒れこみすぎないことが必要です。

至上の「曼荼羅」を食らうために

混沌不足は曼荼羅にあらずと書きましたが、調和が不要な訳でもありません。それぞれの要素の質が高かったり、時にはみ出した要素が他の要素も合間って最終的にはまとまるダイナミズムが重要です。

これは、ビリヤニでよく表現される「食べるところによって味が違う」という字面がまさに相当します。それぞれの個性を光らせ、なおかつ総合的なエンターテイメントを成立させるためにはどんな組み合わせが良いのか。どういう個性を引き出したり、あるいは抑えたりするのが良いのか。食べ手を交えた、作り手の意思の超越をどんなところに仕掛けておくのか。

この混沌の指揮こそが、ビリヤニを作っていて最も楽しいところだと思っています。個性派揃いのクラスの担任、猛獣だらけの動物園長、ブレーメンの音楽隊のような感じでしょうか。だから、私がビリヤニに求めるものは、たとえ調理方法に似通った部分があるとしても、カレーのそれとは違います。

とまぁ、思いのたけをつらつら書いてしましましたが、じゃあ具体的にどんなことをするの?という点については、今後また別稿で書いていきたいと思います。

書いていたらお腹がすいて来ました。急に食べたくても作るのには時間がかかってしまうのがビリヤニの問題点だなぁ、なんて思いましたが、よく考えたら自分で1時間レシピ書いてたのを思い出しました(ゼロスタートで1時間後に食べられます)。

炊いて来ま〜す。

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