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編集者の視点で、生物学を見てみたら。異色のネコ研究者・服部円さんの軌跡と探求

世にネコ好きは多けれど、ネコの研究者となると、意外なほど少ない。国内では飼いイヌより飼いネコのほうが多いにも関わらず、その生態はイヌほどに解明されていない。そんな謎多きネコを研究の対象と捉え、ファッション雑誌の編集者から研究者の道に進んだ異色の経歴の持ち主が、本稿でご紹介する服部円さんです。

現在は、京都大学野生動物研究センターに在籍し、ネコの行動や生理に関する研究をしながら、『文化と生物学』という新メディアを立ち上げた服部さん。ネコをきっかけにしたご自身の活動の変遷や、今後の取り組みについて、お聞きしました。

お話を聞いた人:服部円さん

編集者・大学院生。ズカンフ〜ザッシ『文化と生物学』編集長。武蔵野美術大学卒業後、ファッション誌の編集者をしながら2011年にWEBメディア「ilove.cat」を立ち上げる。2021年、麻布大学大学院獣医学研究科動物科学応用専攻博士前期課程修了。現在は京都大学大学院理学研究科に在籍し、同大野生動物研究センターで、ネコとヒトとの関係について研究を行っている。




パリコレ取材から、学会参加へ

「飼いネコさんの写真を集めています。ただし、真正面から捉えた真顔のものを」。2019年の夏、Instagramでそう呼び掛けた服部さん。募ったのは、かわいい飼いネコの愛くるしい表情ではなく、真顔。いわばネコの証明写真です。国内外から届いた2000匹を超えるサンプルなどをもとに「人間との関わりに伴う、ネコの顔形態の変化」をテーマとした論文を刊行しました。

「発表直後に、スイスの研究者から問い合わせが来たりと、海外からも反応があってびっくりしました。現在は学会などで発表を行いつつ、新たな研究も並行して進めている状況です。先日は国際学会に参加するためポートランドへ。コロナ禍のため、久しぶりの海外渡航だったのですが、前回は8年前にパリコレ取材で行きました。突然なんのことかと思われるかと思いますが……実は数年前まで、全く別の仕事をしていたんです」

2022年に発表された論文。集まった写真の一部はInstagram@nekokao2019で見ることができる。 Hattori, M., Saito, A., Nagasawa, M., Kikusui, T., & Yamamoto, S. (2022). Changes in Cat Facial Morphology Are Related to Interaction with Humans. Animals, 12(24), 3493.  https://doi.org/10.3390/ani12243493(英文のみ)


ネコを通してヒトの本音が見える

服部さんは、数年前まではファッション分野を中心に活躍する、フリーランスの編集者でした。子どものころからファッションに憧れ、美術大学へ進学。その後は『VOGUE NIPPON(当時)』といったファッション誌などいくつか編集部を経てフリーランスに。そのままファッション業界で仕事を続けるかと思いきや、いつしか全く別の場所に辿り着いてしまった、その原因がネコでした。

「例えばアルバムを発売したミュージシャンに取材するとしますよね。その方がネコを飼っていると、『かわいいですね』と話が弾み、雑談が盛り上がります。ネコを通じて、その方の人となりや本音が見えたりするんです。ネコにはそういう力があって、不思議だなって思って。でも取材とは関係のない話題だから、文字数に限りのある誌面には書けない。それがもったいなく感じて」

むしろネコをメインに話を深掘りしてみたら、ネコを媒介にした新しいコミュニケーションが生まれるんじゃないか。そう思って立ち上げたのが、ウェブサイト『ilove.cat』でした。普段から仕事を一緒にしていたウェブディレクターとカメラマンと立ち上げ、できあがったサイトはもちろんプロクオリティで、たちまち話題になります。グッズ展開やイベント開催、書籍化するなど、関連企画も次々と手がけていきました。

「およそ100匹くらいでしょうか。小説家やミュージシャン、デザイナー、漫画家など、当時ネコを飼っていたクリエイターほぼ全員のもとに、取材に行ったといっても過言ではないですね(笑)」

ilove.cat
ネコの愛くるしい表情を載せるだけでなく、ネコを取り巻く住環境やライフスタイルを紹介し、結果的に飼い主の人柄も伝わるような構成に。現在は更新停止。


「かわいい」だけでは学問にならない

『ilove.cat』で取材をしたかった人にはほとんど取材し、ある程度やりきった満足感も得られた2015年。出産もあり、身の回りの仕事が一旦すべてお休みになったタイミングで、これまでとはまったく違うことをやってみたいと、服部さんの好奇心がまたムクムクと顔を出し始めます。

「思い出したのが、以前にお会いした齋藤慈子先生(上智大学総合人間科学部准教授。当時は東京大学に所属)のこと。ネコは飼い主の声を聞き分け、区別しているのかという先生の研究をネットで見て興味が湧き、取材に行ったんです。先生はネコを愛玩動物としてだけではなく研究対象として扱っていて、ネコについてもっと知りたいと思っていた私に、その先の道を見せてくれたように感じました」

自分も研究をしてみたいと思う一方、具体的にどうしたらよいのか分からない。そこで、麻布大学でイヌやネコの研究をしている獣医学部教授の菊水健史先生に相談に行くことにした服部さん。先生から言われた一言に、衝撃を受けます。

「先生がおっしゃったのは、ネコがかわいいから知りたい、だけでは学問にならない、と。ヒトも含む、ネコ以外のいろいろな動物とも比較しなくてはいけない。ヒトがなんでヒトとして生きているかを知るために、動物と動物の行動を観察する。それが動物を研究するということなんです、と」

やるからには真剣に学び、論文を書き、学術誌に載ることを目標にするようにとアドバイスされ、決心した服部さん。麻布大学大学院修士課程へ入学し、動物応用科学の道へ進みました。


前職のキャリアが活かせることと、ゼロから学ぶこと

編集者として既にキャリアのあった服部さんも、研究者の道は初めて。生態学や動物行動学の本を読んだり、学部の授業にも参加させてもらったりしながら、基礎となる学びを重ねていったと言います。

「研究者って部屋にこもっている印象だったんですが、いざ蓋を開けてみたら、学会でディスカッションしたり、ゼミの学生と話したりと、想像以上に人に会う。コミュニケーション能力が必要なんです。そこは編集者によく似ているところで、これまでの経験が役立っているように思いますね」

しかし、雑誌やメディアの制作と論文執筆は、やはり質が異なるもの。編集者の仕事の中でもライティングすることはあったが、論文を書くための厳密なパラグラフライティングは経験がなく、指導教官からもよく指摘を受けていると言います。

「1本目の論文はまとめるまでに3年半くらいかかり、まるで一本の小説を書いているようでした。取材したら翌週には掲載、なんていうWebメディアとはまったく違う時間軸ですよね。実験も思うように結果が出ず、博士号を取れなくてもいいかと諦めたくなる瞬間が何回もありますが、家族がいつも味方でいてくれるので、頑張れます」

現在、服部さんは修士課程を終了後に京都に引っ越し、京都大学大学院に籍を置きながら、自身の研究を続けています。

「ファッション編集者からネコ研究者というキャリアを、誰より面白がって応援してくれているのは夫です。それが、原動力になっていると思いますね」

ilove.catで取材した福島・三春シェルターで出会い、現在は服部さんの愛猫となったスカイ。


研究と世の中との接点をつくる

服部さんは、研究活動の傍ら、既に次のチャレンジも始めていました。新しいメディア『文化と生物学』を立ち上げ、その編集長を務めているのです。編集者と研究者の、2つの視点が組み合わさった、服部さんにしかできないユニークなメディアです。

「所属している京都大学野生動物研究センターで、ユキヒョウ、ゾウ、キリン、チンパンジーといった動物の研究者と出会ったり、勉強会などで昆虫や植物の研究者たちと接したりする中で、生物学の面白さに気付くことができました。ただ、研究者って話す言葉や書く文章がどうしても難しいから、一般の人に研究の面白さが伝わりにくい。そこで、『ilove.cat』の時のように、生物学を新しい切り口で楽しめるサイトを作ろうと思いました。例えば、コスメの比較ってみんな大好きですよね。成分をチェックしたり、動画を見て比較したり。研究も同様で、新しい発見や論文があったら、おなじ土俵に載せて考察してみたい。それを一緒に面白がってもらえるような空気を作っていきたいですね」

「文化と生物学」現在はvol.00が公開中。「生物学の研究者たちにアドバイザーとして入ってもらい、内容的にもしっかりと裏付けがあるものを載せていきます」 https://cultureandbiology.com

研究を大学や研究室の中に閉じずに、外の世界に対して開いていくこと。もともと世の中の流行や感心事に敏感で、それをまとめてきたファッション編集者というキャリアがあるからこそ、届けられる視点があります。

「『文化と生物学』は、ヒトの営みである『文化(カルチャー)』と、生き物の本質を追求する『生物学』という2つの視点を同時に掘り下げてみようというメディアです。編集部には、文化施設のディレクターや植物学者、研究所で広報をしているメンバーがいます。創刊号では、イグ・ノーベル賞を紹介するサイエンスコミュニケーターや恐竜図鑑の編集者、YouTubeチャンネルを運営する博物館の研究者などに取材しました。ちょっと生物学寄りな人選が多かったのですが、今後はカルチャーと生物学のどちらからでも入り込めるようなコンテンツをつくりたいと思っています。多分、どちらも楽しみたいと思っている人たちが、
たくさんいると思うんですよね」
                          

服部さんの根底には“世の中を面白がりたい”という想いがあります。「先生に恵まれている」と本人は謙遜しますが、ユニークなキャリアを支えるのは、編集者としての活躍で培われた観察眼や人脈と、ご本人の尽きない探求心。きっと私たちを驚かせ、楽しませてくれる探求活動が、まだまだ続いていくことでしょう。


執筆:峰典子  /写真:本人提供 /  編集:佐藤渉


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