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宗教化するワクチン論争(1)科学は現代の宗教か?

 現在、世界を席巻している最も大きな論争は新型コロナウイルスをめぐるものでしょう。そのなかでもワクチンをめぐる論争は,本来科学的論争であるべきものが,デマと陰謀論の罵り合いになってしまっていて,本来の議論が全く成立していません。これは世界的な共通現象です。なぜ,人間の生命に直結する非常に大事なことについて,こんなおかしなことになってしまっているのでしょうか?実は,極めて重要なことだからこそ、こんなことになってしまっているのです。この問題の本質を考えるには国家の権力が何に依拠しているのかというところから考える必要があります。

 どのような権力者も国家という機構の上に君臨しようと思ったら,その立場を正当化(正統化)する必要があります。このとき2つの正当性が必要です。ひとつはその地位につくべき正当性と,地位にふさわしい能力を備えているという正当性です。前者については,君主国家であれば血筋であり,民主主義国家であれば選挙等の公式に認められたプロセスです。例外的に戦争やクーデーターという場合もありますが,それは一時的なものでその後は何らかの手続きで,国家の統治責任者が選ばれるようになります。ですので,この点での正当化は制度的に用意することができます。

 しかし,統治者が統治する能力を備えていることはどのようにして正当化できるでしょうか。これは非常に大きな難問です。どんな優秀な人物でも,人間の能力には大きな限界がありますから,個人的な能力をその根拠にしてしまうと,いつか失敗し、すぐに権力の座を追われることになるでしょう。したがって,個人の能力とは違う方法でその正当性を示さなければ,国家を統治することはできません。したがって,それは当然人間能能力を超えたものになります。

 そこで登場してくるのが宗教です。近代以前の時代は,国王の権力は宗教が支えてきました。ヨーロッパにおけるキリスト教,アラブにおけるイスラム教,中国における儒教など,近代までの国家は常に宗教という後ろ盾があって成立していました。近代以前の国家では,宗教的権威が国王を認めることで,人間を超えた能力が保証されるという構造が成立するのです。日本では,宗教の力が一見弱そうに見えますが,天皇は日本神道という宗教的存在です。宗教の真理には宗教家しかアクセスできないので,大衆は真理を知ることができず,ただ従うのみです。したがって、その最高権威が認めた権力者の能力も疑うことができないのです。

 しかし,近代になるとさすがに宗教の力が弱まります。それは,宗教が教える世界観が,どう考えても自然の道理に合わないことが,当時の科学者たちにわかってきたからです。天動説と地動説の争いはその典型です。血みどろの長い歴史は省略しますが,近代国家では,宗教に代わって科学がその座につきました。国家の統治者も血筋で選ぶという方法は受け入れられなくなり,多くの国では選挙という民主主義的プロセスで統治者を選ぶようになりました。

 したがって,近代以前は血筋と宗教で統治されていた国家が,近代では民主主義と科学で統治されるようになったわけです。しかし,形は変わっても,その本質は全く変わっていないことが,今回の新型コロナウイルスをめぐる一連の動きで世界的に露呈してしまいました。「民主主義」という名の全体主義が,「科学」という名の「宗教」を使って世界を支配する構図は,近代以前と何も変わっていないのではないでしょうか?こんなことを許しては、「科学」の名の下に多くの人間が殺されます。かつて宗教の名の下でそのような悲劇が繰り返されたように。これからこの問題を考えて行きたいと思います。

※ここで「宗教」という用語を使っているのは,国家を維持するために利用される「宗教」の特徴を指すためで,人間の魂を救済する本来の意味の宗教とは異なります。



 

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