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4:独りぼっちで横浜の布教生活がスタートします!

23歳の秋・・・大教会長さんの『鶴の一声』でとうとう横浜へ来てしまいました(笑)教会へ着いたのは11月末の寒い雨の夜でした。もぬけの殻になってた教会は真っ暗で誰も居なくてシーンとしててトタンの屋根を打つ雨音だけがポツン!ポツン!と聴こえて寒かったな~淋しかったなあ~(涙)そんな横浜生活の始まりです。「仕事はするな!」っと言うボスのお言葉なので毎日毎日にをいがけに歩くしかする事がなく、ウロウロとよく横浜の街を歩きました(今でも歩き廻ってますが・笑)土地勘がない・知らない土地だったのでにをいがけに歩いてて「ここは何処だ?」「どうやって帰れば?」なんて事もありました。横浜へ来て3か月ほど経った春に会長就任の【お運び】を運ぶ事になった。意味がわからず言われるがまま願書を書いて、教祖の御前で教会長になった達也・・・教会長になるってそんな簡単で良いのかな?ってマジで思った。ほんの少し前まで大阪の街で自分の好きな事して、整備士やってバリバリ働くつもりでいたのに、何で横浜で天理教の会長やってんだろ~?って自分でも思いましたが、成って来たのも魂に因縁があったからだったんですねえ~(知らんけど)もちろん友人も居ない、上級教会も大阪・大教会も大阪・同じ系統の教会は横浜には無くてポツン!っと一軒家みたいなもんでした。教会で生活するのが初めての僕は教務支庁へよく(ほぼ毎日)参拝に行きました。知り合いが出来たら良いなあ~って感じで・・・そんな教務支庁への参拝のお陰で、当時教区で布教部をされてた(青川先生:仮名)と知り合い、独りぼっちの僕の相談をよく聴いてくれました。にをいがけに一緒に歩いて下さったり、日を決めて毎月横浜駅前で神名流しを共にして下さったり、また独身の僕に美味しい御飯をたらふく食べさせて下さったり・・・有難い『親』みたいな存在でした。今でもお世話になってますが(汗)またある時から大阪の上級教会へ葉書での日参を始めました。当時41円の葉書に今日あった事・思った事などツラツラと毎日書きました。41円の葉書日参です。やがて50円の日参になり、52円の日参になり、62円に・・・毎日・毎日葉書を書きました。小さな日参でした。ある時上級教会へ行った時に台所の床に僕の汚い字で書いた葉書が落ちてて住み込みさんがその葉書を踏んでました(涙)悲しかったなあ~「会長さんは読んでくれてないのかな?」「こんな葉書の日参意味ないのかな?」当時の僕は上手く受け取れなくて(心が狭い青二才だったな~)その日で日参は辞めた。10年くらいは続けたかなあ~心大きくもっと続けてたら良かったな~(汗)
そんな横浜生活4・5年目の頃です。ある日教会の前に黒塗りの高級車が停まってちょっと強面の男性が訪ねて来ました。〇〇不動産の方でココの地主さんから頼まれて来られたそうです。教会の土地は借地だったんですね~早い話し「この土地を買うか?出て行くか?」って事でした。ヒェ~!すぐに上級教会の会長さんに相談しましたが「土地を買う」なんて、そんなお供え・資金があるわけがない!選択の余地なし!ココを出て行って少しばかり頂く資金で移転し、また新たな土地で頑張るか~!って心を決め覚悟してたら、またまた『鶴の一声!』です。そうです大教会長さんのお言葉です「達也~土地買え!」(相変わらずの無茶ぶり!)ええ~いくら何でも当時〇千万円の借金無理ですよ~っと思いましたが、そこは成ってくる理!上級教会に助けてもらい買う事になりました。
これもまた不思議な事ですね~まさか横浜で土地を買うなんて思ってもみなかったなあ~(笑)さあ~教会の【土地】をご守護頂くためのエピソードが始まります。
続きはまた次回に・・・今回もお読み頂きありがとうございます。

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