人とのつながりがあれば
(読了目安5分)
3年ほど前に書いた記事です。
今でも伝えたいことは同じなので投稿します。
「今は」と書いてあるところは3年前だと思って読んでください。
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新型コロナウイルスの影響で経済全体の活気が落ち込み、打撃を受けた事業所は、「売り上げが伸びない・経営が苦しい・倒産しそう」とストレスを溜めていますが、「人とのつながり」があれば、ストレスは溜まりません。
人は、直接的であれ間接的であれ、「人とのつながり」を求めて仕事をしているからです。
「人とのつながり」というのは、表現を変えると、「裸の心で付き合える人間関係」ということです。
心を覆い隠した状態、つまりウソや隠し事がある状態の付き合いでは、表面的な関係になってしまい、結局ストレスが溜まりますよね。
経済社会では、「人とのつながり」を作れない人のために、「人とのつながりのようなもの」を売っています。
お金があれば「人とのつながりのようなもの」を買えますから、「事業所の売り上げが伸びない」ということは、お金が稼げない、つまり「人とつながれない」ということを意味し、ストレスになるわけです。
そもそも「人とつながれる人」は「愛をそそげる人」ということですから、誠実に仕事ができます。
そして誠実に仕事をしてきた人は、新型コロナウイルスの影響で売り上げが落ちても、絶望することはなく、「次はどうしようか」と社会貢献できる方法を模索するだけです。
「私の力不足で廃業になりました」と自分の実力を反省しますから、仮に廃業することになったとしても、ストレスはありません。
逆に、見返りを求めて仕事をしている人は、「新型コロナウイルスのせいで経営難になった!政府の対応が悪いせいで自分は苦しい!」と、「外側」を恨みます。
外側を恨んで流す涙は、ストレスで濁ってしまいます。
「どうやったらお客様の役に立てるか」と愛をベースに考えている事業所は、たとえ経営難になってもストレスはなく、「どうやったら儲けられるか」と利益をベースに考えている事業所は、経営難になるとストレスを抱えるということです。
マスターの店は、コロナで大打撃を受けていると言われている業種の「飲食業」です。
実際今は、前年と比較して売り上げが減っています。
売上が減ることを「苦しいこと」と表現するなら、確かに経営は苦しくなっています。
しかし、心は全然苦しくないです。
苦しくないですから、行政に対して恨みもありません。
なんの恨みもないので、ストレスもありません。
ちょうど今日も夕食のときに話したんですが、食べ物に関しては毎日のように誰かからおみやげをいただき、油断したら太ってしまうほど恵まれています。
考えるまでもないことですが、経営が苦しくても餓死することはありませんし、たとえローンが払えなくても、処刑されるわけではないんです。
今の日本は、痩せるために悩む人が多い国なんです。
仮に餓死するのは、極論すれば「人とのつながりが持てない」という精神的な苦痛が根本的な原因です。
また、子どもや高齢の親の世話を放棄して餓死させてしまう人も、人とのつながりが持てないという精神的な苦痛から世話を放棄してしまい、結果的に餓死者が出るわけです。
マスターの店が経営難になり廃業するとしたら、「マスターの店は今の社会から必要とされていないんだから、他の仕事をしよう」と本気で思えます。
本気で思えますから、廃業してもストレスになりません。
ストレスにならないのは、みんなで生活をしていることが楽しいのと、「新型コロナウイルスはいつか収まり、またお客様が来てくれる」と本気で信じることができているからだと思います。
結局「人とのつながりがある」と思っているからです。
人とのつながりがあれば、経済的な苦難は乗り越えることができます。
では、どうやって「人とのつながり」を作ればいいのか・・・ここが大きな問題ですよね。
あなたは、他人からいきなり「あなたとつながりたいです」と言われて、「はいわかりました」とは言えませんよね。
では、「あなたとつながりたいです」と言われて「はいわかりました」と言えるのは、どんな人に対してですか?
どんな人に対してなら、心の全てを解放できるでしょうか。
また、どんな自分なら、他人に対して心の全てを解放できるでしょうか。
そこをよく考え、そういう人になってください。
たとえば「水着」は裸に近い状態ですが、水着になるためにダイエットや脱毛など、みなさんはきっと相応の「努力」をするはずです。
「心」もそれと同じで、裸になるためには、美しい心を保つ努力が必要です。
後日談:
そして今年のGW、お客様は戻ってきてくれました。
おかげさまで過去最高の売り上げを2日続けて更新し、楽しく営業ができました。
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