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父の無意識の心にある偏見

母がわたしの部屋に来た。手に持っているのは4月9日の読売新聞。
「お父さんて、こういうことなんじゃないかな」
『編集手帳』に書かれていたマイクロアグレッションの解説を読み、父のことを思い浮かべたという。


マイクロアグレッションとは?

わたしの母は新聞を読むのが好きだ。気になる記事を見つけると、わたしのもとに持ってくる。それについて語らうのが、わたしと母の、日常のひとコマになっている。

母が見つけたマイクロアグレッションの記事。

最近、心理学の本で「マイクロアグレッション」という学術用語に接した。無意識の心に宿る偏見、思い込みが言動や態度に表れ、不愉快なメッセージとして伝わり、意図せず誰かを傷つけてしまうことを言う

2024.4.9 読売新聞『編集手帳』より抜粋

マイクロアグレッションという言葉を、わたしは知らなかった。
『編集手帳』では、川勝平太静岡県知事による、新規採用職員への訓示を例に挙げていた。

意図せず人を傷つける父

わたしたちを度々傷つける父は、すべてにおいて無自覚だ。無自覚だから厄介なのだけど。

ただ、全部がマイクロアグレッションとは言えない気がする。単に「デリカシーがない」という表現のほうがしっくりくることもある。

「意図せず傷つけてしまう」という点は同じだけど、マイクロアグレッションは「ステレオタイプに基づいている」行動や発言のことを指しているそうだ。父の言動は、必ずしもそうではないと思う。

とはいえ、固定観念や偏見がかなり強いのも事実だ。

母が感じたマイクロアグレッション

マイクロアグレッションの記事を読み、母が父を思い浮かべたのには理由がある。父から母へ向けられる言動が、ステレオタイプに基づいたものが多いからだ。

父は人を、自分の上か下かで判断している。自分より上だと思えばへりくだり、下だと思えば横柄になる。とくに母に対してはそれが顕著で、その根底には女性や妻というものに対しての思い込みや偏見があると感じてきた。

そしてそれは、世間の風潮や価値観ともちょっとズレている。父の場合、ひとりよがりなステレオタイプであることが、家族にとって非常に難儀な点なのだ。

父の「無意識の心に宿る」ものとは

ステレオタイプは無意識下にある。父にとっては当たり前だし常識だ。
だから母が苦しみを訴えても、父はまるで理解できない。自分の常識に照らし合わせて物事を判断するからだ。

わたしたち家族は、父の「無意識の心に宿る」ものがなんなのか、なぜそれが父にとっての常識になったのか、それを知りたかった。だから家族会議をした。

父は自分の母親(わたしの祖母)を敬愛している。祖父はよく怒鳴る横暴な人で、借金を作ったりもした人だったらしい。だから「おふくろは苦労した」「尊敬しかない」と、好き勝手していた祖父に対し、文句も言わず働いた祖母を讃えているのだ。

そのわりに、妻(母)を虐げる

父は「親父のようにはなりたくない」と言っているが、まるで同じだ。「おばあちゃんの苦しみをわかっていて、なんでそうなったの?」と言いたくなる。

父の常識がねじ曲がった背景

父は「きちんとお金を稼いで養っている」という1点で、親父とは違うと思っている。でもわたしたちから見れば、本質はまったく同じだ。

父の無意識下で都合の良い常識が作られてしまったのには、幼少期の満たされない経験があったと考えられる。父は自己愛性パーソナリティ障害(診断はされていない)なのだが、人格障害の背景には「悲しい過去」があったとされている。

父の悲しい過去とはなんなのか。

家族会議では幼少期の父の悲しみに寄り添おうとした。
はねつけられたけど。
でもはねつけられたからこそ、父の心の奥深くにある悲しみがなんなのか、わかってきた。

本当は愛が欲しかった父

父はおふくろ(祖母)の話に敏感だ。だけど父の中では、幼少期の苦しみや悲しみの原因はすべて「親父の借金」に集約されている。

確かに、お金がなければ生活が苦しく、気持ちの余裕もなくなる。ただ話を聞く限り「明日食べるものに困る」ほどではなかった。すべてを「親父の借金」のせいにするには無理があるのだ。

幼少期の父は、忙しく働く母親に甘えられなかったのだろう。でも本当は、母の愛が欲しかった。だから母の仕事を手伝ったり、勉強をがんばったりした。褒めてもらうことで、愛情を感じたかったのだと思う。

父は家族会議の中で、母親にしてほしかったこととして「褒めて欲しかった」と言っている。

褒めて欲しくて、もっと自分に関心を持ってほしくて、幼い父はがんばっていたのだ。でも思うように自分を見てもらえない。その満たされない思いを「親父の借金のせい」としたかったのは理解できる。

父の誤算

祖父はどうしようもない人だった。そんな人でも父親というだけで、家族全員が従っていた。横暴が許される存在だったのだ。

父の中で、父親とは「中身がどうあれ家族が従うべき絶対的存在」と思ったに違いない。さらに中身がちゃんとしていれば、尊敬もされると思ったのではないか。つまり親父の汚点「借金」さえ作らなければ、尊敬され、感謝される完璧な父親になれるという計画だったはずだ。

これは父に言うと、反発しか返ってこないだろうから確認はしていない。でも、これまでの行動、言動をみればそうとしか言えない。

「子供が親に意見するのか」
「誰のお陰で生活できていると思ってるんだ」

俺は父親なんだぞ!と言いたいのだろう。

・・・父と言い合いすると、わたしが父を論破してしまう。というより、論破できてしまうほど父が浅いのだ。わたしに言い返せなくなると、父は「おかしい、おかしい」と頭を抱える。「こんなはずじゃなかった」と言いたいのだと思う。

父が祖母の苦しみを、お金がなかったことではなく、祖父の横暴に虐げられてきたことだと理解していれば。祖父と心を通わせられなかったことだと理解していれば。わが家は今、崩壊の危機にはなっていない。

父が欲しても得られなかった愛を、わたしたちが満たしてあげたいのだけど、受け取ってはくれない。

フラットな視点を持ちたい

マイクロアグレッション。父がそうだと書いてきたが、わたしもやらかしているだろう。偏見のかたまりの父に育てられてきたのだから、当然そうなる。

わたしは父のようになりたくない。だけど、父が「親父のようにはなりたくない」と思っていながら抗えなかったように、わたしも同じ道を歩む可能性がある。

フラットな視点を持ちたい。それには知識を持つことが必要だ。自分の考えに偏りがないか、常に疑わなければならない。


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