サンボマスターの「ラブソング」がずっとリフレインしている件について
「ラブライブ!」という作品に出会い、μ'sを追いかけていた頃、
解散を前に声優の南條愛乃さんのファンになりました。
初めてのソロのライブに参加した時に、カバーソングで「ラブソング」に出会いました。
最近、頻繁に聴いていて、自分自身の境遇と照らし合わせて考えることがあったので、書き残しておきたいと思います。
「いつまでも続いてゆくと 僕はずっと思ってたんだよ」
私は仕事で人を相手にしています。だから、その人がいて当たり前のように感じ始めてしまうことがあります。
しかし、「当たり前」というのは、ある種の毒素のようなもので、
呼吸を繰り返すうちに常態化しているものです。
つまり、この歌詞の「いつまでも続いてゆくと」というところから、
ぶっ刺さっている訳です…
人生の中では、自分の力ではどうしようもないことも起こります。
その出来事がどうしようもなく、悔やまれることもある訳です。
その多くは、「何も知らなかったこと」や「何もできなかったこと」であると私は思います。
そう、今私は、どうしようもない理由で大切な人たちと引き剥がされようとしていいるのです。
みんなと過ごす日々が当たり前になっていて、いつもまでも続いてゆくと思っていました。過酷な現実を突きつけられると、「もっと優しくしておけばよかった」「もっと愛していればよかった」と思うわけです。
そんな自分自身の心境に「ラブソング」が重なります。
生きていれば、必ず会える。そんな言葉があります。
私は19歳のときに父親が他界しています。
だから、人が生きているだけで有難いということがよくわかります。
しかし、「人の成長」というのは側近くで見ていたいと思ってしまう。
共に過ごした日々を忘れることなんてできないのです。
この一件が決まったころ、私はどんな気持ちでいるのでしょうか。
それこそ”カラッポ”になってしまうのではないでしょうか。
それでも、前を向いて歩かねばなりません。
この曲を聴きながら、「いつ会えなくなるかわからない人たちと、日々を過ごしている」ということを知るのです。
だからこそ、「いつか終わりが来てしまうのなら、できるだけ優しい思い出を遺して生きていきたい」とも思うのです。
大好きだと、愛していると伝えられなかったことを、悔いることは繰り返したくありませんね。
今や血液のようになってしまった、君たちとの思い出を力に変えて、前進していくしかありません。
例えどこにいても、何をしていても、同じ空、辿り着く場所は同じだと信じて。
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