歳を取るということ

私は現在31歳。2020年が終わるような頃、私は更に1つ歳を取り、32歳になる。

結婚して3年半が経ち、愛おしい息子はそれはそれは健やかに育っている。
そう、私は妻であり、母である。

妻でも母でもなかった頃、私は誰かの妻になること、そして母になることを切望していた。つまり私は、夢を叶えたのだ。

それなのに、私の人生は義務教育時代からあまり進んでいないように思える。

それはきっと30代の私が "10代の劣化版” でしかないからなんだと、この記事を読んで思った。

この記事に出てくる熟語は”20代の劣化版”なのだけど、私は20代にすらこれていない。もっと幼い”10代の劣化版”の方がしっくりきてしまう。



今思うと、学生の頃って人生の進捗状況がすごくわかりやすかった。

進級に基準こそあれど、毎年春になれば当たり前のように学年が1つ上がっていた。教室も変わるし座っている椅子や机も段々と大きくなっていった。体操着や上履きも定期的にサイズアップしていたし、受ける授業の難易度も上がっていった。あの頃は、人生が進んでいることに関して迷うことはなかった。

今だって、毎年春になれば社歴は上がっているし、年功序列な体質の企業に属しているため、毎年黙ってるだけでも昇給している。着たいと思う服装や似合う服装も毎年少しずつ変わっているし、世界の政治や経済状況とかに興味が湧くようになってきた。

これらは全て、一見すると成長しているように見える。

それなのに学生だった10代の頃と比べて、人生を進めてこれた気がしないのは、よく見ると成長していないことに気付いているからだろう。

だって私は世間の平均年収よりは少し高い収入を得れているけど、それは純粋な私の経済力ではない。”黙ってるだけで昇給する”ってつまり、その年収に自分の実力や経済的価値は反映されていないということだ。

今の会社を離れたあとも同じ年収を稼げるかと聞かれても「いいえ」としか答えられない。

興味のあるニュースのジャンルが変わることは良いことだと思う。
だけど変わっただけではそれはただの変化であり、成長とは呼べないように思う。

もちろん経済力だけが全てではないかもしれないが、義務教育世代と違って(今は義務教育中でもバンバン稼いでいる優秀な未成年はゴマンといる)私は自分で仕事とお金を生み出せる世代のはずだ。

それなのに、会社という乗り物に乗っていないとそれが出来ないし、もらっている年収に実力が見合っていない自覚もある。

だから私は ”10代の劣化版” でしかない。

20代の頃は大企業に属していることで自分のヒエラルキーは高いと思い込んでいたし、それに満足していた。そこに実際の経済力が見合っているかどうか等、悩むことはなかった。

でも私が ”10代の劣化版” でしかないという自覚をもったからには、アップデートしていかないといけないなと思った。

自分で仕事とお金を生み出すことは楽しいことなんだということを、私は母として、息子に教えなければならない。

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