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こころのかくれんぼ 9      【入院徒然日記~初日その②~】

カーテンで四方を区切られているので、廊下側は昼でも薄暗い。
昨夜の睡眠不足を補うべく横になってみると、天井の照明が直接目に届いてとても眩しい。しばらくすると目がチカチカと痛くなってくる。

あぁ、そういえば入院患者さんに「眩しい」と言われて、バスタオルをつるして光を遮って差し上げた事があったなぁと思い出す。
仕方なく、ハンドタオルをアイマスク替わりにして目を閉じる。
うん、いい感じ。
どの施設にも共通するのだろうけれど、照明位置などもう少しベッド周辺の環境を見なおしても良いのではないかなぁ…
ベッドに横になっている時間が長いことを踏まえた視点も必要なのに…
ユニバーサルデザインで建設された病院というものに入院してみたい…
などとと思いながら、ウトウトしていたら食事が届いた。


配膳表を見ながら声を掛けて下さるヘルパーさんにリストバンドを見せながら、自分の口からもフルネームを伝えて受け取る。トリプルチェックだ。
炊き込みご飯と、焼き魚。お野菜の小鉢に果物。
温かいものは温かく、冷たいものは冷たい状態で温度管理がされていることにしみじみと有難さを感じた。温かいお味噌汁がうれしい。
全体的に少し薄味で柔らかめ。咀嚼の力をあまり必要としない感じで、今はまだ元気そのものの私には正直物足りないけれど、消化に負担を掛けないように配慮されていることが伝わってくる。これが術後の自分の身体になるのだと思いながら、ひと口ずつゆっくりと口に運ぶ。


2018年に開催された学会「死の臨床研究会」で「最後の晩餐とラストソング」というテーマで、人生最後に食べたいもの・聞きたい曲のアンケートを取っていたことがあった。
その「最後」の状況場面は、設定されていない。
人によって様々な「最後の姿」を想像すると思うのだが、私は食が細くなってベッドから起き上がることが出来ず、飲み込むことも困難になっている身体の状態を想定した。今のようにモリモリ食欲があって「何を食べようかなぁ」と、ウキウキ迷えるわけではない身体を。


ちなみに結果は以下である。

☆最後の晩餐部門第一位☆
「おにぎりとお味噌汁」

おにぎり。
お茶碗に盛られた白いご飯ではなくて、むすんであるところがなんかいい。
誰かがむすんでくれたのか、ゆっくりと時間をかけて自分でむすんだのか…
いや、実際の最後にはキッチンに立ってお米を研いで炊飯器にセットすることも厳しい状況だろうから、きっと誰かが自分のためにむすんでくれたものだろう。(この辺りをリアルに考えてしまうのは、職業柄だ)
お味噌汁・・・具は、何だろうと考えてみる。
口当たりがよくて、滑らかなお豆腐かな。
柔らかくお出汁のしみた、だいこんもいいかも。
ほくほくの新じゃがの季節だったら、それもいい。
食いしん坊の私は、想像がとまらない。


☆第二位以下結果☆
うなぎ
おすし
とんかつ
ラーメン


どれも結構な油っけとボリュームのあるもので、本当に最後に喉をとおるの?と突っ込みたくなるものが並んでいるけれど、美味しいのには間違いない。
私も全部すき。
そういえば「支那そばや」を創業した「ラーメンの鬼」と呼ばれた佐野実さんが最後に食べたいと望んだものは、やはりラーメンだったそうだ。
弱った身体に配慮してスープを少し薄めて出したら「違う!不味い!」と怒ったというエピソードを覚えている。彼にとってそれは只の食事ではなく、誰の手も加えて欲しくない、誇りと生き様そのものだったからなのだろう。

そして「ぬるいドロドロの飯を食いながら死んでいく身にもなってみろ!」と、食事を前に怒りを露わにしていた方の姿を思い出した。「あんたたちにとっては、ただの病院食だろう。でもな、こんなものを最後に食いたいと思うか?毎日毎日、たまらなく惨めなんだよ!」と、流動食を前に涙ぐみながら言葉を続けた。
その人に、身内と呼べる人は居なかった。独りだった。
声を掛けて自動販売機に行き、冷えたポカリスエットを半分こした。
隣に座って一緒に飲んだそれが、その人の最後の食事となった。


人生の最後に口にするもの。
実際の場面でのそれは、なんだろうか。
黒飴を砕き、爪の先ほどになった小さなかけらを、心から美味しそうに味わって旅立った方もいた。自分は食べられなくていいから家族と一緒に食卓を囲んで、皆が幸せそうに食べている姿を見ていられればそれで充分…と願う人もいた。


最後の晩餐とは「何を食べるか」だけではない。
その時間を誰と過ごすのかも、とても大切なのだと私は思う。
でも、食べるという行為や、誰かが傍にいるという物質的な願いが例え叶わなかったとしても、懐かしい食事の思い出があって、一緒に食べたいなと思える誰かが心の中にいてくれたなら、それで十分かもしれない。
そんな場面を思い描けるような出逢いがあった、しあわせな人生だったのだと思いながら旅立てたなら、ありがたいと思う。

面会制限中の静かな病棟で白菜のお味噌汁をつつきながら、そんなことを考えていた。でも今は「熱いお茶と、ほろ苦いカラメルがかかった少し硬めのプリンが食べたいな」…そんな現実的な欲望がふと湧いてきて、綺麗にまとまりきれない自分が可笑しくて、だめだこりゃと苦笑してしまうのであった。

つづく

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