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こころのかくれんぼ  14 【入院徒然日記 ~解放の日~ 】

朝食を終えてベッドの背にもたれ、ほうじ茶を頂きながらひと息ついていた。お茶の香ばしさと共に、プラスチック食器の独特の香りが微かに鼻をかすめる。病み上がりや空腹時には、味や香りが普段よりも鮮明に感じることがある。時にそれらはむっとした気分の悪さに変化することもあるのだが、今はその敏感さは不快ではなく「様々な感覚が戻ってきている」という安堵に繋がっていた。なによりも、温かいものを口にすると身体の内側からじんわりと全身に広がっていくような安心感が、しみじみとうれしかった。

傷の痛みは感じてはいるが、増強していく気配はない。
この程度の痛みであれば、うまく身体を動かしていけば生活できそうだ。
こうやって考えられているという事は、痛みが自分の中心に据え置かれていないということ。痛みを取り除く事だけではなく、様々なものに意識を向けられるということは、生活を送る上で最低限の条件なのだという事を改めて感じていた。

痛みは、時に自分自身で意味づけをすることも出来る。
「痛みによって、健やかさの有難さに気付いた」という事もあるだろう。
痛みは痛みという感覚であり、それを辛い・苦しいと情動的に受け止めるのは自分次第とも言われることがあるが、やはり限度というものがあると思う。あまりにも持続した強い痛みは、その人の思考を奪うと私は思ってきた。痛みからの解放・痛みを和らげるということは、ただ「感じなくなればいい」というものでは無い。痛みという存在そのものになってしまった自分をそっと離すことで、痛みとの付き合い方を探すことが出来て、自分らしさを取り戻すことへと繋がっていけるのではないかな・・・と思うのだ。

そんなことを思いながら腹部の痛みに手を当てていると、食事中に気になった顔の傷が見たくなった。
看護師さんがオーパーテーブルに置いてくれたスマホを手に取って、自撮りモードでおそるおそる確認してみた。
まず、大きく腫れた鼻が目に飛び込んでくる。
「あれ??私ってこんな鼻してた??」と一瞬びっくりした。
が、すぐに思い出した。
今回の全身麻酔の気管挿管は、口からではなく鼻から行ったのだと。
唇の周りの手術を行うにあたり、挿管カテーテルの固定位置を配慮して鼻からにしたのだ。大丈夫、これはそのうち元に戻る。

右頬、眉下・鼻腔横・唇の周り・顎下など、右側を中心として出来立てのかさぶたに覆われた沢山の傷が目に入る。乾燥を防ぐためにワセリンが塗布されているので、顔のあちこちが赤黒くテカテカと光っていた。
これ、大丈夫だろうか・・・と驚きを隠せなかった。
でも今は、傷の上に乗っている血糊が傷を大きく見せているだけで、傷跡はきっと小さいはずだから…と自分を励ました。
気にかけていても、どうする事も出来ない。
どんなに思い煩っても、傷は消える事はないのだ。
頑張ったこの新しい私の顔で、生きていこう。


暫くすると、医師が2名様子を見に来た。
いつもの主治医ではない。
名乗ってくれないから、分からない。
だれ?と言う感じだけれど、手術に立ち会ってくれた医師なのだろう。

「ちょっと見せて下さいね」
病衣の前を外して、胸とお腹のガーゼの上から出血の有無を確認している。「うん、新しい出血もないから、もうガーゼはずしていいですよ」と言いながら、次々とガーゼを剥がしていく。
ちょっとまって。ガーゼが浸出液を吸収して、傷の治癒にあまり良い影響を与えないことは知っている。
外すのは構わない。だけどね、この数を見て、先生。
こんなに糸がむき出しだと、直接衣類にひっかかりまくりですよ。

「これから着替えるので、むき出しはちょっと」
と伝えたら「あぁ、そうかなるほど」と頷いて、外したガーゼをもう一度当て直してくれると、次の患者さんのもとへと立ち去って行った。
が、あまりにテープ止めの位置が適当過ぎる。
これきっと、立ちあがったら全部落ちるだろうなぁ・・・
そんな一抹の不安を感じていると、看護師さんが顔をのぞかせた。
経過は順調。これから離床の準備が始まるのだ。

指先に張られたパルスオキシメーターの、少しの圧迫感。
心電図の電極パットのシール周辺の、むずむずした痒み。
点滴の刺入部の、ほんの少しチクチクした刺激。
尿道カテーテルが放つ、相変わらずの強い存在感。

ひとつひとつ開放されて、軽くなっていく。
繋がれていた様々な不快感が、離れていく。
あぁ、ひと晩大変お世話になりました。
片付けられていく医療機器に、心の中で小さく手を振り見送った。

さぁ、歩き出そう。

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