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「価値観」について考える。

あの人とは価値観が合う、合わない。
よく耳にする言葉です。

価値観とは、
「物事の価値についての、個人(または、世代・社会)の基本的な考え方」
を示す言葉です。

要は、自分自身が何に対して重きを置き、何を大切にしたいと思うのか。

というようなことだと、僕は考えています。


そこで今回は、今の僕にとって、最も近い感覚で
この「価値観」を共有することができていると感じる
「一人の友人」について、文章を書かせていただきたいと思います。


それではさっそく、、、。


その友人とは、年齢も違えば、職種も違い、
生まれ育った環境も、大学で学んでいたことも違います。

むしろ、共通点を見つける方が難しいくらいです。

そのような彼ではありますが、僕にとっては、
唯一と言っていいほどに、限りなく近い感覚で
「価値観を共有できる存在」だと感じています。


そう感じるきっかけはすごく単純なものです。


その彼が嫌だと感じること。
嬉しいと感じること。
悲しいと感じること。
大切にしようとしていること。

それらのことが、事細かい説明がなくとも、
すごく自然に理解し合えている。

そのように感じているからです。


なぜ、それほどにまで僕の感情や心の内を
感じ取ってもらえているのかを考えます。


もちろん、彼自身が「人に興味を持つこと」
慎重に捉え、実践していることもあるかとは思いますが、
その根本には「価値観が合う」という至ってシンプルな
要因があるように感じています。


ここで一度話を戻します。
「価値観」とは、一体なんなのか。


僕が考える「価値観」とは序盤にも書いたように、

「自分自身が何に対して重きを置き、何を大切にしたいと思うのか。」
ということです。


そして、その「価値観」とは生まれ育った環境であったり、
関わってきた人物、目にした言葉など、
様々な要因によって構成されているものだと考えます。

さらには、自身の置かれている状況などによっては、
自分の意思に反した「価値観」を大切にしなければならない時もあります。


「価値観」とは、多様であるべきものだと考えています。


これまでにも何度か書いたことがあるように、
僕自身、白黒つけすぎる性格であり、
何事にも「正解」を求めてしまう癖がありました。

今、僕が大切にしようとしていること、
重きを置こうとしていること自体が、
正しいことなのか、間違っていることなのか、
答えを出したい。


このような考え方は、デザインを学ぶ過程で
より強くなった考え方だとも感じています。

というのも、明確な答えの存在しない中で、
何かを生み出す、デザインする、ということは、
自分の中で確固たる答えが必要だと考えているからです。

しかし、その考え方は、デザインをしていく上では
大切な考え方であると感じていながらも、
自身の思考を窮屈にしてしまうものであり、
そう考えること自体がすごく苦しく感じてしまうこともありました。

そのような中で、その彼と「価値観が合う」ということは、
当時の僕にとって、すごく貴重で、救いであったように感じています。

誰かと話をしていて、こんなにも自然と互いの感覚を
理解し合える、あるいは理解しようとし合える、
ということ自体が本当に嬉しかった。

今ここで二人が大事にしようとしている「価値観」に
白黒つける必要性を感じなかった。

そんな時に感じた、決して投げやりではない「どっちでもいい」
という感覚がすごく心地よかったことを覚えています。

その彼の今年の目標。
それは、「中庸である」ということだと言います。

何かに対して正解を求めない強さ。
白黒つけない強さ。
自分自身を肯定も否定もしない強さ。

「中庸である」ことを目指す彼の言動からは、
寛容でありながらも、強く、柔軟な、
非常に「しなりのある意思」を感じています、、、。

ということで、今回は「価値観」ということについて、
一人の友人を通して考えてみました。

みなさんも生きていく上では、多くの場面で
様々な形の価値観と触れることがあると思います。

自分が大切にしている価値観とは全く異なる価値観と出会った時。

今、自分の中にある価値観がどれほど大切なもので、
かけがえのないものであることを考えることで、

全く異なる形の価値観も見え方が変わってくるのかもしれません、、。

それでは本日も最後までお付き合い、
ありがとうございました!


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