アートボード_3

「椅子の叫び」展。


椅子が、椅子が叫んでいるんだ。

「俺に座るな。」「私に触れるな。」と。

椅子が叫んでいるんだ、、、。


みなさん、こんにちは。

今回は、最近僕が取り組んでいる
課題を通してデザインに関して
考えていることを共有したいと思います。


それではさっそく、、、。


まず課題の説明を。

12m × 12m の空間にグリット上に壁を配置し、
名作椅子(15脚)の展示空間を考える。
という課題です。

この課題に対して僕は、

来た人が椅子の存在価値について
考えることのできる空間。

という目的を設定しました。


まず展示する椅子に関して。

椅子というものを機能と装飾という軸で
整理してみました。

名作椅子として歴史に残る椅子は、
大きくふたつに分類されると考えました。

ハンス・ウェグナーやコルビジェなどが
デザインする椅子は、

座り心地や生産性などの機能的な要素が
重視され、それらの要素が、
ヴィジュアルとしても美しく整えられています。

それに対して、倉俣史朗さんや川久保玲さんが
デザインした椅子は決してそうではない。

人が椅子に求めるであろう「座り心地」というものを
度外視しながらも存在価値を持つ椅子。


僕はそれらの椅子にスポットを当てる
空間をデザインしたかった、、、。


その上で選択した椅子たちです。

「機能的な椅子」と「そうではない椅子」、
対象的な椅子をそれぞれ選択しました。

これまでも何度か
文章を書かせていただいているように、

椅子に限らず、人々は「機能性」というものを
当たり前に、無意識のなかで重視しています。

そのモノが僕たち人間にとって
機能的なモノなのか、
便利なモノなのか、使えるモノなのか、、、。

しかし、それは人を軸としての
考えでしかありません。

モノは人が生んだものではありますが、
モノにも気持ちや感情があります。

性格だってあります。

生きる意味があります。

それらのモノの意思を完全に無視して、

「人間にとって」という、

人間にとって都合のいい存在価値を
モノに押し付けている現状に違和感を感じます。



銀座の街を歩いていました。

日曜日の銀座は大通りが歩行者天国となり、
車やバイクなどのモノが姿を消します。

そこにある信号機は、
青くも赤くも光りません。

黒いまま佇んでいる、、、。

人間が信号機に与えた
「交通のための表示」
という
機能を奪われながらも
しっかりとそこに立っている。

その時、「機能」から解放された信号機は
何を思い、何を感じているのか、、、。

仕事なくて暇だなー、とか、
僕たち人間を見下ろしながら
休日を楽しんでいるのかもしれません。

どちらにせよ、その信号機の姿は
僕には輝いているように見える、、、。

かっこいい、、、。


そんなモノの意思をすくい上げることの
できるようなデザインをしたい、、、。



ということで今回はここまでと
させていただきます!

次回は引き続き空間をもとに
文章を書かせていただきたいと思います。

それでは本日も最後までおつきあい、
ありがとうございました!!



#日記 #デザイン #インテリア #インテリアデザイン #商業 #建築 #とは



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