アートボード_1-100

「欲求」との付き合い方。


人は、常に「欲求」と隣り合わせに
生きていると考えています。


今回は、僕が考える「欲求」との付き合い方について、
共有させていただきたいと思います。


それではさっそく、、、。


まず、僕がデザインを通して解決したいと考える
ひとつの大きな問題があります。

なぜ、人は人に対して「嫉妬」や「妬み」という
非効率的な感情を抱き、そしてその感情に
蓋をしようとするのか。


嫉妬や妬みに限らず、
誰かに認めてもらいたいという「承認欲求」、
誰かを自分のものにしたいという「独占欲」など、

できることなら、
ないほうが心地よく生きていけるようにも思える、
これらの非効率的な感情や欲求。


そうだとわかっていながらも、
どうしても人と接する中で、
どこかで抱いてしまうものです。

なぜ人は、それらの感情や感情や欲求を抱くのか。


そして、その感情や欲求そのものが
良くないものだと思い込み、
蓋をしようと、押し殺そうとするのか。


ぼくの中にある、この小さな違和感が、
これからデザインと関わっていく上で、
あるいは、生きていく中で解決したい
問題の一つです。


そう思うに至るまでには、ぼく自身の中に、
この「欲求」や「欲望」たちが、
非常に大きく存在していたからなのかもしれません。


誰かに認められたい。
何かの一番でありたい。


何かを好きだと言うからには、
誰よりもそのアーティストの情報を
いち早くとり入れたいし、

小学校高学年の子たちが履きたがる、
adidasオリジナルやconverseのスニーカーは、
2年生の時点で履いていたい。

運動会のかけっこで1番になる事以上に、
この、白地に水色のラインの入ったスニーカーで
運動会に出場する事が僕にとっては、
何よりも嬉しい事でした。


そんな、今となっては笑ってしまうような、
意地、というか、「一番に」という欲が、
幼いころの僕の中には常にあったように思います。


それから中学へと進み、高校へと進むにつれて
様々な友人との関係や、周りの環境の変化によって
段々とその感覚に疲れてきました。


好きなものを好きだというだけでは満足せず、
「一番」にこだわることが、
どうしようもなく嫌な事に感じてしまったのです。


そこで僕は、その感情に蓋をしようと考えました。


一番になれないなら、好きなものなんて
ないほうがよっぽど楽なのかもしれない。

好きなものがなければ「一番になりたい」という
欲さえ感じずに生きていけるのかもしれない。


なんとも極端な話ではありますが、
当時の僕が思いつく、
「欲望」から解放される為の手段は、
それしか考えられなかったのです。


それは、好きなモノやアーティストに関わらず、
身の回りの人間関係でも同じような考えでした。


誰かに対して何かを期待し、求めてしまうこと自体が
僕にとっては自らの「欲望」そのモノであり、

それを誰かにぶつけてしまう、
あるいは、その「欲望」を感じてしまうこと自体が、
すごく気持ちが悪くて、怖かった。


そうやって考えていくうちに、
僕は表面的な人間関係を築こうとしていました。


ですが、そのような生き方や考え方からは、
何も生まれないのだと感じました。


好きなものを持たない、
全ての物事を「どうでもいい」としか捉えないことで、
「向上心」や「ワクワク」が一切、生まれなかったからです。


全てのことがどうでもいいんです。


一番になれようが、なれなかろうが、
どうでもいい。


どうでもいいんです。


あるのは、誰かと遊んで楽しい、
誰かに怒られて悔しい、
誰かに必要とされて嬉しいなどの
外的な要因によって生まれる感情だけです。


自分の意思から生まれる感情が、
そこには存在しませんでした。


「私」という主観から生まれる感情が
存在しなかった。


そんな中、大学へ進学し、
デザインを学び、
デザインがしたいと、

そう思った瞬間がありました。


デザインがしたい。
デザインができるようになりたい。


その時、幼い頃に強く、
僕の中に存在していた「欲」が
フツフツと込み上げてくる感覚がありました。


当時、僕の周りには、
その「欲」を敏感に感じ取り、
上手にコントロールしてくださる
2人の先生方がいました。


僕にとって恩師ともいえる、
そのお二方の存在は、
今でもとても大きく、

僕にデザインを、生き方を
教えてくださった先生方です。


そのような方々の支えの中、
僕は全力で自分の中にある「欲」と
向き合うことができました。


僕自身が今、何に欲望を感じ、
僕にとって嫌だと感じることは何なのか、
心地の良い状態はどのような状態なのか。


僕の中にいたはずの主観を
ひたすらに探り当てるように、
文章を書き、自分に問いかけ、
自分を模索し続けました。


その時に初めて、

自分の中にある「欲望」や「欲求」たちが、
すごく心地のよいものへと
転換されていく感覚がありました。

そこで見つけた「欲望」たちは、
決して誰かに対するものではなく、
自分自身に対する「欲望」であり、

誰かにとっての一番になりたいのではなく、
自分自身が僕にとっての一番でありたい
というような、


それは、
主的な主観の上にある「欲望」であると感じています。



ここで一度、話を戻しましょう。


僕なりの「欲求」との付き合い方について。


簡潔にお伝えすると、
欲求」を誰かに対して抱くのではなく、
自分自身に抱くことで
、様々な欲たちは、
必要なものへ転換されるのではないかと考えます。


少なくとも今の僕にとっては、
欲求そのものを自分自身に向けることで、

当初は蓋をしようとしていた、
ないほうがいいと思っていた感情たちと、
うまく付き合えているように感じています。


そして、この考え方はきっと、
僕自身の心の状態や、周りの環境によって
これからも変わっていくものだと思います、、、。


そんな未来の自分が’楽しみです。



ということで今回は、
僕なりの「欲求」との付き合い方について
考えていることを共有させていただきました。


きっと皆さんのなかにもあるであろう
様々な欲求。


皆さんがどのように欲求や欲たちと向き合い、
付き合っていこうとしているのか、
ぜひお聞かせいただければと思います!

それでは、長くなってしまいましたが、
本日も最後までお付き合い、
ありがとうございました。


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