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尾崎豊が繋いだもの

昨年、OZAKI30という尾崎豊さんの展示会が全国で開催された。彼が亡くなって没後30年という節目の年に、もう一度彼の残した作品や背景に触れて今を生きる人々と尾崎豊さんという人物を見つめ直すというもので、多くの人々と尾崎豊について分かち合う良い展示会であった。


僕は東京、埼玉の2ヶ所で行われた展示会に計3回ほど足を運んだのだけれど、どの会場でも小学生から80歳くらいまでの幅広い年齢層の多種多様な人々が訪れていて驚いた。そして尾崎豊さんの残した物が何故これほど後世に影響力を与えたのだろうかと考えざるを得なかった。

展示会を企画した音楽プロデューサー・須藤晃さん、尾崎豊さんの息子・裕哉さん、彼のジャケット写真等を撮り続けた写真家・田島照久さんの3人によるトークセッションが埼玉の会場で行われ、その時、その場所だけで語られた尾崎豊さんの話があった。

特に彼を1番間近で見てきた須藤さんが語る事が非常に面白かった。



須「尾崎さんは、いつも暗い事ばかり(笑)話す人だった。生きるか死ぬかみたいな事を常に考えている人だからね、彼を明るい気持ちにさせる為にあえてふざけた話をしてケラケラ笑わせていましたね。逆に息子の裕哉は真逆で、根がふざけているから(笑)ずっとふざけた話になっちゃいますね。
尾崎親子の唯一違う所は"明るさ"ですね。裕哉は友達も多いし、そこは母親譲りだったんでしょうね。(裕哉さんに向かって)まぁ、もう少し頭のネジ締めた方がいいな(笑)裕哉はよく言えば明るい、悪く言えばアンポンタン。笑」

なるほど、豊さんはずーっと生きるか死ぬかみたいな事しか考えていなかったのだと知った。
彼の歌の中にある孤独感というか、時に重たすぎるように感じる歌い方や曲のテーマが何故そうなるのか分かった気がする。
そして息子の裕哉さんも曲のテーマが似ている時もあるけれど、豊さんより軽いというか、より今っぽいポップな印象の曲が多い。その理由も分かった気がする。その人の性格とか、気質みたいなものが歌に、表現に確実に出てくるものなんだなぁと。

そして話題は僕も気になっていた"没後30年という月日が経つにも関わらず、何故尾崎豊を支持する人が多いのか?"というものになった。

須「"言っても変わらない、そんな事言ってもしょうがないだろ"って事を一生懸命歌っていたからだと思います。世界平和や愛なんて、尾崎さんに限らずジョンレノンであったり色んなアーティストが言って歌ってきているんです。でも、世界は良くなってはないじゃないですか。ウクライナで戦争も起きれば、コロナという見えない敵と戦ってる。皆幸せだっ!って世の中ではないと思うんです。良くならないかもしれないと、分かってるのに一生懸命やろうとする所に切なさを感じる。死ぬと分かってるのに永遠に生きるんだって事を歌っていく、俺はずっとLOVEやPEACEを歌うんだってのをやってた人なんです。」

なるほど、、普通の人なら諦めそうな所。そんな事言ったってしょうがない。そういう大人が目をつぶって見逃そうとする事を"ちゃんと面と向かって見てみよう、諦めないでみよう"と言い続けた人なんじゃないかと思った。
きっと、そういう自分の中の純粋な部分、諦めてしまったけど諦めたくなかった、世の中の常識や、流されたけど本当は流されたくなかった自分の純な部分に、尾崎豊は語り続けているから多くの世代に支持されているのではないか。

愛や平和というと大きな事に聞こえるけれど、一人ひとりの人間から発生するものと考えると、
自分自身を見つめ、正直でいないと本当の意味での幸せは感じられないし、周りに与えることもできないよなと思う。尾崎豊さんは、「正しい答えがあるならば、いつかそれを知りたい。それが人としての生きる夢みたいなもの。」と語っていた。正しい答えを求め、知る事。それがどんな表現にも根底に流れているように思う。

だが彼は1992年、26歳の若さで亡くなった。
須藤さんが以前彼の死についてこんな事を語っていた。「人が死ぬと"息をひきとる"といいますが、それって亡くなった人が息をしなくなるという意味ではないんですよね。亡くなった人が最後に吐いた息をそばにいる人が"引き取る"という意味だと思っています。アーティストも、皆さんも、尾崎さんが吐いた息を引き取っているんだと思います。」

-人が本当に死ぬのは、その人の事を覚えている人がいなくなった時だ-
という言葉を思い出した。没後30年経っても尚、こうしてリアルに尾崎豊という人物を感じられるのは彼の息を引き取った人々が後世に繋いできたからなのだと思う。
歌舞伎の世界など、初代から始まり何十代も続いていく伝統芸能というのは二代目が一番大切だと言われているらしい。二代目が後世に繋いでいく事を決めたから、何世代後にも続いていくのだと言われている。
そう言った意味で、息子の尾崎裕哉さんが父親の歌を自分の声で歌う事、自分の歌を歌うことを今やられているのは非常に意味のある事なのだなと思う。

尾崎豊を知らない世代が、息子をきっかけに知っることで、彼の息を引き取る人が更に広がっていく。

彼を見るたび、知るたび、自分が残していけるものはどんなものかを考える。

僕も彼の息を引き取った一人として、自分のやり方で繋いで行きたいと切に思う。


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