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孤独でなくなる1分をもとめて文章を書く。

自分が書いたブログのリストを眺めていて、気づいた。僕はずっと「他者とどうしたらつながれるか」を考えてるんだな。

「コミュ障み」を抱えたまま、じたばたもがきながら、そこから見える景色を書いてる。その「コミュ障み」は距離が遠い人からしたらわかりやすいものじゃないから、「えー、ぜんぜんそんなことないじゃん!」と言われやすい。

でもそれは、映画『シザーハンズ』みたいに、ある程度の距離をとっていたらいいけど、近しい人を傷つけてしまうというものなのだ。


どの作品だったか忘れたけど、たしか村上春樹さんの小説で、主人公が「僕がひとつの部屋だとして、とどまっていってくれる人はいるけれどみんな立ち去ってしまう。そして、来たときより傷ついて立ち去っていく」って言ってたシーンがあった。その感覚がすごくわかったりして。


僕はいま、文章を書いたり写真を撮ったり話を聴いたりしてるけど、けっきょくのところ、孤独な人生のなかで束の間「あ、人とつながれたかも」っていう一瞬をもとめてもがいてるような気がする。ちょっとあがっていっても、傷つかない小さな部屋をつくって、「まぁまぁ、ちょっとお茶でも飲んでってくださいよ」と。それがこうして書いてる文章だったりする。


「つながれたかも」っていう一瞬はめったに訪れないし、泡沫のように消えて、また孤独の世界にもどる。だけど、ごくごくたまに「あ、つながれたな」ってときがある。それは駅のホームだったり渋谷ヒカリエの8階だったり銭湯の湯船のなかだったりする。時間にしたら1分にも満たないその時間だけ、「生きててよかったな」って思える。


その一瞬をもとめて僕は今日も文章を書いたり、シャッターを切ったりしてるのだ。

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