弱い自分を抱きしめるように、強い自分も抱きしめたい。
弱い自分を抱きしめてあげよう、みたいな言葉をよく耳にする。
たしかに、「自分なんて…」って思っちゃうのはくるしい。弱い自分は、もう抱きしめてなでなでしてハーゲンダッツをおごってねぎらってあげるくらいの気持ちでいる。
だけど、今日ふと思った。弱い自分を抱きしめるあまり、強い自分を抱きしめられてないんじゃいのか?と。
もうちょっとひらたくいえば、弱さをうけとめて、それを誰かに伝えることは積極的にやっているけど、強さをうけとめて、それを誰かに伝えることは積極的にやってなかったのだ。
ここでいう強さっていうのは、「俺はこれを目標に頑張る!」とか、「俺ならできる!」とか。松岡修造的な自分のこと。
なんか、正直、弱さを誰かに伝えるのが気持ち良くって、ですね。それが癖になっちゃって、松岡修造的な自分を出しにくくなってしまった。そのうちに、だんだんと松岡修造的な自分がひっこんでしまったのだ。
だけど、強い自分だって自分なのだ。とうぜんだけど。そいつの存在を無視すると、なんかバランスがわるいというか。「弱さに居直る」ような状態になってしまって、それはそれで健全じゃない。
だから、弱い自分を抱きしめてあげるように、強い自分も抱きしめてあげたいと思う。
って書きながら、松岡修造を抱きしめてる映像が頭に浮かんだ。なんていうか、あつそうだな。
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