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履歴書は空白でも、人生は空白じゃない。

一ヶ月にいちどくらい、無性にドーナツが食べたくなるのはなんなんだろうか。

僕は甘すぎないオールドファッションがいい。外はサクサク、なかふんんわりみたいなよくあるお飾りの言葉とはちがう、なかがぎっしり詰まってるやつ。サクッとかじって、なかまでしっかり生地の存在を確認し、おおよくぞ、と思いながらすするコーヒーの苦さとドーナツの甘さのまじりあう感じがたまらない。

「ドーナツの穴は存在か空白か」というテーマは、古代ギリシアのアリストテレスの時代から哲学の重要トピックだったとか、そうじゃないとか。(たぶんそうじゃない)。ただ現代ではドーナツの穴を指差して「ここ!穴空いてるじゃないの!」とクレームをつける人はいないはずだ。

なのに、こと人生となると、話は違ってくる。ドーナツの穴「履歴書の空白期」があることが、ネガティブなことだととらえてしまうことが少なくない。そんなことを以前noteで書いた。

そんなnoteを読んでくれた一人、友人の馬場澄礼さんが、「やまぴーさん!イベントやりましょう!」と声をかけてくれて、11/14に「履歴書の空白期」についてのイベントに出させてもらった。もう一人のゲストは、「履歴書の空白期」についてのnoteを書いたてっちゃんこと、小笠原祐司さん。

会場となった神田のシェア型複合施設: the cには、20名ほどの方が訪れてくださり、「履歴書の空白期」について、あれこれおしゃべりする時間になった。

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なかなかこのテーマでここまで話す機会ってないので、ずいぶん新鮮でおもしろかった。特に感じたのは、履歴書の空白期について、「履歴書は空白でも、人生は空白じゃない」のだ、ということ。

皆さんの履歴書は空白期の話を聞いていると、空白期には次のようなことをしている。

・病む

仕事や学校でのトラブルなどでストレスを感じ、病む。身体的に病む場合もある。

・ドロップアウトする

仕事や学校など、所属している場からドロップアウトする。

・休む

とにかく体調を整える。

・心の安全基地を見つける

ひとりで空白期をすごすのはつらい。家族や友人など、信頼できる人に自分の状況を話し、心の安全基地ができると心強い。

・さなぐ

ある程度体調が整ってきたら、内省して考えを深める。これまでのことやこれからのことを考える。それを僕は「さなぐ」と呼んでいる。


・ベイビーステップを踏む

「さなぐ」段階を経て、こういう方向に進もうか、ということが見えてきたら、赤ちゃんのハイハイみたいにほんの小さなことでもいいので行動をする。最初は「家を出る」とか、「買い物をしてみる」でもいい。そうして、だんだんできることを増やしていく。

・機会と出会う

ベイビーステップをふんでいると、思わぬ出会いがある。「こういうこと、やってみない?」という声がかかり、自分が思ってもいなかったキャリアが開けることがある。僕の場合、「編集者やらない?」と、出会った社長さんに言われたことがなかったら、今の人生はない。


さて、これらはぜんぶ動詞であることからも、履歴書の空白期に僕らはいろんなことを「DO」していることがわかる。履歴書の空白期は空白のようにみえて、実にいろんなことをしているのだ。

「履歴書は空白でも、人生は空白じゃない」とは、そういうことである。

「履歴書の空白期」があると、「自分の人生のその期間は意味がなかった」と考えてしまいがちだけど、むしろある一人の人間にとってとてつもないドラマがあるのが「履歴書の空白期」だ。

「はじめてのおつかい」みたいに、この世界の片隅でおきている、小さなドラマかもしれないけれど、その人にとってはどんな映画よりも大切なストーリーが秘められているのが「履歴書の空白期」だ。

ドーナツは穴まで味わえるのがドーナツ好きのドーナツ好きたるゆえんだとして、人生も空白期まで味わえた方がゆたかな気がするけど、どうでしょう。


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