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「傷つくよ」と指摘されることより、指摘してくれる誰かがいないことがこわい。

自分が持ってる「無意識の加害性」がこわい。

僕も加害者になりうる。というどころか、すでに加害者なのだと思う。加害者というのがおおげさなら、すでに誰かを傷つけている。「虫もころしたことないんです」と言う人だって、気づかないうちに蟻をふみつぶしてるわけだし。かならず、どこかで。


学生時代にイベントで飲食店のブースを出店したとき、一緒にお店に立っていた女の子が、お店が混んでいるにもかかわらず何度もお手洗いに行くものだから、僕は「え、いまいくの?」と言ってしまった。

その女の子は潰瘍性大腸炎(※)という難病を抱えていた。そのことは当時からうっすら知っていたのだけど、あまり詳しくは知らなかったのだ。

僕に「いまいくの?」と言われたとき、あの子はどう思ったんだろう。

※大腸の粘膜に炎症が起きることにより、びらんや潰瘍ができる原因不明の慢性の病気。主な症状としては、下痢や血便、腹痛、発熱、貧血などがある。


嘘をついたことがないひとがいないように、加害性を持たない人もいない。あるのはきっと、「自分も無意識の加害性を持っている」、言いかえれば知らないうちに誰かを傷つけてしまってる、ということを自覚しているか、いないかの違いだけだ。(自覚できていたらえらい、ということではいけれど)

そして、「無意識の加害性」が加害に発展するまで自分の中で育ってしまうのは、「他者の不在」という要因が大きい。「それって傷つくよ」って指摘してくれる「他者」がいない、ということ。



現代ではネットでは気の合う人とだけ接することがきるし、特に今はコロナ禍で自分と異なる存在と出会うことも減ったから、余計に「他者」が不在になる。

コロナ禍以前は、他者との出会いや摩擦って避けられないものだった。だけど、今は意識しないとつくれないものになってる。いや、飲み屋とかイベント会場が閉まってしまった今、意識してもなかなかつくれない。

偶然の出会いがあるclubhouseだって、あとはマッチングアプリだって、けっきょくは同年代の、ある程度収入が同じくらいの、同じような価値観を持つ集団のなかでの出会いが生まれるものでしかないのだ。「南極観測隊として南極に2年間住んでいて、今は小学校の用務員をやっているおじさん」みたいな「他者」とは出会えない。(この前、居酒屋で本当に出会ったんですよ)



今はみんなが「裸の王様」になるリスクがある世の中。だからこそ「王様は裸だ!」って言ってくれる人を大事にしたいし、言える人間でありたい。いや、あらねば。

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