「写ルンですを渡すので、あなたにとっての“ホーム”を写真に撮ってください」
ちょっと聞いてくださいよ。今たくらんでることがありまして。
何度かnoteで書いてるように、僕が探究してるのが「ホーム(帰る場所)とはなにか」ということだ。
なので、会う人に「あなたにとってのホームは?」なんて聞いてみたりしてる。
あるとき、友人の三好大助くん(だいちゃん)とそんな話をしていたら、あるたくらみが生まれた。それは、「写ルンですを渡して、『あなたにとっての“ホーム”を写真に撮ってください』」とお願いする、というもの。
写ルンですを渡された人は、「“ホーム”って、なんだろう?」と考える。それは家とか教会っていう物理的なものかもしれないし、家族とか親友みたいな関係性かもしれない。宇宙とか数式とか、抽象的なもの?かもしれない。
送り返されてきた「写ルンです」を現像してみると、そこには僕が思いも寄らない“ホーム”がうつされているんじゃないか。そしてたくさんの人の“ホーム”をアーカイブできたら、現在を生きる僕たちにとっての“ホーム”について、なにか見えてくるものがあるんじゃないか…。
そんな話で盛り上がったので、まずはだいちゃんに「写ルンです」で写真を撮ってもらった。それがこちら。
僕は現像からあがってきた写真を見て、ちょっとぐっとくるものがあった。なぜかわからないけど。なにも情報を与えられず見せられたら、それはただの海であり森であり食堂だ。だけどこれが“ホーム”なのだ、という意味があたえられたとき、なんでもない風景が僕にグッと迫ってくる。
さて、だいちゃんにとっての“ホーム”とはいったいなんなのだろう。
改めて問われてみると、僕にとってホームとは「還る場所」だなと感じました。
いつもは、自分という存在が社会の中で埋もれてしまわないようにと、自分の「輪郭」をはっきりさせようという力みが働きやすくて。
ホームと呼べる場所にいるとき、必死にこしらえてきた輪郭は自然に消えて、ただ何者でもない自分として「すべて」と溶け合える、「すべて」に還れる。そんな体感が、僕にとってのホームにはあるんだと、この撮影で気づくことができました。
今回ためしにやってみたら、かなりおもしろかったので、他の人にもお願いしてみようと思う。何人かのぶんがたまってきたら、ZINEにまとめたりして。
もしかしたら、みなさんにもお願いするかもしれません。そのときは、どうぞよろしく!
サポートがきましたって通知、ドキドキします。