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「わたあめ的な関係性」と、「布的な関係性」。

よくみかけるけど、なんかひっかかる言葉ってある。僕の場合、そのひとつが「人を巻き込む」っていう言葉。「巻き込み力」みたいなビジネス本を見つけると、肩がきゅっ、ってなるのを感じる。もともと肩こり持ちなのである。


先日、高円寺の銭湯「小杉湯」の平松さんが、こんなツイートをしていた、



「人を巻き込む」ではなく、「関係性を編む」という言葉が、いい。肩こりがじんわりほぐれていくような感じがする。


「人を巻き込む」は、なにかの目的のために他者との関係をつくる、みたいなふくみがあるし、自分が中心で他者がそのまわりにぐわーっとからめとられていく、みたいなイメージを持つ。自分がわたあめの割り箸で、他者は砂糖、みたいな感じ。

で、「人を巻き込む」ではなく、「関係性を編む」といったとき、自分と他者の関係は「人を巻き込む」といったときのソレとはすこし違ってる。

なにかの目的のために、というよりも他者との関係性自体が目的、みたいなふくみがあるし、自分が中心というよりも自分も関係性のなかに編み込まれている、みたいなイメージを持つ。中島みゆき的に言えば「縦の糸はあなた、横の糸はわたし」、みたいな感じ。


僕は、割り箸側であれ、砂糖側であれ、「巻き込む」のも「巻き込まれる」のもまっぴらごめんだ。そうではなくて、縦の糸とか横の糸になって他者との関係性のなかに編み込まれていた方が、すこやかな気持ちでいられるんだよな。わたあめ的な関係性じゃなくて、布的な関係性。


小杉湯のように、「人を巻き込む」ではなく、「関係性を編む」ことを大切にする人や場所とかコミュニティがある。関係性を、糸と糸が重なってできあがる布としてきちんと見ているような。そういう人とか場所とかコミュニティに、僕もあみあみに編まれていきたい、と思うのだ。あみあみ。

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