見出し画像

So where is the Paradise?23年から24年へ。

大騒ぎの猫たちに起こされて午前6時半にのそのそと起きた。
猫をそれぞれ可愛がり、まずは脱ぎ散らかした服を片付け洗濯をし、台所の流しに溜まった鍋などを洗い、ゴミ捨てに行き、米を搗きに行き、ストーブでおでんを作り、米を炊き、チョコレートケーキを焼く準備をして、コーヒーをドリップして、ようやくソファについた。
すでにお昼時になっていて、朝方に大騒ぎしていた猫たちは昼寝していて、家の中はすっかり静かだ。こうして家のことを何やかやとしているのはなかなか心地良い。

移住して4年目の2023年という年は、私にとってはおおよそ失敗の年だった。物事がうまくいかない年というか、あまりにも物事を詰め込み過ぎたというか。

早朝から昼ごろのバイトを通年の土台として、2月頃に地域の編集という題材で講師をし、4月からは地域の役を二つ引き受けた。5月には地域の女性たちとお茶づくりをし、6月には地域の祭りに参加し、5月から9月までは米作りがあり(水管理にまつわることやら大型機械を使う以外の作業は意外とやっている)、その間は営農組合の活動を追っていた。10月後半からはやっている団体のワークショップの企画・運営、それに加えて地域の役にまつわる小さなイベントの運営、そして年末は毎年恒例になっているしめ飾り作りをし、しめ飾り作りの講師として福岡市内の幼稚園児に教えた。

企画運営や講師役をしたものについて、そのどれもが及第点以上の出来だったとは思う(こういうことに謙遜をしない人間でして)。上出来だったとは思うけれど、例年の米作り終わりの体調的精神的不調の中で、イベントの企画運営がごろごろとあった状態の自分は、いつも充電4%ぐらいだったし、少し落ち着いた今から振り返ると目隠しの綱渡り以外の何物でもなく、我ながらぞっとする。

大きな問題は3つほどあった。

まず一つは2022年に立ち上げた「里山チュエリ」という団体の運営。
この団体は地域における興味あるものを学び、その結実としてワークショップを行うという活動で22年度と23年度に県の補助金を少額ながらもらっている。農閑期に活動を詰めこみ過ぎたのでスケジュール的に厳しかった。
それに22年度は自分1人で運営していたところを、23年度から事務局制にした。定例会を設け決定権を分散しのだが、自分だけの考えに囚われず相談ができるという点は良かったのだけれど、結局は私の仕事が増えるばかりになってしまい、あまりうまく機能しなかった。単純に私の考えが足らなかったのだ。
けれど、これについては新年一回目にした定例会で、来年度は補助金に応募しないこと、24年度は企画するイベントの規模を縮小しフレキシブルなものにすること、組織をスリム化すること、新たな全体のテーマの設定、私以外からのしたいことの提案(魅力的な企画が誕生した)などで、かなり明るい見通しが立った。
合議って素晴らしいとしみじみ思う。

もう一つは、人の人生に首を突っ込みすぎていたということ。
基本的な生活で忙しいと感じることが多かったにも関わらず、私はすぐに気にかかる人に対して何かしらの自分が出来るアプローチをしていた。それは週1回のバイトだったり、気にかかる人の話を食事をしながら聞くとかそういうことだったのだけれど、それらが果たして相手にとって良いことだったのかということを最近になって考えている。もちろんそれは自分の善意から発したものであったけれど、共依存的な関係性の構築でしかなく、私の度を越した介入だったのだろうと思う。
これからは人から何か求められたら、自分が苦しくならずに済む範囲で応えることにした。

最後の、そして一番大きな問題は、「いかに地域と関わるか」だ。
23年度から地域の役を2つ引き受けた。「誰もいなかったら引き受けてくれない?」の一言を真に受けてあっさりと引き受けたのだけれど、事はそんなに単純なものではなかったし、何よりも地域事というのがここまで時間と労力を取られるものだとは思ってもみなかった。
とは言え、自分でどの程度関わるのかと決められる部分もあるはあるので、私自身が関わってしまっているという言い方もできる。けれど、どうしても断れずにイベントを立てて運営しなくてはならないという場合もあり、そういう時の自分の予定を変更せざる得ないところなどは、かなり厳しいものがあった。特に団体のワークショップと重なった時は悲惨だった。

けれど、良いこともたくさんあった。地域事に関わらせてもらうと、それまでの3年間ではまったく見えてこなかった地域が新たに立ち上ってきたのだ。それまでは移住者として気を遣われていたのだなとか、地域でものごとが決まっていくのはこんな過程があったのだなとか、地域の中での色々な人々の関係性や、いかに地域の女性たちがイベントや企画の時の機動力があるのか(これについてはひたすら凄いとしか言えない)など、多くの気づきがあった。

それでも、色々なものが重なった11月12月に、もうこれ以上の関わり方は出来ないかもしれない、来年は減らさなくてはと思った。その矢先に、自治会の職員に推薦され、この1月に正式に職員になることが決まった。
自治会の職員は週に1度、事務所が置かれたところに勤務して、地域の運営にまつわる事務などをする。
実を言えば、私自身この選考委員会の委員で、私が推薦されるなんてことは寝耳に水で、私はその場で出た他に推薦された人を推した。けれど、どうやら私が女性の中の第一候補と他の人たちの中で決まっていたらしい。

ずいぶん変なことになったなと思う。
何故ならば私は、結婚して子どもをもち地域ではあまり主張しないという、この地域の女性像から大きく逸脱しているからだ。
自分の興味のあることを追求し、違和感があることはなるべく発言し、頭でっかちで身体を動かすのが苦手で、ずいぶんな変わり者だ。
にも関わらず、この地域の人、少なくとも選考委員になっていた人たちは私の名前を挙げ私を推薦してくれた。たぶん、うきは市内の別の地域であれば私は推薦すらされなかっただろう。
そう考えるとこの小塩という地域の人たちは面白いなあと思う。それに私が11月12月に地域にこれ以上関わるのは無理だと思ったのは、かけている労力と時間に対して金銭的に報われないからというのもあった。金銭面が解消されれば、私を推してくれた変わった人たちのために、自分が出来ることをするのも悪くない。そんな風に思った。
そんな訳で、昨年からは思ってもみない地域の関わり方を今年の4月からすることになった。

1月7日にあった鬼火焚きの準備やら運営が終わって、ぐったりとした1週間を過ごして海に逃亡してきて、昨年のことを振り返り、今年の自分がどうありたいかということに向き合う時間が取れた。
移住5年目を前にして、ようやく暮らしや生活という面では落ち着きを見せそうな気配がしているところに、新たな地域との関わりや、とても楽しそうな団体の運営になっていきそうで、今はずいぶんワクワクしている(もちろん、そんな単純にことは進まなくて、相変わらず煩悶して失敗して海に逃亡したり何だりの日々だろうとは思う)。

それに、この4年は身体を動かすことにすべてを振っていたようなところがあるので、これからは暇な時間を作って、本を読み文章を書く1年にしたい。それが自分の1番大事なことのように思うので。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?