見出し画像

So where is the Paradise?地域に望まれたことをする、ただそれだけ。

山里にしとしとと雨が降り、春の雷がなっている。
もともと雨を眺めるのが好きだった。けれど、今はお米を作るために、川が増水するし、ため池に水が貯まるからよかったと思うようになった。
外に出てみると肌寒いとは言え、少し前までのきんとした冷たさではなく、ほんのりとしたあたたかみを感じて、いよいよ春がやってくるのだなと思う。

春がやってきたら、小塩への移住5年目を迎える。
家を買い、訳も分からず米作りの真似事をして、ただただ暮らして、4年という時間が経ったことにびっくりするような気もするけれど、丁寧に振り返れば確かに4年という濃密な月日だったようにも思う。
特に移住4年目の今年は移住や地域に暮らすということについて、色々と考える機会が多かった。

今年度の4月から、私は小塩地域全体の役を一つと、中崎地区の役の一つをしている。
昨年の今時分に、「もし誰もしてくれる人がいなかったら引き受けてくれない?」と言われて、「誰もいなかったら引き受けますよ」と気軽に返事をしていたら、常会(集落の戸主が集まる会合)で私が正式にその役に任命されて、あれは正式なオファーだったのだと後から気づいた。

それでも、集落の中で何かしらの役を与えてもらうことはありがたいことだなどと思っていたのはあまりにも能天気だった。独り身で、移住4年目で、40歳では一つでも役を引き受けるべきではないと、今ならば言える。

移住してからというもの、私はあまり拘束時間の長くないパートタイムの職についている。それは午後から身体を空けて、自分の興味の対象(主にはこの小塩集落にまつわること)に時間を割けるようにとしているからだ。

小塩というこの里山の地域に私が移住をしてきたのは、山の豊かさに惹かれてのことだった。考えなしに田んぼを所有して行政上の農家になってしまい米を作っていることはこの一生で最も影響を受けた出来事であることは間違いないし、生活と作業とが不可分であるこの土地での暮らしは興味が尽きることがない。

この土地の自然や営みが好きというのは紛れもない事実なのだけれど、それと役を引き受けるというのはまた別の問題だ。

自分で稼がねばならぬ身で、おまけに独り身というのは、基本的にはほぼ全てのことを自分でせねばならず、その上にかなりの労力と時間を取られる地域の事をするというのは、私の体力的精神的なキャパシティーをオーバーしていた(もちろん、これは個人差のあることで、同じ状況もしくはフルタイムで働きつつも上手くこなすことの出来る人はいるだろう)。

ただ、イベントや何やらで体力的に疲弊するのはまだマシで、私は与えられた役のすべきこととして発案し実行しようとした時に、余計なこと面倒なことをしてくれるなという反応が一番精神的に参る。だったら何もしなければ良いのかと言えば、何もしなかったらしなかったで不満を抱かれ、どちらを選んだとしても割りに合わない。

そう、地域事って、ほんとに割りに合わない。

先日、小塩地域全体の会合に出席したのだが、自治会に匿名の意見書が提出されそれについての議論があった。それは自治会への批判的な意見だったのだが、自治会への意見というよりは小塩の土地のそもそもの在り方に対しての疑問のように感じたし、私は意見書を出した人がある程度の納得をするほどには議論されていないと思い話を蒸し返したのだが、会合が終わった後に自治会の人と話をしたら、どうやら私がその意見書を提出したと思われていたらしい。

とんでもなくひどいことを言えば、私はこの小塩という地域に対してこうあって欲しいというような理想はない。
なぜならば、私はただの移住者でしかなく、永遠の他所者、家は買ってはいるけれど間借りしているようなもので、根っからのこの土地の人間になることは出来ないと考えているからだ。

私はこの小塩という地域が好きだ。
けれど、私の好きはこの土地に元々住んでいる人たちの愛に敵う訳がないからこそ、この土地で、この地域のことについて優先されるべきは元々ここに住んでいる人たちの意思だと考えている。

彼らに何かを望まれたら私はそれをするだけだ。
自分がしたいことや好きなことは地域事ではなく自分個人のこととしてするつもりで、地域という単位で自己を実現したいとは微塵も思っていないのだ。

たぶん、人から(特に小塩の人に)は理解されにくいだろうが、私はかなり小塩のことが好きだと思う。でなかったら、元々に住んでいる人たちの意思こそが最優先であるなんて考えない。

しかし、そんなふうな私ですら、(労力的精神的なコストを踏まえると)平地のアパートで暮らす方がよっぽど楽だろうなという考えが頭をよぎる。

最近、小塩で「人材がいないんだよ」という言葉を耳にする。

確かに私の実感としても、60代以下の人が極端に少ない。正確に言うと65歳以下の人たちで、おそらくそれぐらいの世代から進学や就職を久留米市、福岡、大阪・東京というふうに小塩を出て行ったのだろう。
それは教育を受けるためでもあるし、経済基盤が弱いつまり稼ぎ先が少ないということが主な理由であろうが、あまりにも地域のことに関わらなくてはならないこと(役を引き受けなくてはならないなど)が多すぎることも一つの原因だろうと思う。

空き家が増えていく中で、田舎で暮らしたいという移住者を増やすべきだと私はかつて考えていた。
けれど、移住者を増やしたい地域はそれこそ日本全国にたくさんあって、いつだったか見た報道によれば、全自治体の移住者募集の数が日本の全人口を上回っているのだという(なんて冗談だ)。
そんな状況にあって目指すべき空き家対策は移住希望者に寄るのではなく、元々ここに住む人たちの子どもやお孫さんがこの小塩という土地に帰ってくることではないのだろうか。
彼らが山を下りざるを得ない状況を改善し、積極的に帰ってきたいと思う土地になったら、それは同時に移住者にとっても暮らしやすい場所ということになり、そこに相乗効果が生まれると思う。

なんてことを、ここのところ考えている。

ただ、人口が減少していき集落が衰退していくのもまた自然の摂理であるという考え方もあり、それはそれで良いのかもしれないと思う自分もいる。

何にせよ、私はこの小塩の地域の人たちが望むことを、出来る範囲で手伝う。
だだそれだけだ。

追伸
こういう率直な胸の内を書くことはやはりリスクしかないと思う。けれど自分の考えの整理にもなるし、何より見当違いなことで嫌われるよりも、考えを提示した上で嫌いだと思われる方がまだマシなんではないかと思った。
ちなみに、役を引き受けることのきつさを体感したわけだけれど、これは皆さんがしてきていることだし、自分がするべきというのに異論はない。ただ、それが移住4年目のタイミングだったのかとか、人口が減少していく中で、維持することが可能なシステムなのかという疑問がある。なんてことは、もう少し色々勉強して、また改めて書きたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?