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山上容疑者についての考察(Hさんへの手紙)

安倍元首相銃撃事件について、山上容疑者の動機が家族を死に追いやり破局に導いた宗教団体に対する怨恨であるのか、それとも報道されていない別の真実があるのか、現時点で定かではありませんが、Twitterなどのコメントを見ていると、決して少なくない数の人たちが山上容疑者に対する同情の念を抱いているように私には見受けられます。勿論どのような事情であれ殺人は許されない犯罪であり、山上容疑者が法によって処罰されるのは当然のことではありますが、それとは別になぜ山上容疑者に多くの同情が寄せられるのか?ということは、今後同様の犯罪を生まないためにも考えておく必要があるでしょう。

そこでまず参照しなければならないのが2008年6月8日に発生した秋葉原事件の犯人である加藤智大元死刑囚についてです。彼の場合、いわゆる毒親(教育虐待をおこなう母親)の家庭で育ち、中学までは成績優秀だったものの、県内トップの進学校に進学してからは成績が伸び悩み、結局、同級生全員が4年制大学へと進学する中で、彼自身は自動車工学科のある短大に進学し、卒業時期が就職氷河期と重なったことも相まって不本意な就職をする形となり、さらにその後も彼の人生は迷走を重ね、当時解禁されて間もなかった製造業派遣の派遣社員となり、絶望の末にあの事件を引き起こしたものと推察します。

では、今回の事件の犯人である山上容疑者はどうだったかといえば、彼もまた幼少期は成績優秀だったものの、彼の母親が宗教団体に高額の寄付を繰り返し、家計が破綻したために大学進学を断念せざるを得なかったという経歴が伝えられています。この点は加藤元死刑囚の経歴とも類似した点であります。しかしその後に彼は海上自衛隊に入隊し、3年の任期を全うした後、宅建やFP2級などの資格を取得して人生の立て直しを図ろうと模索しています。つまりこの時点ではまだ彼は希望を捨ててなかったということになります。それにも関わらず最終的にあの凶行に及んだ理由とは、いったい何だったのでしょうか?

これはやはり加藤元死刑囚と同様に「絶望」に心を支配されたためと考えざるを得ません。ではなぜ山上容疑者の心が絶望に支配されてしまったのかといえば、これは多分に日本の雇用慣習と当人の自尊心(社会的地位の自認)の問題が関係していると言えます。どういうことかと言うと、日本の労働市場は世界的に見ても独特で、本人の実力よりも年齢とそれに見合う経歴(キャリア)が重視されるため、専門学校を中退し、海上自衛隊を3年で辞め、その後も一貫しないキャリアを歩んできた山上容疑者のことを正当に評価する企業がなく、当面の生活費を稼ぐために就いた仕事でさらに履歴書に一貫性が無くなるという悪循環に陥り、もはや人生の立て直しは不可能と判断したためと考えられるからです。

結局、加藤元死刑囚も、今回の山上容疑者も「絶望」が犯行の動機となり、最期に大きな事件を引き起こすことで、誰からも顧みられなかった自らの境遇に注目してもらい、そのうちの何人かでも自身の不遇な人生に思いを馳せてもらえれば、それが本望と考えてしまったのかもしれません。そういう意味では私も加藤智大元死刑囚や山上徹也容疑者と似た境遇と言えなくも無いのですが、幸い私は社会運動と繋がったことで凶行に走るということはせずに現在に至っています。申し遅れましたが、プロフィール欄にもあります通り、私は約15年間にわたって氷河期世代の問題に取り組んでおり、その甲斐あってか最近は政府もこの問題を認識し対策をとり始めています。もし加藤元死刑囚や山上容疑者のような優秀な頭脳を持った人たちが、私と繋がりこの問題に取り組んでいてくれたなら、きっと大きな力になっていたであろうことは想像に難くありません。

ですので私の今回の事件に対する見解としましては、山上容疑者の不幸な境遇に対して同情はするものの、それを以て犯罪を正当化することはできず、凶行に走るよりもむしろ社会問題の当事者として運動に関わったほうが、誰かを傷つけることもなく、自分の人生をより意義深いものに出来ただろう…ということになります。また現在、彼らと同様の状況にある人に対しては、ぜひそうした社会運動があることにも目を向けてもらい、暴力ではなく言論で社会を動かして行って欲しいと切に願います。

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