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発信に向き合う素振り

先日、大学で同じ研究室だった面々でちょっと久しぶりに集まって飲んでいた時の事です。
それぞれ仕事をしていたり作家活動をしていたり、その中でも色んな立場がありそれも40歳前後という節目で変化があったりと、各々の近況を話していた中で一際盛り上がったのがZ氏のプライベートトーク。
自分ごときの人生では到底太刀打ち出来ないバラエティ豊かなエピソードに嫉妬すら覚えますが、そういえばZ氏は大学時代からハチャメチャに"おもしろいヤツ"だった事を再認識したのです。
「その日 人類は思い出した」状態。

僕らが学生の頃はまだ今のような形のSNSが存在しておらず、ネット上での仲間内のコミュニケーションはmixiのような隔離されたサービスで行われていたり、日本人ユーザーがポツポツ現れ始めたTwitterもそういった内輪ノリの延長線上で使っていました。
それに加えて、うちの研究室周辺では比較的多くの人が自分でドメインを取得し簡単なウェブサイトやブログを立ち上げて気ままにコミュニケーションを兼ねた発信をするカルチャーもあったりしたのですが、そういえばその頃からZ氏のコンテンツはメディアを問わず絶大な人気を誇っていたし、そもそもSNSが今の地獄のような状態になる以前は皆がかなりフランクに日常の行動や思考を垂れ流していて個々人のパーソナリティがそれなりの精度で共有されていたように思います。
もちろん今でもSNSはそういった使い方をされているし、単純に自分たちの世代が仕事や子育て等に忙しくなった結果可視化されにくくなっただけの話ではあるのですが、ネット越しに限らずいざ飲みの場だったりで膨大な情報量を接種するとやはり人間というコンテンツの面白さに勝る物は無いなと思い知らされるわけです。
昔のように週に何回も酒を飲むような体力も時間も無くなっていて、会いたい人に片っ端から会うような事はなかなか難しいもののやっぱり皆の近況はもっと知りたいなぁという気持ちになったりしてしまいました。

そもそも自分も発信をしなくなっていました。元々文章を書く事自体に苦手意識がある上に、140字以内でつぶやき続けた結果その能力は人並み以下に落ち、マトモな文章どころかアウトプットそのものが億劫になっていた気もします。
しかし仕事の面でもそういった事が必要になる機会も多々あるため苦手とか言ってる場合では無く、仕事でなくとも日常の断片を何かに残して発信する事をまたやってみようかなという事で、ツイート以上の何かを書く素振りも兼ねてアカウント作成後放置していたnoteでも使ってみるかと思いこれを書いています。

去年40代に突入した年に何だかんだ色々変化もあったりしたので、自分の記録も兼ねてまったりやっていきます。

みなさん、お元気ですか?


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