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【適応障害】仕事が続かない私の無数の職歴

特に診断をされたわけではないが、私は最近自分が適応障害なのではないかと思っている。
自己診断としてはかなり適格というか、ほぼ間違いなく適応障害なんだろう、と思っている。
先月仕事を辞めた時に思った。
これはもしや?と思ったのである。

この内容は正直めちゃくちゃ恥ずかしい。
けど、恥を忍んで書いてみようと思った。
そして、この事実を恥ずかしいと思う私は
やっぱり「普通」への憧れが強いのだと思った。

まだ自分が「普通」だと思っていた


私は20代前半で鬱病とパニック障害で仕事を辞めるまで
特にバイトや仕事で困った事はなかった。
続かない、と悩んだこともなかったし
大抵は慣れればみんなと仲良くできていたし、友達もできた。
ただ、思い起こすと私は学校には1度も馴染めなかった。

大学中退後、フリーターを続けてたまたま誘われて近所のお花屋さんで務める事になった。
めちゃくちゃやりがいを感じて働いていたし、何も花の知識もない私にみんな優しかった。
薬の副作用で働けないと分かった時は本当に悔しかったし悲しかった。
辞めたくないと本気で思った。

仕事を辞めると、50Kg弱あった私の体重は
病状の悪化とともに減っていった。
165㎝の私は30Kg を下回ったころには体力は微塵も残っていなかった。
退職後の1年半は確か傷病手当金が受け取れたのでそれでたまに遊んだりしていたと思う。
ただ、そんな簡単に鬱病は治らないし
私の家は父親が家のローンを残してニート生活をしていた為
親にお小遣いをもらえる状況でもなかった。

私の職歴に異変が現れる


とにかく体力がなかったし、かといってなんの資格もないので
短時間のアルバイトをいろいろやった。
やりすぎてどのバイトを何歳の頃どれくらいの期間やったかは正直全く思い出せない。
ざっと書き出してみます。
予想をはるかに超えると思うので心していただきたいです。
箇条書きでやってみます。

・結婚式場の裏方
・コンビニの早朝勤務
・お弁当のルート配達
・学童保育の指導員
・幼稚園のお手伝い
・保育園の保育補助
・発掘の図面?を描く仕事
・雀荘のメンバー
・ホテルの清掃
・教育教材の営業事務
・花屋(病気で辞めたところとは別)
・バー
・スナックとバーの間くらいの店
・アパレル店員
・おもちゃ屋さん店員

体力なくなった状態から始めたバイトは思い出せる限りでこんな感じ。
まぁざっと10年くらいの職歴とゆうか。まだまだあるとは思うけど、ちょっと思い出せない・・。
これを見て多いと思うのか少ないと思うのかはわからないけど
辞めた理由は本当にいろいろ。
リスカしてるって話を上司が聞きつけて「今日中に辞めろ」って言われた事もあったし
体力的にきつ過ぎて続かなかったとか
社内恋愛してるやつらがキモイとか。
雰囲気的に無理とか。

バイトの中で一番続いたのは
雀荘と夜職。
結局このグレーゾーンの職業は、ある程度の事には寛大だった。
雀荘で働いていた時、自殺未遂をしてICUに入っていた私。
2週間無断欠勤してたけど、退院してから店長に電話したら
「よかった~こじちゃんが飛ぶ訳ないと思ってたんだ~!
 で、いつから出勤できるの?」
とゆう軽いノリだった事を忘れません。
もちろん自殺未遂で入院していたとは言ってないけど。

箇条書きした仕事の内容とか
その時あった詳しい話聞きたい!とか思ったらコメント頂けたら嬉しいです。
また思い出せる範囲で書きますので。

ここまでで私はまだ「適応障害」とゆう単語にもたどり着いていなかった。
精神的にも体力的にも改めてゼロからのスタートだったから
「できなくて当たり前」と思っていたからだった。

体力的復活と勘違い


そんな私も少しづつ働く時間を長くしていき
ついに1日8時間週5日勤務ができるようになった。
観光地で有名な地元の定番のお土産のお菓子屋さん。
当時はコロナ禍でそこまで忙しくはなく
楽しく働いていた。

ここで私は自信をつけてしまう。
そして何より「普通に働けるようになった!」と思って嬉しかった。
今振り返れば、ここでおとなしく働き続ければ良かった。
ただただ相性が良かった職場だと気づけなかった。
1年あまり、パート社員として働いていた私は
正社員になるべく転職をした。

もちろん?続かず
その後正社員として
・洋菓子屋
・果物屋
・建築関係の事務
・食品系ミュージアムの案内係
・和菓子屋
と、この1年ちょっとでこの転職をした。
転職と呼んでいいのか知らんけど笑

最終の和菓子屋は5か月いて
楽しくはないけど特に問題もなかった。
そんな矢先に「線維筋痛症」になった。
これも結局精神的な事が多いみたいだけど
1日立ち仕事をすると翌日もう立てないくらい痛かった。
5か月働いても特に誰とも仲良くなれず、楽しくもなかったので
辞めるしかないな、くらいだった。

ただ、さすがになんでこんなに続けられないんだろ、と疑問になった。
私の努力不足感は否めない。
でも、それにしても辞めすぎなのでは?と思った。
辞める事に慣れ過ぎているのもあったとは思う。
でも調べると「適応障害」とゆう単語を見て
なんとなく納得した。

そして現在また新に仕事を探しています。
適応障害なのでは、と思った私は生まれて初めて「障がい者雇用」で仕事を探してみたりしている。
まぁどうなるかわからないけど・・・。



今回初めて書き出してみて思ったけど
ある意味めちゃくちゃ頑張ってるな私www
と思った。
あと、ただの社会不適合者じゃんwwwとも。
未だに困難しかない人生ではあるんだけど
精神疾患で仕事続かなくて悩んでる人っていっぱいいると思うから
こんなめちゃくちゃな職歴の人生の人もいるんだ、と思って
是非前向きに歩んでいただきたい。

そして私は心に決めている事が一つあります。
次「楽しい」と思って続けられる仕事に出会えたら
多少待遇悪くてももう辞めるのやめようね。って笑

思ったより長文になってしまったけど
最後まで読んでくださってありがとうございます!

くじけながらも前向きに進めたらいいな、とゆう感じです。
仕事が決まったらまた報告できたらいいなと思います。

こじ

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