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〈寺社巡礼〉大国見山コース・布留編、宗教都市.天理〜石上神宮(布留社)〜石上神社

2024年5月11日 
JR「天理」駅、9時前着。
駅前はイベントの準備中のようだ。


てくてくマップ奈良11を案内に、
大国見山コース約15kmを歩く。


駅を出て、大きな商店街を東へ
9時過ぎ、まだ早いのか、
お店ほとんど開いていない。

天理教の黒いハッピ姿の方
数名歩いている。

ようきや(陽紀家)「陽気」

独特のデザインの建物、

おやさと書店「親里」

この商店街は、天理教の信者さんが多いのだろう、
信者さんに馴染む言葉の店名が続く。

書籍、神具、お土産、飲食の店が多い。
アーケードを過ぎると

天理教教会本部
抜けのある、爽やかな空間。

天理教とは、

中山みきを開祖とする日本発祥の宗教。江戸時代後半に成立した宗教の一つ。かつては教派神道の一派とされていたが、本来は神道とは別の宗教であり、仏教の影響もみられる。

Wikipediaより



そして、この辺りは遺跡があり
調査で出土した「布留式土器」は、
その後、全国で確認されるようになり、
今では、大和王権の勢力拡大と共に
各地に運ばれ、作られた土器ということだそうだ。

布留遺跡

遺跡の中心域は石上神宮から天理大学にかけての低丘陵と考えられます。石上神宮の西側には平坦なエリアがあり、大きな柱穴や、造成した跡などが見つかっています。見晴らしが良く、物部氏の居館や刀一千口を納めたと伝わる武器庫などが建っていた可能性があります。

天理市観光協会




そのまま東へ歩く、
コンビニ有り、昼食を買う。


小野小町も、この辺りを詣で歌を残している。


案内通りに進む、

石上神宮境外末社 
恵比寿神社

参拝。

右折し

少し歩くと

HPによると、この社号標とは別に
県道51号線に面する入口の社号標は、
明治9年5月3日に当神宮の少宮司に任ぜられた
富岡百錬(鉄斎)の筆によるそうだ、



石上神宮

石上神宮は、大和盆地の中央東寄り、龍王山(りゅうおうざん)の西の麓、布留山(ふるやま・標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座し、境内はうっそうとした常緑樹に囲まれ、神さびた自然の姿を今に残しています。北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地帯として知られています

石上神宮HPより

見上げる扁額には「布都御魂大神」の文字。


石上神宮ひとつめの主祭神、
布都御魂大神(ふつのみたまおおかみ)

神武天皇が、熊野では賊の毒気にあたり
全軍が壊滅寸前の時、
高天原から降ろされた一ふりの横刀の名を「布都御魂(ふつのみたま)」
この横刀のもつ不思議な起死回生の力によって
神武天皇の一行は蘇り、賊も退散したという。


参道は、綺麗に掃き清められている。
中心部分には水を流されている。
(清め?砂利の掃き跡が残りやすい?)


神杉
『万葉集』には「石上布留の神杉…」と詠われるそうだ。



手水には「布留社」の名

石上神宮ふたつめの主祭神、
布留御魂大神(ふるのみたまおおかみ)

物部氏の遠祖・饒速日命(にぎはやひのみこと)が、
高天原より天降られる時、
天津神から授けられた
「十種神宝(とくさのかんだから)」に宿る神霊。


屋根のある休憩所には案内板

楼門

参拝。
拝殿奥の「禁足地」を覗く。

石上神宮にはもともとは本殿がなく、この布留高庭(拝殿後方の禁足地)に主祭神が埋斎されていました。明治時代に禁足地を発掘、御神体の出御を仰ぐこととなり、本殿が造営されました。

石上神宮HPより

石上神宮みっつめの主祭神、
布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)

須佐之男命は出雲の国で
八俣大蛇を退治し、めでたく稲田姫と結ばれます。
この時に大蛇を退治した剣、
「天十握剣(あめのとつかのつるぎ)」に宿る神霊。

以上が、主祭神の3柱。

そして、
配祀神は次の4柱となっている。

宇摩志麻治命(うましまじのみこと)
 
饒速日命(にぎはやひのみこと)の御子で、
 当神宮祭主(さいしゅ)物部氏(もののべし)の祖神。
五十瓊敷命(いにしきのみこと)
白河天皇(しらかわてんのう)
市川臣命(いちかわおみのみこと)



拝殿の向かいには、
摂社末社

左:出雲建雄神社(いずもたけおじんじゃ)
右:猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)



七座社(ななざしゃ)

左に、天神社(てんじんじゃ)

七座社と天神社

両社の九座は、 生命を守護して下さる宮中八神に、 禍(わざわい)や穢(けがれ)を改め直して下さる大直日神を併せてお祀りしたもので、 当神宮の鎮魂祭(ちんこんさい)と深い関係があり、 上古から御鎮座になっていると伝えられています。

石上神宮HPより

宮中八神

8神に関する最も重要な祭祀は、新嘗祭前日に行われた鎮魂祭である。鎮魂祭は天皇の霊魂の活力を高めるための祭りで、八神殿の8神に大直日神を加えた9神により、浮遊する霊魂を身体の内に止めて心身の統一が企図された。

Wikipediaより

石上神宮で行われる鎮魂祭

この物部氏の鎮魂は、御魂を振動させる「御魂振り(みたまふり)」と「玉の緒」を結ぶことが中心です。「玉の緒」とは玉を貫きとめる緒(ひも)のことで、玉(たま)と同音の「魂(たま)・命」を結び留めることを表しています。

石上神宮HPより


ネット検索すると、数名の記事があったが
授与品の
玉の緒御守(たまのをおまもり)
を、開いて見た。

紐で結んだ勾玉を、
赤い、読めない文字(神代文字?)と
黒い、記号、文字?(「留る」の意味か?)が
書かれた(印刷)の紙で
挟むだけではなく、
折り込んで包んでいる。

見るだけでドキドキするが
もう開いてしまったから、
見えない何かが
出てしまったか?


結ぶ、折る、包む等
留る、とめる、とどめる方法
単純な事に、深い意味が生まれる。

使い捨てカイロは、振れば発熱し
弱った電池は
無意識に振って、甦らそうとしている。
振動は熱、エネルギーに変換されるのは
自然の摂理、物の理。

1年は立春から始まると考えられ
節分前夜に行われる祭り、
振る(布留)ことでリセットされる魂。

繰り返し、繋げる。


境内は、鶏が放し飼い。

立入禁止、



10時前、境外へ

石畳の道


アスファルト道

Y字路は、左の細い下り道

しばらく歩くと
布留の高橋
右側には

ハタの滝

ここ「ハタの滝」と
これから向かう、上流の「布留の滝」
布留川が繋ぐ神聖な場所であり、
旧石器時代から、流域の人々の
生活を支えたとのことだ。

この場所には、布留(ふる)川本流(向かって左側)と支流(向かって右側)の二つの滝があります。
江戸時代に描かれた石上神宮の絵図には、この場所に「祓殿(はらへど)」があったと書かれており、かつて六月三十日の夏越大祓式(なごしおおはらえしき)の際には、この場所に神剣が渡御していたとのことです。
「ハタの滝」は、布留川の上流にある「布留の滝」(現在の桃尾(もものお)の滝)と共に神社にとって、とても神聖な場所でした。
本流の滝には大きな滝壺があって、夏になると近くの子供たちが水浴びをしました。
下流には布留遺跡があり、布留川は旧石器時代の昔から、流域の人々の命を育み生活を支え続けてきた川ということができます。
この現在の「布留の高橋」は、近年に架けられたものです。

案内板より


布留川沿いの道をテクテク

途中、犬に追いかけられ、
びっくりした。

歩いている道路の前方
左側、住宅地より、
散歩に出てきたのか小型の犬、
すぐ左側へ引き返す。

引き返した場所を
通りすぎると、後ろから
必死で吠えながら走ってきた。

卑怯者!



石仏、数カ所あり

10時半過ぎ、ここで左折

しばらく歩き
橋を渡り右手の細い道、階段に続く

石上神社

上ると、

掃除の方がおられ、
挨拶。

拝殿越しに
参拝。

神武天皇遥拝所

横から、
橋を渡ると
「布留の滝」として和歌にも読まれる
桃尾の滝へ。

それは、次の記事に!










石上神宮 禰宜 森 好央さんのインタビュー記事が面白かった。



布留、振る、フルで思い出した、
大好きな曲
P-MODELの「フルヘッヘッヘッ」

今もソロで活動されている
平沢進の公式があった。
2:50頃から「フルヘッヘッヘッ」

これもまた、御魂を振動させる「御魂振り(みたまふり)」だ!


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