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「AIは仕事で使えない」は本当か?

今日は、この記事を拝読して感じたことなどを書きます。これからのAIとの付き合いについて思うことなどです。

要約

  • 仕事をAからZまでまるごとAIに投げる

  • AIに「百点満点のアウトプット」を求める

のであれば、それは確かに無理だし、そんなのやめとけという話になる。

でも、AIを仕事を使いこなしている人はそんな使い方はしてないと思う。

一つの仕事を細かなタスクに分割してみよう。その中には自分でやるより他者に任せた方が能率的なことが幾つもあるはず。
また、AIに完璧を求める必要はない。不完全なアウトプットであっても、それが業務の省力化や拡大に繋がっているなら十分に「役立っている」。

AIは完ぺきではないが大きな可能性を秘めている。全面依存も全面否定も間違っている。


一つの仕事はいくつもの細かい仕事の集積から成り立っている

たとえば蕎麦屋という仕事を考えてみます。
いや私も経験ないんですが、おそらく一番重要なのは「うまいそばを打つこと」あたりと考えて、まあ大きく間違ってはいないと思います。

しかし、蕎麦屋の営業を続けようとするなら、そばを打っているだけでは成り立たないでしょう。

宣伝用のチラシの一つも作らないといけないだろう。材料を仕入れ、場所代を払い、税金を払い、将来にむけて投資も行い、ということで金勘定もしないといけない。もうすこし「本業」に近いところで考えても、店で酒を出すなら蕎麦以外につまみの一つも提供しないといけない。なにを出す? 魚? 肉? 野菜? 地元の人は何を好む? その材料は当地で安く調達できる?

何であれ職業として継続したいなら、本業以外にさまざまな勉強をして雑務もこなさないといけない。これはどんな業種・職種でも同じようなものではないでしょうか?

自分でやらないわけにはいかないタスクと、人に任せたほうがよさそうなタスクがある。

上で考察したとおり、一つの仕事は種々雑多な細かい仕事の集合体として成り立っています。この細かい仕事のことをとりあえず「タスク」と呼ぶことにしましょう。

タスクの性格は様々です。絶対に人任せにはできないタスクも多くあることでしょう。しかし、誰かに投げつけようと思えばそうできる、むしろそうしたほうが良いと考えられるタスクも一つならずあると思うのです。

AIの方がうまくやれるタスクが一つや二つはあるはず

そうした「他に任せられる」タスクの中には、まことにAI向きなタスクも一つや二つはあるのではないでしょうか。

例えば上の蕎麦屋でいえば「宣伝用のチラシ」は今やAIで簡単に作れます。少なくとも素人がワードで四苦八苦して作るよりは立派なものが数分でできるでしょう。宣伝用ウェブページ、いやサイトまるごとだって、今やAIで作れてしまいますよ。

もう少しホワイトワーカーよりの仕事で考えると、報告書の作文などは典型例です。プロの研究者でさえ今や論文を書くのにAIを大いに使っています。ChatGPTが話題になる数年前から、AIによる英文作成は大きな話題になっていました。

もう、

学術論文は難しい。それを一般向けに解説したものが雑誌になる。それに生成AIを使うことは勧められない。

https://note.com/hiroshihatano/n/ne3d3fe28f8cd

などという認識は過去のものになりつつあるのです。

ChatGPTについても、プロの仕事にどう生かしていくかは大真面目に論じられています。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jkg/73/6/73_219/_pdf/-char/ja

大学で論文執筆におけるAI使用を推奨していないなどという話は聞いたことがないし、専門家が専門分野の論文を執筆するのに内製の特別仕様のAIをいちいち用意しているという話も聞いたことがありません。ふつうにDeepLやGrammarlyやChatGPTを使っているのです。

もちろん結果を鵜呑みにしているわけではありません。最終的には人間が専門家の目でしっかりチェックして仕上げるわけです。しかし、データを与えれば一瞬で「叩き台」ができることの意義は小さくないのです。少なくとも論文執筆の最初のタスクについては大幅な時短が期待できます。

「プロンプトエンジニアリング」は必須ではない

生成AIを相手にしている人間は時間をかけてプロンプトを練っているんだろう。そんな時間は俺たちにはない、そんな暇があるなら「本業」に投入しろと仰りたいのかもしれませんが、その認識も正確とは言えません。

私としては、プロンプトの重要性について決して否定するものではありません。いくらか「工夫」は必要です。しかしそんなのは本業の片手間に数日も試行錯誤していれば充分。その程度の時間的投資で会得できるレベルでも、充分に効果は体感しうるのです。一部のインフルエンサーによって「高度なプロンプト」の必要性が過度に喧伝されているように思います。

一撃で最終結果を得ようという発想が間違っている

AIを使おうと使うまいと、仕事に試行錯誤はつきものです。試行錯誤のサイクルは回さなければなりません。そこに専門家あるいは人間としての判断が必要となることを否定している人はまずいません。

ただし、AIによって、そのサイクルの半径を縮小できる可能性がある。その点にこそ着目しなければならないのです。縮小できたなら、AIは仕事の役に立ったということです。

全面否定はもったいない

AIは完ぺきではありません。しかし、それは人間も同じこと。
人間の方がAIよりうまくできることも沢山あるでしょうが、AIの方が人間の方がうまくできることも沢山あります。

  • 人間・AIのハイブリッド体制こそ至上。そこにステップアップの可能性が眠っている。

  • まずは「ニアピン」を目指せ。そこに果実がある。

私はそう思いますね。

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