友だちの話
前からうだうだ考えてる話を、やっと一つまとまりそうな気がしている。
今年は色々あったお陰で自分のこともたくさん考えた。
私はここ数年仕事で手一杯で、友達と遊びに行く余裕もほとんどなくてだいぶ疎遠になっていたし、新しい友達を作る機会もなかった。
そんな感じだったから、今年は私にとってはほんとに激動だった。
別れもあったけど、出会いも多かった。
そして何人かとの再会もあったし、会えなかった人とも久々に連絡してまた会おうと話すこともできた。
そう考えると総合的にはかなりプラスなのかも。
元々友達は少ないし、心は開かないし、距離感間違えるし、コミュ障だし、外見ぐだくだだしでいいところないんだけど、そんな私でも今年関わってプラスの感情をくれた方々に感謝です。
色々考えていたんだけど、私にとって大切なのは、
「自分が一方的に好き」という関係と
「仲良し」という関係性。
後者が友達というのでしょうね。
で、前者は私個人の勝手な感情なのでどうでもよくて、
後者にとって大切なのが、
相手の尊重とかそういう基本的なことはもちろんあるんだけど、
やっぱりコミュニケーションの多さと深さだなーと思ったりしました。
そして私は昔からネット(というか文章)のほうが本音を出しやすいためか、ネットでのつながりとリアルなつながりをほぼ区別していない。
コミュニティ関連でのダメージが大きかったのはそういうところにあったと思う。あの頃、そんなにがっつり関わってなくても、毎日覗いていたし、直接会話はなくても関わっていた人が多かったから。
私は昔から仲良くなりたい人の文章を見るのが好きで、日記みたいなものだったり、SNSの呟きだったり、こういうnoteだったり。それは私宛じゃないのに、なんとなくその人のことを知れるからなんだと思う。
そしてこういうのは、「コミュニケーションの量」に入ってしまう錯覚を起こすんですよね。相手のことを知ることができるから。それが私のゆがみなのか、なんなのかはわからないんだけど。
コミュニケーション=相手を知ること、だからなのかな。
顔を知っててもずっと連絡を取っていない学生時代の友達より
顔を知らないけど毎日やり取りする人の方が仲良いと思って当然なんだろうなって思う。
極端だけど、それは自然なことなのだと思う。
あと、個人的には「読み合い」をした人は他と比べてちょっと距離感を近く感じているところがあるかも。
やっぱり作品を読ませてもらって、読んでもらって、本音を言い合うって結構特別な行為だなと思ってる。
そんなわけで、また来年外に出られるかわからないけど、
繋がってくれる人を大事に、コミュニケーションをもっと取れるように(距離感間違わず!笑)、仲良くなりたい人と仲良くなれるように、もうちょっと頑張っていきたいなと思いました。
ゆるく会話できる友達(チャットでも通話でも、通話は基本週末のみだけど)いつでも募集中です。
ここで?
たまにふと思うんですよ、コミュニティ脱退のきっかけって、
「作業通話がしたかった」
それだけだったんだよなーと。
来年は友情もの書くぞー。
今年感じたもやもや絶対昇華するぞーー。
そんで仕事一緒にしてる友達から
「来年めちゃくちゃ忙しくなりそうです……」というスケジュール表を投げられてひえーーーってなってる、頑張る、生きる。
覚悟はしてたけど、プロジェクトが終わる7月までは余裕なさそう……
(ほんとに7月で終わるかは謎)
今年は「私がネットから消えればいいんだろうな」という気持ちとずっと戦っていて、すべて誰からも分からない匿名に変えてしまえばいいと思うことは今でもある。
だけど前のnoteに書いたように私が目指すところは書籍化作家なので。
SNSでの活動は絶対に必要だと思っていて、だから来年はもうこの感情と決別できたらいいな。
あと、小説書きに限らず作業通話できる環境を探そうと思ってます。調べると意外とありそう。