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前へ進むために、これまでを振り返りました。

2021年1月末をもって、いったん会社に所属して働くということから離れる選択をしました。

「フリーランスとしてガンガンやっていきますうぅぅぅ!!!!!」という準備ができていたわけではなかったのですが、昨年からぽつぽつ副業で知り合いから写真撮影や記事の執筆など依頼をいただくことがあったので、なんとなくいまはその延長線上にいて、時間に余白ができたぶん、そっちに力を入れられるのかなと。

ただ、もっと勉強もいろいろして、これからは自分の肩書きを絞らず、ご縁があれば幅広くお仕事したいと思っています。

これまでnoteでは写真日記を含め、40本近く記事を公開してきました。今更ですがこのタイミングで「こんな記事を書いたり写真を撮っている、こいみずとはどんな人間なのか」を知っていただきたいと思いました。

これまでのわたしのことや、仕事観などを自己紹介を兼ねてまとめてみたいと思います。

※簡潔にまとめた自己紹介記事はこちらからどうぞ。

こいみずしおりのこと

わたしは、1989年に秋田県の白神山地のふもとで生まれました。
不器用なりに子どもの頃から絵を描いたり、思いついたアイデアを形にするのが好きで、「なにかをつくる人になりたい」と東北芸術工科大学の建築・環境デザイン学科へ進学。入学してすぐに入ったサークルで、建築学生向けのフリーペーパーの創刊に携わり、書くことの楽しさを初めて感じました。
また、図書館を設計する課題がでたときに「書籍のデジタル化が進んでも、長く形を残してきた紙はこれからも簡単にその価値をなくすことはない」と言った教授の言葉が心に残り、「紙媒体の仕事をしたい」と思うようになりました。

大学3年が終わろうとしていた春、東日本大震災がありました。春休み中に東京の出版社へインターンにいく予定だったのを先延ばしにしてもらい、大学の教授や職員が主導する支援活動に参加しました。
このとき、自分の無力さを思い知らされながらも、その地域にしかない大切なものや、人の思いを守るようなことをしたいと考えるようになりました。

仕事の経験と思い

そうして、新卒で入社したのは1市3町のエリアのニュースをメインに扱う地元の新聞社でした。
建築でも設計などにおいて人の生活のことを考えるのは欠かせないプロセスですから、自分としてはアウトプットの方法が変わっただけで、過程としてやるべきことや考える上で大切なことは大きく変わらないな、という感覚がありました。

文化・芸術、医療・福祉、教育、スポーツなどさまざまな取材に足を運びました。思い入れがあるのは3年間担当した医療・福祉の分野で、こんなものがありました。

・1市3町で唯一の盲導犬使用者の方が"相棒"と暮らし始めた自宅へ行き、その生活の様子と盲導犬への理解を求める記事を執筆
・ヘアドネーション賛同店の店長の思いをききつつ、自分の髪も寄付した体験を紹介
・脳性麻痺の女の子とその家族のこれまでとこれからについて、自宅や学校、病院に行き、関わる人の話も聞きながら連載
・特別支援学校の宿舎に泊まりながら生徒たちの生活や学びを全3回で連載

わたしが大切にしたのは、その場に行くこと。本人の声を聞くこと。自分が体験できることはして、自分の言葉で伝えること。
いまも大事にしたいと思えることの土台は、大学時代とこの6年間で築いたものがほとんどと言えると思います。

失敗も後悔もたくさんありましたが、自分にとって人生の財産となる経験を与えてくれた仕事でした。

紙からWebへ

結婚を機に新聞社を退職し、東京へ。
医療・福祉担当の時に、たびたび目にしていた発達障害のポータルサイトで編集者として働き始めました。

ここでは、コラムライターさんの連載、SEO記事の執筆・編集、書籍やイベント紹介の連載など、編集だけでなく自分で記事を書く機会ももらいました。それまで、報道記者として毎日のように文章は書いていたものの、編集者の仕事は全くの別物で苦労も少なくありませんでした。

そんななかでも、編集者として経験の長い先輩に支えられ、「あらゆる数字をみる」ことを習慣化するようになり、より文章やコンテンツについて自分なりに考える時間が増えました。

日々、数字を気にするというのはWebの仕事になって初めてでしたが、よりユーザーから求められるコンテンツづくりを追求するというチームの一体感も相まってとても充実した1年でした。

ここで一緒に働いたエンジニアの人たちの姿から、Webサイトやサービスの裏側をつくる側になりたいと思い、転職します。ところが、「思い立ったが吉日」といわんばかりの勢いで転職したため、編集者になったときとは比べ物にならないくらいの苦労の日々が待っていました。

なんとなく、Web上や書籍にある"入門"とかかげられた教材でいくつか学習しただけでは、びっくりするほど実務で役に立つことができませんでした。(できるって思い込んでたのを知られたら、すごく怒られそう…苦笑)
それでも根気強く教えてくれた同僚には本当に感謝しています。

約2年はそうした仕事をしていたわけですが、なかなかステップアップできず、技術職のかたたちへの尊敬が増したところで、「ちゃんと自分の態勢を整えたい」と思うようになりました。

それが、今回の1月の決断につながっています。

2月とこれからやること

わたしが本当にやりたかったのは"Webエンジニアになること"なのか、というのをまず整理しなくてはいけません。わたしには明確にやりたいこと、望む未来があるのですが、そこに必要な技術の一つには変わりません。ですが"エンジニアの肩書きを手に入れ、実績をつむこと"に気を取られていたように思います。

だれか、一緒にやってくれる仲間を探してもいいかもしれない─。と思えるようになりました。

その上で、自分が望む未来に対して、わたしができることはなんだろう、伸ばすべきところはどこだろう、というのを考え挑戦したいと思っています。
まずは、デザインのこと、ブランディングのこと、マーケティングのことはもっと深く勉強して、実務とはいかないかもしれないですがアウトプットをしていきます。

あとは、大げさに聞こえてしまうかもしれませんが、今年1年限定のプロジェクトとして、文章を書くことについてひとつ企画を立てているところです。このご時世なので遅れてしまう可能性はありますが、春頃にお披露目できたらと思っています。

どうぞ、これからのこいみずしおりもよろしくお願いいたします。

追記(2022.03.15)

2021年の1年間、本厄をむかえたふたりで取り組んだインタビューサイト「わたしたちの厄年」。そこで掲載していたインタビュー記事や、おさめきれなかったサイドストーリー、ライターふたりの厄年のトピックなどをまとめています。


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