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42歳、脳梗塞になって生き方を変えた日の話

「あ、ヤバい。これ頭だ」
「救急車呼ばないと…」

受話器に手を伸ばした瞬間
ドクン!って心臓が大きくうねって

『死』『半身不随』

そんな言葉が浮かんで
ゾワッ!って体中の産毛が逆立った

人生で初めて『死』を強烈に意識させられた出来事でした


わたしが脳梗塞で入院したのは42歳のとき

幸いにも軽症だったので、後遺症らしきものはなく、脳梗塞になったんだよって言わなければ、今は誰も気づきません

ただ、脳の中の血管がかなり狭くなっている部分があって「今はいいけど…50代とかになったら手術も視野に入れないとね」

主治医にはそう言われてます


その当時のわたしは、アロマ教室を主宰していて
ものすごーーーーーーく頑張っていた

祝日以外はリクエストがあればレッスンを入れてたし、「いまは頑張りどころだから!」って、とにかく仕事仕事仕事…

『長い時間働くこと=頑張ってること』なんていう、今考えたらおかしな思い込みがあって

お休みの日もパソコンを開いてなにかしてないと、ものすごい罪悪感を感じていたなぁ

でも、カラダとココロは悲鳴をあげてた、、、全然気づいてなかったけど

その証拠が突然始まったじんましん

脳梗塞を発症する半年くらい前からで、ひどいときは抗アレルギー剤を1日2回飲んでも痒さが治まらず

とはいえ、これ以上薬は出せないよとドクターに言われ、痒みがさらなるストレスになってました

そこから半年
わたしの脳の血管は詰まったのです


幸いにも軽症で、救急車が到着したときは意識もあるし体も動く

それでも一度体が麻痺したことは疑う余地もなく救急車に乗せられ病院へ

即入院でした

え?帰れないの?
もう大丈夫だよ

喋れるし腕も動くもん
…仕事、どうしよう

「いろいろ片付けてないんで帰らせてください」って、真顔でドクターに詰め寄ったくらい、その時はコトの重大さを認識できてなかったんですよね

その後の入院生活も
ただただ「早く帰りたい」ばかり

体は動くし
ご飯だって食べられるし
なにも不自由を感じないんだもん

もう治ったでしょ?
もう大丈夫でしょ?
帰らせてよ

そう思ってたけど、違った



「車の運転はしばらくやめてください」

主治医にそう言われた日、やっと気づいたんです

治ったわけじゃないんだ
大丈夫なわけじゃないんだ
もう何もなかったときとは同じじゃないんだ

わたしの中には爆弾がある
その爆弾はいつまた破裂するかわからない

真綿で首を絞められるような息苦しさ
鉛を飲み込んだような胸の重さ

その日の夕食はいつまでもテーブルにのったままでした



今日と同じ明日が来る保証はどこにもない

脳梗塞がわたしに教えてくれたことです

それ以来

自分の気持ちを無視するのをやめようと決めました
良い・悪いで判断するのをやめようと決めました

その代わりに

『自分はどうしたいか』を大事にしようって決めた

今日と同じ明日が必ず来るとは限らないから

もっと自分を大事にしよう
もっとやりたいことをやろうって決めた

そしたらね

爆弾を抱えてはいるけれど、以前よりもっと日々を楽しめるようになりました

嬉しい、楽しい、大好き、ありがたい

そう思えることが日常のあちこちに転がってることに気づけて、前より笑顔でいられる時間が増えました

いま、みなさんに褒めていただけるわたしの笑顔は
爆弾と引き換えに手に入れたものとも言えるんです



わたしは死ぬかもって思う体験をして『自分はどうしたいのか』ってことを考えられるようになったけど

そんな体験はしないに越したことないじゃない?爆弾なんて抱える必要はないじゃない?

だから、そんな体験をしなくても、爆弾なんて抱えなくても

自分はどうしたいのかって考えてー!って
自分はどうしたいのかを大事にしてー!!って

これからも声を大にして伝えていく所存です


『やばい、死ぬかも』って
全身の鳥肌が立ったあの日からもう少しで丸9年

「手術も視野に入れないとね」と言われていた50代に突入して1年

今日の定期受診で撮ったMRIの画像では、細くなっていた血管の写りが良くなってました

きっとこれは『自分はどうしたいか』を大事にしようって、生き方を変えたから

さぁ、これからも「あのとき脳梗塞になったおかげで今が楽しいよ」って
5年後、10年後、20年後も笑って言ってる、そんな人生を送っていこう

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