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第102椀 丸子のとろろ汁

初出:2023年1月11日

<お味噌汁> ひと椀がつむぐ大切なもの それは日本のたから

「お味噌汁復活委員会」は、味噌汁の大切さをあらためて発信していこうと、2014年夏にFacebookページにてスタートしました。世話人、お味噌汁復活ライター、一般読者が思い思いの味噌汁を投稿しています。

味噌汁の出汁・味噌・具材を、それぞれに深く楽しく考え広め、毎日の食卓に味噌汁をいただく習慣を復活させるべく、活動の場を広げています。

私コイタは第1期からお味噌汁復活ライターをさせていただいております。ここでは私の書いた記事をまとめて紹介しています。

テーマ:お味噌諸国漫遊

「丸子のとろろ汁」

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あけましておめでとうございます。お味噌「汁」にはこだわらず「お味噌諸国漫遊」として、各地のお味噌文化について隔月でお届けしています。

私の実家では、お正月二日の朝に芋汁(とろろ汁)をご飯にかけていただくのが恒例となっております。山芋(自然薯)をすり、乾椎茸でとった出汁と生卵、醤油で調味して、ふわとろになるまで鉢で空気を含ませながらすりのばします。茶碗にご飯を軽く盛ったところへ、この芋汁をたっぷりとかけ、お茶漬けを食べるがごとく豪快にすすり込むというのが醍醐味です。

子供の頃などは口の周りが痒くなるのもかまわず、茶碗に七~八杯も食べていた記憶があります。おじいさんの口癖は毎年同じで「昔は芋汁なら一人で米一升食べたぞ」と。さすがに一升までは食べませんけど、ついつい食べ過ぎてしまいます。

お正月の二日や三日に山芋をすりおろして、ご飯や蕎麦と食べる習慣は、岐阜県、愛知県、福島県、栃木県などに伝わる風習だそうです。

この「とろろ汁」が名物と言いますと、東海道五十三次の二十番目の宿場町「丸子(まりこ、鞠子とも書きます。静岡市駿河区丸子地区)」の名物茶店として歌川広重の浮世絵にも描かれておりましてあまりにも有名です。

「梅わかな 丸子の宿の とろろ汁」と松尾芭蕉にも詠まれ、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」でも弥次さん喜多さんが訪れています。ちなみに十返舎一九は駿河国府中(駿府)出身で、実は弥次さんも府中の出身という設定でして、地元の名物を喜多さんに食べさせようと、とろろ汁の茶店に行ったんですけど、夫婦喧嘩が始まってしまい結局食べられなかったっていう話なんですねぇ。

「丸子のとろろ汁」は旅の疲れが吹き飛ぶほど滋養のある食べ物として人気があったようです。その特徴は「味噌」で調味しているところですが、その味噌と言うのが関東や東海では珍しい「相白味噌(あいじろみそ)」という白味噌でして、なぜ駿河の国で白味噌なのか?と不思議に思いませんか?

ことの始まりは戦国時代。戦乱の京から駿河の守護職にあった今川義元を頼って逃げてきた公家達が、京の白味噌を食べたいということで作らせたのが始まりのようです。京都の白味噌と田舎味噌の特徴を相伴うことから「相白味噌」と呼ばれるようになったそうです。なるほど~。


相白味噌

この「相白味噌」をお取り寄せして「丸子のとろろ汁」を再現してみました。まずは山芋をすり、生卵と、秘伝のタレをほんの少し隠し味に入れます。このタレというのがマグロを甘辛く煮付けた際の煮汁のようです。これをのばすお味噌汁の出汁は駿河国ですので鰹節となります。

白味噌なので色がきれいですねー。ほのかな甘みが山芋の風味を引き立てます。見た目も味も上品ですよ。これがあっさりした麦めしにかけて食べると、これまた何杯でもいけますな~。これは逸品です。

お店でいただく定食のように「相白味噌」のお味噌汁もつけてみました。具はシンプルに一夜干ししておいた大根の短冊です。お味噌汁に仕立てると甘さは控えめになって、あっさりといただけますね。これは愉しい。愉しい。

と、このように、本年も毎日健やかにお味噌汁をいただきまして、弥次さん喜多さんのように諸国漫遊してまいる所存ですので、何卒お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

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