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フライドチキン。

クリスマスなので、こんな話でもひとつ。

今年読んだ本で最も興味深かったのは、上原善広著「被差別のグルメ」と「被差別の食卓」と言うノンフィクションのルポだった。

著者自身、被差別部落の出身で、路地(同和地区)で食べていた、アブラカス(食肉の脂身や内臓を揚げたもの)やサイボシ(干し馬肉)が、一般家庭では食べられていなかったことを知り、そこでしか食べられていないものに興味が湧いたのだという。

日本ではアイヌや北方少数民族、沖縄の食事、世界ではアメリカやブラジルの黒人奴隷時代の食事、またヨーロッパの漂泊民ジプシー(ロマ)の食事、ネパールのカースト最下層である不可触民の食事などなどなど、著者自ら世界中、現地を尋ね歩いて食べまくったこの2冊は、かなり読み応えのあるものだった。

私自身、ブルースなどの黒人音楽を聞いて、その歌詞に出てくるいろいろなモノ、コトを、時代背景、風俗、習慣、宗教感などについて、あーだこーだ調べるのが好きだった。もちろんそこには独特の食べ物も出てきて興味の中心だったわけだが、ソウルフードについてこれだけガッツリ実際に食べ歩いて書かれたものを読んだのは初めてで、一気に読んでしまった。

ところで、ソウルフードと言ったら日本では「その地域特有の料理や特産品、また地域で親しまれている郷土料理」という解釈で、例えば「大阪のソウルフードはたこ焼き」とか「味噌汁は日本のソウルフード」とかいう風に使われているわけだけど、実はソウルフードって「アメリカ南部の黒人の伝統的な料理」のことなのだ。つまりは奴隷時代、白人たちの食べない肉の部位(手羽先、内臓など)、家畜の餌(コーンミールなど)、採ってきた魚(なまずなど)や、育てた野菜(オクラなど)などを使って作った料理なのだ。

フライドチキンがソウルフードなの?と不思議に思うかもしれないが、当時の白人はムネ肉しか食べず、手羽先や首など骨付きの部位は捨てていたんだそう。そして当時、養豚業が盛んになっていてラードが手に入れ易かったために、たっぷりの油に入れて揚げる「ディープフライ」が可能で、しっかり揚げて骨ごと食べていたのだ。

白人の料理は黒人の家政婦が作っていたため、骨付きでないムネ肉も「ディープフライ」にして、白人農場主の食卓に上り始めたと言う。

アメリカで奴隷制度は1630年代から1865年までなので、日本だとほぼ江戸時代に相当する。もちろん制度廃止のあとも奴隷のような扱いを受け続けるわけだが、フライドチキンは白人にも広く受け入れられ、南部の郷土料理的な地位を得て行くのだった。

1950年代には、ケンタッキー州でフライドチキンを売っていたカーネル・サンダースが、レシピを売ることを思いつき、フランチャイズ店舗をどんどん増やすことに成功する。今では全米を超えて世界80カ国以上に進出。まさに全人類の好物(言い過ぎ?)となったのだった。

日本には欧米の家庭のようにローストチキンを丸ごと焼けるオーブンがないところへ目をつけて、「クリスマスはフライドチキンだね!」と大々的なイメージキャンペーンを行なった結果、今では日本のクリスマスのド定番となっているわけで、これが世界からみたら相当に不思議だと思われているそうな。つまり、大切なクリスマスのお祝いにファストフードなんて!?ってコトで。

ファストフード+ソウルフードの代表格であるフライドチキンは、過去の奴隷制や貧困、不健康を連想させるために、実は今でもアメリカの白人富裕層では肯定的に受け止められていないのが実際のところ。

まぁでもね、日本ではテレビのコマーシャルでなんだかステキな食べ物のような演出してるし、クリスマスにファストフードやコンビニのフライドチキンを食べるのは全くの自由だと思うのですわ。

だけども、決して差別を助長するわけではなく、この話を知った上で、単に「おいしい」だけではない、全ての食物を工夫を凝らして食べ切るという、歴史や物語のある魂の料理なのだ、、、と、しっとりと思って食べるわけである。


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