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『アブサン 聖なる酒の幻』アブサンに魅了された男を巡る、大人の童話あるいはソナチネ

発行年/1996年

俺は毒を一口たっぷり飲み干した。⎯⎯俺のもとにまで届いた忠告には感謝感激!⎯⎯はらわたが焼ける。毒の激しさが俺の手足をよじり、俺の身を歪ませ、打ちのめす。俺は死ぬほど喉が渇き、息もできず、叫び声も出ない。これこそ地獄、永遠の刑罰だ! 火が勢いを吹き返すのを見るがいい! 俺はこんがりと焼かれる。さあ、悪魔よ!

『ランボー全詩集』鈴木創士 訳 河出文庫/ある地獄の季節⎯⎯地獄の夜 より


アブサンとは、主にヨーロッパ各国で作られている薬草系リキュールのことです。起源はスイスで、『献身』に書かれたアルチュール・ランボーや、

ロートレック、ゴッホといった芸術家に愛され、ときには彼らを破滅にまで追い込んだ酒として有名です。上記はランボーの詩の一節で、これがアブサンを表しているわけではありませんが、口にするとこんな感じだったのではないでしょうか? アルコール度数は70度とも80度とも言われ、幻覚作用があるなど危険視されたことから、20世紀初頭には発売禁止にもなりました。



そんなアブサンに魅了され、ひとりでコツコツと作り続けた男ジョゼ。物語は「私」によるジョゼの回想とアブサンそれ自体の運命が交錯する形で進んでいきます。

これは、フランス人小説家、クリストフ・バタイユの2作目の小説であり、辻邦生さんとその教え子でいらっしゃる堀内ゆかりさんによって紹介、翻訳されたものです。辻邦生さんの晩年の仕事でもあり、いずれは紹介したいとおもっていましたが、レビューのリクエストをいただいたので取り上げることにしました。クリストフ・バタイユの処女作は『安南 愛の王国』で、下記にも書いた通りその作品で若干23歳でドゥ・マゴ賞を受賞しました。なので、順序としては『安南』から始めるべきなのだけれど、『アブサン』を先に取り上げるのは全く僕の好みによるものです。





1.クリストフ・バタイユの特徴/それ自体が詩的な、短く、簡潔な文の連続

一読いただければわかりますが、クリストフ・バタイユの文章は、一見子どもでも書いたのかと見紛うような、短く簡潔な文体でできています。加えて、これは翻訳の配慮によるものか実際バタイユの文章がそうなのかはわかりませんが、日本語訳では接続詞がほとんど見られません。プツプツと途切れたような印象で、初めのうちとっつきにくそうな感じを受けるのはそのせいです。けれど、例えば次のような一節など、詩の一部分と言っても過言ではないほどの美しさです。

母は私にショールをかけてくれた。私たちの歩く音がカサカサと聞こえた。下り道には夢が刻印されていた。

私は待った。小さな塊に分解され、口のなかに純粋なエキスが現れた。苦みによって引き出された唾を口にためた。この神秘の混合物が口じゅうに拡がった。アブサンがその色すべてを見せ始めていた。私の精神は穏やかな興奮のなかに溺れていった。

ゆっくりとした、だが確実な動作で、ジョゼはガラス瓶を投げた。それは光る雨となって砕けた。

『アブサン』辻邦生・堀内ゆかり 訳 集英社 より


UnsplashのVolodymyr Tokarが撮影した写真


処女作の『安南』は時系列で物語が進んでいくので、ほぼその文体の連続で書かれていますが、『アブサン』は書き慣れてきたのか、やや変化が生まれています。それを変調、あるいは転調、別楽章と捉え、全体として<ソナチネ>に例えてみましたが、これについてはお読みいただくより仕方がありません。原文が読めないので翻訳でしかわからないのだけれど、『アブサン』に関しては、例えば次のように何箇所か、辻邦生に寄った部分があるような気もします。それも僕にはたまらないところなのですが。

今日、マルセイユ県立史料館でこのくだくだしい文書を閲覧することができる。この文書では一七ヵ所の家内工業的な蒸留酒製造所の訪問が詳細に語られ、ラ・カディエール村についてはとくに長々と報告されている。こうした公の文書のなかにジョゼの名を見つけたことは、私にとって喜びだった。

『アブサン』辻邦生・堀内ゆかり 訳 集英社 より


2.物語の主役はアブサン

物語の主な舞台はフランス・プロヴァンスのラ・カディエールという小さな村です。蒸留酒製造人のジョゼは村から数里離れた丘の上にひとりで住んでいて、そこへ行く道は村人から《ジョゼの道》と呼ばれていました。
子どもだった「私」は、両親や乳母のマリーと一緒によくジョゼのところへ出かけていきました。ジョゼはアブサンの作り方以外にも外国のことなどをよく知っていて、「私」たちにいろんな話を聞かせてくれました。

ひとり嬉しそうに酒造りをするジョゼを中心にバタイユは淡々とした調子で語っていきますが、ジョゼが主人公かというとどうやらそうでもなさそうです。時に時間は前後し、「危険な酒」アブサンを巡る情勢が、政治的な動きを記した史料の抜粋として挿入されます。この物語の主人公はあくまで「アブサン」なのです。

<序章>から最後の<禁止令>まで、物語は全部で6つの章でできていますが、その中にそのまま<アブサン>という章があります。<アブサン>は、結婚するマリーが家から去ってしまったことに始まり、「私」の悲しみを癒すために、両親は「私」をジョゼの醸造所へ連れて行ってくれるのです。そこで「私」は生まれて初めてアブサンに浸した角砂糖を口にします。酔いが「私」を襲いますが、それはすぐに醒め、「私」はこうおもうのです。

酔いはすぐに醒めた。起きあがろうとすると、目が眩み、よろめいた。父が私の右手を支えた。私はこの神秘の原因を突き止めようとした。アブサンは私を捕らえ、私を夢の中に投げ込んだ。もう一度ジョゼのところに来て、理解しようと心に決めた。

『アブサン』辻邦生・堀内ゆかり 訳 集英社 より

こうして「私」はジョゼのところに通うようになり、ジョゼは「私」の存在を気にしなくなります。続けてバタイユは、ジョゼがどのようにアブサンを作るのか、実に丁寧に語っていきます。その<アブサン>第4節の、

ジョゼの丸いフラスコの下で、火が途絶えることは決してなかった。

から、第5節のラスト、

私はこの大海を包みこむ溶岩流(あわ)を小瓶に受けた。結局は単純なことだった。

までの2節は、この物語の中では最も美しい、そして中心となる章です。中でも次の一節⎯⎯アブサン用の花びらをジョゼが水に浸すのを「私」が見ているシーン⎯⎯は、僕が一番好きな部分です。

この工程を見ると、私はいつも悲しくなった。渋い色がフラスコの内壁に張り付き、そのまま上昇しなくなる。それから金の輝きが、女性的な線の接管部へのぼり、そこで爆発し細かい雨となる。ガラスと銅でできたフラスコは、木の小さな板で支えられていた。マリーなら、この美しさをどう思っただろうか。震えて、飛び退いただろうか。

『アブサン』辻邦生・堀内ゆかり 訳 集英社 より

アブサンは蒸留酒です。語られる工程は実に科学的であり、加えて芸術的でもあるのです。


3.アブサンを巡る攻防⎯⎯バタイユは何を書きたかったのか?

第一次大戦の最中、時代は禁酒へと動いていきます。村に憲兵が訪れ、ジョゼの醸造所を調査して帰っていきますが、初めのうちは製造禁止令は否決されます。しかし、ついには軍医長の、

アブサンは結核を悪化し、犯罪行為を引き起こし、節度なくこの酒を飲みふける者の精神に支障をきたすものなのです。

『アブサン』辻邦生・堀内ゆかり 訳 集英社 より

という調査報告によって、製造・飲酒禁止になってしまいます。

禁止令にともなって再度憲兵が村に姿を現したとき、ジョゼは既に村からいなくなっていました。ジョゼとはいったい誰だったのでしょうか? 「私」の両親はそれを知っていたようです。そしてその答えは、<序章>と3つの章を挟んで<感応>で明らかになります。
物語は場所を越え、時間を超えてフランスからアルゼンチンへ、そしてまたフランスで幕を下ろします。

クリストフ・バタイユは、堀内ゆかりさんの解説によれば、「アブサン」というたったひとつの言葉からこの物語を想起したと語っています。前作の『安南』もそうですが、クリストフ・バタイユという人は、ほんのわずかのきっかけから夢のような物語を紡ぐことができたようです。やはりバタイユは、アブサンを描きたかったのでしょう。ただ、アブサンという酒の持つ魔力ではなく、アブサンが蒸留酒であるということに魅力を感じたようなのです。

ジョゼもマリーも、そして「私」の両親も、皆最後には物語から去っていきます。そこに愁いを感じてしまうのは、それも「アブサン」のせいでしょうか? 
「アブサン 聖なる酒の幻」、本作はアブサンの透き通る緑色に染め上げられているような、静かで切ない物語です。


ちなみに、先に挙げた平安堂さんのブログにあるとおり、現在ではアブサンを味わうことができるようです。僕はそんなにアルコールが強いほうではないので遠慮したいけれど、お好きな方は一度味わってみてはいかがでしょう?




【今回のことば】

もはや存在しないものについて、どうしたら書くことができるのだろうか? 禁じられた酒の生きたままの輝きを、誰が語ることができるのだろうか?

『アブサン』辻邦生・堀内ゆかり 訳 集英社 より




タイトル画像はこちらを使用

~Unsplash~の~Philippe Gras~が撮影した写真

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