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このままじゃだめだ

先日、岩手県花巻市にある、
母校の富士大学に行ってきた。

仙台育英を卒業後、「必ずプロになる」と決意を持って入学した。

富士大を進路として選んだ理由は、

次男が一年時から中心選手として活躍していたこと、

沼津に内定していた清水光さんがいたこと、

練習参加した際の雰囲気がとても良かったこと、

学年関係なく皆の仲が良かったこと、

学費免除をしていただいていたこと。

このチームでなら一年時から伸び伸びサッカーができて、プロを目指せると思った。


花巻はとにかく寒い。
松本じゃ寒いって言えないくらい。
雪が多くて冬場は外で全然練習できない。

岩手県花巻市

体感的には、
仙台<<松本<<<<<<花巻
の順で寒いかな。


大学の周りは田んぼか畑で、いわゆるド田舎ってやつ。
車も持っていなかったので休みの日は筋トレくらいしかすることがなかった。

東北一部リーグを戦うチームで、チームとしての目標は全国大会に出て勝つことだった。


一年生の春キャンプ。

初日の夜、
先輩達と部屋で富士大のことをたくさん話した。
高校を出たばかりの自分にとってはとても新鮮な話ばかりで、

「これが大学生か」

良くも悪くもそう感じた。笑

まず感じたのはスピード感とフィジカルの差で、自分が取り組むべき課題がすぐ明確になった。
トップチームでプレーさせてもらって、先輩達ともすぐに仲良くなった。
優しい先輩達のおかげで伸び伸びしすぎなくらいプレッシャーなくサッカーができていた。

そこまでは入学する前に思い描いていた通り進んでいた。

一年目のシーズンはチームとして結果が出なくて、
本当に苦しい時期が続く中、

僕はある事件を起こしてしまう。

あるリーグ戦の日。
開始早々相手にPKを与えてしまった2個上のM先輩、
その先輩は90分通して気を落としたままで、
試合中に何度も「切り替えろ!」って声をかけ続けたけど、
優しい性格のM先輩の心はもう死んでいた。笑
試合は結局0-3で負け。

試合の勝ち負けなんかよりも、
僕はその先輩の振る舞いに完全にキレていた。

試合後

「おい、やる気あんのかよ!」

M先輩「、、、」

怒りが爆発してしまった僕は、
なんと手を出してしまう。

具体的に言うのもあれなので、
あとはご想像におまかせ。笑

普通は気まずくなるはずなのに、M先輩はその日のうちにLINEをくれた。

「喝入れてくれてありがとう」
「熱さ感じたわ」

その器の大きさと、優しすぎる心を目の辺りにした僕は、自分の幼さを痛感した。

改めて、あの時はすみませんでした。

周りの先輩達はみんな大爆笑だった。
こんなに生意気な後輩を受け入れてくれた先輩達、
本当にありがとうございました。
皆大好きです。



それだけ当時は勝ちに対してぶっ飛んだほどの執着心があった。
ベガルタ、仙台育英で、県内では勝ち続けるのが当たり前のチームにいたからこそ、大学のレベルの高いリーグ戦の中で、負けることに慣れていなかった。
どの相手と戦っても、負けた日は本当に悔しかった。

1年生時の1番の思い出?はその事件で間違いなし。

練習や試合はとにかくがむしゃらにサッカーをして、
それ以外のことは全部先輩がやってくれていた。

その代の4年生はサッカー以外にもボランティアや地域活動を積極的に行っていて、それまで部で行ってきた活動の規模を大きく拡げてくれた。

50kmウォーク
職業体験「鬼っジョブ」
地域の子供たちへのサッカー教室

その時は大して気にせずに楽しんで参加していただけだけど、学年が上がるにつれてその価値を知ることになる。

今となっては感謝しかない。
本当にありがとうございます。

ついていくのに必死だったキャンプから、自分がチームを勝たせたいと思えるようになった1年間。
高校モードからゆっくり大学モードに移っていった。


2年生になった2020年、コロナウイルスが生活を変えた。

皆で集まって練習ができないし、外食も制限されて、もちろん学校にも行かずオンラインでの講義がメイン。

日課は朝5時に起きてそーっと大学の筋トレスペースに忍び込んでトレーニングすることだった。

何の刺激のない日々に、ストレスを発散できるのが筋トレだった。その時期から完全に筋トレにハマる。

段々同じ考えの人がいて、筋トレ仲間が増えていって、その時間が一日の唯一の楽しみだった。

退屈すぎる日々にあることを思いつく。
登山しよう。

後輩と2人で本当に思いつきで夜の22時に家を出た。

目指すは75km先にある盛岡市の姫神山。徒歩で。

ほぼノンストップで歩き続けて、12時頃に山頂に着い
た。

途中膝が痛かったり、足の裏の皮が剥けたりして本当にきつかったけど、やりきった。

早く登りたいの一心で腹ペコのまま登り始めた。
途中知らないおじさんから貰ったお茶がなかったらたぶん脱水症状で危なかった。

今思えば本当に頭悪い。

せっかく頂上きたのに疲労でこの顔の後輩

くさいけど、
どんなに長くて、ガタガタで、上ったり下ったりする道でも目的地を見失わなければいつか辿り着くということを肌で感じた。感じまくった。
20年間の人生で1番過酷なチャレンジでした。

二度とあんなことしない。


コロナも一時的に落ち着いてきた頃、我慢の時期を乗り越えたご褒美かもしれない。
大会方式が変わった天皇杯を迎えることになる。

1回戦でJFLのソニー仙台と対戦し、3-2で歴史的勝利。
それまでソニーとは何回も練習試合して何回も大敗していた。
いわゆるジャイアントキリングってやつ。

見ればわかる、闘った

どんな相手にも「下から目線」で挑む。

相手よりも泥臭く走って背って戦って。

富士大サッカー部の色が生まれた大会だったと言える。

今年は総理大臣杯優勝を果たした富士大。
間違いなく、これまでのたくさんのOBが積み上げてきたものの上にある。


3年生では副キャプテンをすることになった。
大した仕事はしていないけど、、

富士大には ''役職者'' がたくさんいる。
統括、主務
学生コーチ
キャプテン、副キャプテン
道具、審判、ボランティア
など。

1年生の時から役職者と一緒にいる時間が長かった。
その分、自然とチーム全体を意識するようになっていた。
誰と誰が仲良くて、誰の調子が良くて悪くて、、とか。
でもその代わり、周りを気にしすぎる癖がついてしまった。
そのうち、自分が周りにとってどういう存在で、どうあるべきかを見失う難しさを感じることになる。

ただ、副キャプテンのうちはそんなことまでは気にしていなかったし、ただキャプテンのサポート役だった。

4年時にはキャプテンになるわけだけど、この役職こそが自分を大きく成長させるくれるものだったと思う。

朝練後のスタバ
😎😎😎


2021年

この年はまたコロナに苦しめられた。

総理大臣杯の東北予選を突破し、
全国大会行きのバス出発直前。

チーム内に陽性者が出てしまい、大会辞退。

当時の4年生の気持ちを考えると本当に心が痛い。

皆仲が良くて、チームワークがあって、サッカーも上手い。
それにチームの運営もスムーズにやってくれる。
頼れる先輩たちでした。
この学年から学んだものは多かった。


3年目の夏も過ぎ、段々と大学生活のタイムリミットが近づいて来ているのを感じていた9月頃、

J2のチームに練習参加に行った。
そこで自分の実力のなさを痛感した。
本当に何も出来なかった。

「このままじゃだめだ」

そう強く感じたのを覚えてる。
自分は全くもってプロのレベルじゃない。

そのタイミングでその経験ができたことが今に繋がってと思う。

もちろんそれまでも本気で練習していたけど、もうひとつギアを上げないといけなかった。

自分に足りない部分は、全部だと知った。

だから全部やった。


他の大学がオフシーズンの時期でもうちの大学はバリバリ練習してて、自分としては有難かった。
けどさすがに1月2日に始動の大学は聞いたことないけど。笑


2022年、気づけば最終学年。

一日一日の重みを毎日感じながら過ごした。
口癖のように時間が足りないって言ってた気がする。

焦りに焦ってる時に訪れたデンソーカップ。

東北選抜として出場させてもらった。
たくさんのスカウトが観に来ることは知っていたし、注目度が高い大会ってことはわかっていた。

人生を懸けて臨んだ大会、
結果も内容も全然ダメだった。

慣れないSBでのプレーだったけど、なにより調子が良くなくて、力みすぎて空回りしていた。

これまでで1番重要とも言える試合でパフォーマンスを発揮できなかった。

技術面もそうだけど、それよりメンタルの弱さを感じた。

またひとつ課題が増えた。

デンソーでのアピールができなかった自分は練習参加でなんとか評価を貰うしか方法がなかった。

3月、今年初の練習参加をさせてもらった。
契約は勝ち取れなかったけどスプリントの技術を教えてもらった。
それまではただ全力で走るのがスプリントだと思っていたけど、そこでは「走る」ってことの奥深さと楽しさを学ぶことが出来た。
色んなチームに参加しに行ったけど、それがひとつきっかけになった気がする。

大学に戻ってから練習参加に行ったチームから盗んだことを自分のモノにしていこうっていう意識がついた。

もちろん契約を勝ち取りに行ってるわけだけど、ただ悔しいで終わるにはもったいないと思ってた。
そのおかげで、練習参加に行って帰ってくる度に成長していったと思う。

6月、天皇杯。
1回戦で上武大学に勝利し、
2回戦ではFC東京と対戦することができた。
J1でスタメンで出ているメンバーをたくさん出してきてくれた。
これ以上のチャンスはない。
この相手に通用するところを魅せることが出来れば、もしかしたらスカウトの人達が評価してくれるかもしれない。

自分が少しずつ成長している実感があったタイミングでのこの最高の舞台。

デンソーでの経験があった分、
メンタルの持っていきかたを自分なりに考えた。

その方法は上手く言語化できないけど、

「俺ならできる」

アップが始まる頃には完全に良い精神状態に持っていけた。

結局、自分に自信を持てることが一番大事。

試合後全身アザだらけ

試合は0-2で負けた。

負けはしたけど、チームとしても個人としても最高の出来だった。
最後の最後で身体を張って守れるところだったり、カバーリング、週に何時間も取り組んだ1対1の守備も東京相手にやれた。

それでも、試合が終わった時は負けたことがなにより悔しかった。
俺はこの舞台をただ経験しに来たんじゃなくて、勝ちに来ていた。

それは、FC東京に勝てば富士大の名前が売れて自分のプレーを観てくれる人が増えると思っていたから。

悔しかった。

試合には勝てなかったけど、得たものは本当に大きかった。

「J1相手でもやれる」

これ以上ない成功体験をして、確かな自信がついた。
はずだった、、、

試合が終わってから数週経っても、オファーや練習参加の誘いはひとつも来なかった。

メンタルというメンタルの全てが打ち砕かれた。

「月まで歩くってこういうことね」

プロへの道が急に見えなくなりそうになった。

元々は無理だと言われた事に挑戦しているのに、簡単に希望を感じて一喜一憂しているこの自惚れ感が本当に嫌だった。

周りの期待に応えたい自分と、
現実の厳しさに対して誰かに同情してほしい自分。

見えないプレッシャーと戦う中で、自分と向き合うことは難しかった。

そのせいでこの時期はサッカーがつまらないと感じる瞬間が多々あった。

そんな時期に行ったJへの練習参加から帰ってきた後、こう思った。

「このままじゃだめだ」


弱かった。強くならないと。
中途半端な気持ちでプロになんかなれる訳がない。

完全に吹っ切れた。
もしだめだったらその時のことは知らない。
一生戻ることができないこの時間を絶対に後悔したくない。
やれること全てやりきりたい。

そんな時に作ったのが自分のプレー集。
藁にもすがる思いってやつ。

初めて作った割にはちゃんとできてる。
見てみてほしいです。

色んな人が拡散してくれて、自分を応援してくれる人がこんなにたくさんいるんだって知った。

良いとこ取りのプレー集ごときで何かが変わるわけじゃないのかもしれないけど、

今思えば、周りへの意思表示と共に

「お前プロになるの諦めんなよ」

って自分に言い聞かしたいだけだったのかもしれない。

もし今プロを目指して頑張っている人がいるなら、1回作ってみることをおすすめする。
改めて自分の特徴がわかるし、自分はこれで勝負するんだっていうのがはっきりする。

知人を頼って拡散してもらえば、覚悟も決まるはず。

前年9月の挫折から、もがき続けて1年が過ぎた頃。

急にチャンスがきた。

松本山雅から練習参加に呼ばれた。

お願いして行くのと、呼ばれて行くのでは全く違う。

山雅のHPから選手の名前を見て全員分覚えて、年齢も覚えて、コーチの名前も覚えて、、

リーグ戦も直近5試合をチェックして、、、

本当に人生を懸けるつもりで松本に向かった。

練習参加に少し慣れてきたはずなのに今までで1番緊張した。
なんかふわふわした感じ。

けど、自分と向き合っていつも通りの自分に戻るメンタルがこの時には備わっていた。
初日の練習も気づけば肩の力が抜けて夢中でプレーしていた。

俺ならできるって心の中で言い続けた。

ここまで来ればもう失うものはない。
チャレンジし続けるのがテーマだった。
とにかく積極的にプレーした。
バチバチぶつかりに行って、どんどん声を出して。

自分は決して上手い選手なんかじゃない。
誰よりもハードに戦えることが何よりの強み。

その、底からくる気迫がプレーに出ていたことが評価に繋がった1番の要因だと思う。

10日間の練習参加。
オフは神社で合格守りを買って、意味あるかわかんないけど松本城にお祈りして。
やれること全部やった。

気づけばあっという間だった。

最終日に名波さんと交わした握手。
あの瞬間を忘れることは一生ない。

同日11月11日、
松本山雅FCに内定をもらった。


4年間、何回も挫折した。
それでも最後まで諦めなかったからプロになれた。

自分には特別な才能もないし、運動神経が良いわけじゃなかったし、その部分で言うと周りよりも劣っていると感じていた。

だから、とにかく量をこなすしかなかった。
泥臭く、ひたむきに、諦めない。

根性論を嫌う人が多い今だけど、理解してくれない人達にはきっと才能があって、もがいて努力し続けたことがない人なんだと思う。

気持ちだけじゃどうにもならないけど、
気持ちがなきゃ何も始まらない。
自分の場合はこれに尽きる。

練習の2時間前に大学に行ってがっつり筋トレして、強度の高い練習の後には時間が許す限り自主練。

自分のストロングとウィークを徹底的にやり込む。

17時半から練習をして、帰るのが23時過ぎになることもあった。

怪我している時期以外はほぼ毎日続けた。

これがあったからプロになれた。本当に。

これだけ濃い4年間を過ごせたことは一生の財産。

そして、4年間で数え切れないほど思った、

「このままじゃだめだ」

そう思う度に、今の自分を打ち破って成長してきた。

それにしても月まで歩いて行くのは本当に大変だった。
いや、どう考えても歩いては行けないからどうやって辿り着いたかはなんて言ったらいいかわからないけど、

ありえないことをやってのけるには強い意志と規格外の努力が必要だ。

最後まで諦めない。
この世の中はそれができる人が夢や目標を達成する。

後輩が自分のお金で買ってくれた。

この前花巻に行った時に撮った写真。
アパートに泊めてくれた大好きな後輩の部屋のド真ん中に飾られていた。
ドキッとさせられた。

誰かのせいにして弱音や愚痴を言ってる場合じゃない。
自分のためだけのサッカー人生じゃない。


「絶対にこのままじゃだめだ」

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